第281話 嫌な予感

「よかった……私のせいで失敗したかと思ったわ」


私はてっきり、私の魔力が悪役令嬢のものだから、黒く染まったものだと考えていた。しかしアレクは違ったようだ。彼は険しい顔で聖水を見つめている。


「………リティの魔力が『黒』であるはずないのに」


アレクが小さな声でそう言葉を漏らす。その彼の一言で、突然私の過去の記憶が蘇った。


以前、彼に魔法を教わっていた時の記憶だ。あの時は確か…魔法の属性に対応する色を聞いていた。火なら赤、水なら青、間を省略して光は白、闇は……「黒」だと。


私は彼が何を言いたいのか気づいた。幸い、その事実に気づいたのはアレクだけだったようだ。


もちろん私の属性は闇ではない。だが、一度だけ闇の魔法に手を染めたことがある。自分の命と引き換えにアレクを蘇らせた……あの時だけ。


「まさか……」


「考えすぎよ」


私はこの世の終わりかのような表情をするアレクにそう告げると、安心させるように微笑んでみせる。…貴方の考えていることくらい私には分かるわ。


「大丈夫よ。私は闇に飲まれたりしないわ」


「闇に…?リティ様、それは一体……」


「なんでもないわ。とりあえず聖水はこれで完成ってことでいいかしら?私とアーグレンの魔力が必要だったのは意外だったけど、なんとかなってよかったわ。皆ありがとね」


アーグレンとイサベルは複雑そうな顔をしていたが、私がこれ以上話す気がないことに気づいていたようだった。


何か言いたげなアレクの横を通り過ぎ、できあがった聖水を手に取ると、私は女性に手渡そうとする。


「はい。これがあればもう偽の聖水を買わされることはないわよね。また体調が悪くようなことがあったらこれを使いなさい」


「は、はい。本当にありがとうございま……」


受け取ろうとした女性の手を、突然婚約者が止める。彼は静かに首を横に振った。


「……すみません。せっかく作って頂いたのに申し訳ないですが…これは受け取れません」


「……どうして?」


「私の命を助け、お金、そして住む場所までも保証してくださった恩人様から、聖水まで奪うわけにはいきません。どうかご理解ください」


「そう……分かったわ。」


これは彼なりの礼儀なのかもしれない。あまりにも他人にお世話になってしまうと、逆に重荷になってしまうのだろう。


「仕事も保証しようと思っていたのだけど……その分じゃお断りされちゃうかしらね」


「はい。大変ありがたいご提案ですが、恩人様にそこまでお世話になるわけにはいきません。私の体調がよくなり次第、新しい家で仕事を探させて頂きます。」


婚約者の男性はすっかり私を信用したらしく、紳士に頭を下げてくる。その姿勢からは、彼の心からの感謝がよく伝わってきた。


「さっきも言った通り、聖水を騙されて買った分のお金と、住む場所は援助させてもらうわ。これはお詫びだからね」


「はい。本当に…本当にありがとうございます!」


女性は最初、聖水を受け取れないことに不服そうだったが、最終的に男性と同じ考えに至ったらしい。


「……もしかして『お詫び』をするためにわざとあんなことを…?」


アーグレンは私に聞こえるように小さな声で呟いてくる。私は流石にそこまで考えてないと思いながらも「…さぁね」と答えておくことにした。


男性を助けるという当初の予定は達成できたので、私たちは家を後にしようとする。すると突然女性が「あの…!」と声をかけてくる。


「お名前を…!お名前をお聞きしてもよろしいですか?」


その言葉に、私は不敵な笑みを浮かべる。悪名高い私の名前を聞いたら、震え上がるのか、それとも…。


「私はリティシア=ブロンド。アレクシス=エトワール王子の婚約者よ」


その瞬間、女性が崩れ落ちた。男性は驚愕の表情を浮かべているが、その顔は歴代最高の悪女に会ってしまったという顔ではない。身分が高すぎて呆気にとられているという顔だ。


私が皇后になるのなら、平民たちからの支持も当然必須となる。名を明かすことで、彼らが今日の出来事を噂してくれたら、私としてはとても助かるのだ。


そして私はアレクの背中をそっと押し、「さぁ、行くわよアレク」と言ったのだが、彼は「ちょっと待って」と振り返る。そしてそのまま女性と婚約者の元へと向かう。


私の呼び方で、彼らはようやく目の前の存在が誰であるのか気づいたようだ。


「ご挨拶が遅れてすみません。私はこの国の第一王子、アレクシス=エトワールです」


「お、王子様…!?え、えっと、すみません、な、なにもできずにその……」


「いえ、謝らなければならないのは私の方です。私の国で偽の聖水の販売、更に奴隷売買が行われていたことは…到底許されることではありません。私の管理が甘かったせいでこのような事態を招いてしまいました…。本当に申し訳ございません。」


アレクが頭を下げると、女性と婚約者は驚いて分かりやすく慌ててしまった。


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