第280話 聖水

私の言葉に、イサベルとアレクは同時に顔を見合せる。アーグレンも理解できたようだが、女性とその婚約者は理解ができない様子だった。


「……つまり、イサベルの聖なる力を俺の魔法で生み出した水と合わせれば、聖水ができると思ってるんだよな?」


「その通りよ」


「確かに聖なる水と書いて聖水ですが…そんな単純なものなのでしょうか?」


「まぁ普通は簡単に作れないでしょうけど…」


この二人ならやってのけるはず。というか、小説の主人公である彼らこそがこの世界の聖なる光。その気になれば聖水くらいいくらでも作れるはずだ。


「物は試しよ。二人とも、やってくれるわよね?」


偉そうなことを言っているが、聖水を作れるのはこの二人だ。一応意志の確認をしておくと、二人はもう後には引けないと同時に頷いた。


「助けて頂いただけではなく…あの貴重な聖水を作る瞬間を…見ることができるのか?」


目覚めたばかりの婚約者の男性は、驚きのあまり何度も目を瞬きさせる。女性も驚いてはいるが、イサベルの奇跡を目の当たりにした以上、信じざるを得ないようだ。


「アーグレン、丁度聖水が入りそうな空の瓶持ってる?」


「……用意不足で申し訳ございません。持っていないです…。」


「冗談よ。こういう時はそんなもの持ってるわけないだろって言いなさい。」


真面目すぎる彼は分かりやすく落ち込んでしまったが、アレクが「大丈夫だグレン。でも次からは瓶を持ってた方がいいかもな」とすごくどうでもいいアドバイスをしていた。


アーグレン、最もらしく頷いてるけど、今のアレクの発言も冗談だからね?


「リティ、その偽物の瓶、ちょっと見せてくれるか?」


「え?えぇ…どうぞ」


偽の聖水の入った瓶を手渡すと、アレクはじーっと中身を見つめる。うっすらと魔力が漂っているのは、私にも分かった。


「やっぱりこれは魔力を少し溶かしただけのただの水だな。これにはなんの力もないけど、作り方はこの偽物と同じかもしれない」


「要は溶かす魔力が重要ってことよね。より純粋で、聖なる魔力が必要なんだわ」


アレクは私の言葉に頷く。その後、使っていない瓶をこの家の女性から受け取り、魔法が使いやすいように、なるべく広いところにアレクとイサベルが立った。


「じゃぁ頼むわね、二人とも」


二人が同時に呪文を唱えると、とてつもない魔力の渦が溢れ出す。まるで女神が歌っているかのような心地よい光の魔力と、どこまでも澄み渡る美しき水の魔力が少しずつ合わさっていく。


先ほどのイサベルの力ももちろんそうだが……これが主人公のもつ力……私などでは到底辿り着けない領域だ。


二人の魔力が混ざり合い、瓶へと吸い込まれていくと、突然二人の身体を纏う魔力が消えた。


「えっと……これで完成でしょうか? 」


「なにか……なにかが足りない気がする」


イサベルとアレクは、何故かは分からないが、二人揃っておかしいと感じているようだった。


「何言ってるのよ。今のは魔法が終わったから止まったんでしょ?」


「それが違うんです。なにかが足りないと言われて強制的に弾かれたような……」


「リティ、お前もやってみてくれないか?」


アレクの突然の提案に、私はぽかんと口を開ける。イサベルはその言葉にピンと来たようで、「そうです!そうですよ!魔法が足りなかったんです!」と訳の分からないことを言っている。


更にアレクは自分は見物客ですと言わんばかりのアーグレンに顔を向けると、「グレン、お前もやってみてほしい」と告げる。


アーグレンは私ほどではないものの、驚きを隠せない様子だった。


「ちょ、ちょっと待ってよ、炎の魔法なんて使ったらせっかく作った聖水が蒸発しちゃうじゃない!」


瓶の半分ほどたまった聖水を私がアレクの目前に突きつけると、彼は迷いなく答えた。


「しない。俺とリティの魔力は相性抜群だからな。」


「……百歩譲ってそうだったとして、アーグレンは?」


「グレンは俺の親友だから大丈夫だ」


その意味の分からない自信に思わずがくっと来てしまいそうだったが、こういう時はアレクの方が正しいような気がしてしまう。イサベルもアレクに大賛成のようだし……未完成の聖水ができてしまうくらいなら、試してみるしかないか。


「……失敗しても、文句言わないでよね」


「もちろん」


…分かってるわ。もし私のせいで失敗しても、誰も文句なんて言わない。というか、アレクが言わせないと思う。


だからこそ、私は失敗したくない。悪役の魔力だって聖なる力の助けになるってところを……見せてあげるわ。


私とアーグレンが二人を真似て呪文を唱えると、アーグレンの燃え盛る炎は綺麗に瓶へと吸い込まれていく。不思議なことに、水は少しも蒸発しなかった。


続いて私の炎が瓶へと吸い込まれていくと、何故か一気に聖水が真っ黒に染まった。


「聖水が…!?」


全員が失敗を覚悟したその瞬間、聖水が強く美しい光を放ち始めた。黒い液体は一瞬で浄化され、より透き通る水へと変化する。それは誰が見ても「聖水」の完成だった。

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