第279話 適当

「…どんな理由があっても、彼を助けるのを遅らせて、貴女を傷つけたことは事実。だからお詫びをさせてちょうだい。」


「お詫び……えっ、お詫び!?そ、そんな、助けて頂いたのにそこまでして頂く必要は……」


私の言葉の意味を理解し、何度も首を横に振る女性だったが、私は引かない。


「いいえ、私の気が済まないの。まず偽の聖水を買わされた時に支払ったその代金。全額負担させて頂くわ。」


「ぜ、全額ですか!?私を遺産のほとんどを使ってようやく支払いができたのに…それを全額負担してくださるなんて…」


遺産のほとんどを支払ったというくらいだから、大層な額であることは確かだが…それはあくまでも平民である場合だ。公爵令嬢ならば大した額ではない。


もしかしたら私がいらないと言っても無理やり渡されるお小遣い程度の額かもしれないのだ。つまり、今の私に支払えないはずがないのである。


「お金のことは気にしないで大丈夫。それから…申し訳ないけどここにはもう住まない方がいいわ。奴らにまたいつ利用されるか分からない。お金にならないと分かれば貴女が奴隷として売られてしまうわ」


「ど、奴隷ですか!?そんな…でもあの人は神官様では…?」


「話の途中ですみません、どうして貴女はあの怪しげな男を神官だと思ったんですか?」


先ほど見放されたばかりだというのに、彼女はまだ神官だと思っているらしい。神官が偽の聖水を売るはずなどないというのに。


アレクに尋ねられた女性は、気まずそうに視線を逸らす。


「えっと……初めてあの方にお会いした時も、あのような風貌だったので、確かに私も最初は怪しいと思ったんですけど……貴重な聖水を運ぶという重要な役割を担っているから、途中で奪われないようにわざと誰も近づかないような格好をしているのだと……。」


「確かにあんな怪しい格好をしていれば誰も近づかないものね。それじゃぁ貴女はどうしてあの水が聖水だと思ったの?」


彼女はゆっくりと過去を思い返すように言葉を続ける。


「はい……瓶の中身がキラキラと光っていたのと……あとはただの賭けでした。遺産を使って医者を呼ぶことはできても、高い治療費は払えない。だったらこの聖水に賭けるしかないと……そう思ってしまったんです」


この後に引けない状況を利用されて、言葉巧みに聖水を買うように誘導されたのでしょうね……。全く、奴隷売買だけに飽き足らず偽の聖水まで売っていたなんて、信じられないわ…。


申し訳なさそうに縮こまる彼女を見て、今まで黙っていた婚約者が彼女の背中をポンと軽く叩く。


「……ごめん、俺のせいで君が……」


「貴方のせいじゃないの!私が……私が余計なことをしてしまったから……本当にごめんなさい……よく考えたら聖水じゃないことくらいちゃんと分かったのに……」


「…騙されたお金も、安全に住める場所も確保するわ。貴女は自分のミスを自分で補った。それで十分じゃない。他になにが足りないというの?」


「で、ですが……あの時買わなければこんなことには……」


聖水を間違えて買ったという事実がどうしても彼らを苦しめてしまっているらしい。彼女が自ら助けを求めたとはいえ、私たちが通りかからなければ彼がどうなっていたかは分からない。加えて遺産にまで手をつけたという点が大きく苦しむ原因だろう。


あれだけで足りないのなら……もう偽の聖水の存在を消すしかないということね。


「分かったわ。聖水も本物をお渡しするわ」


「えっ!?お金も住む場所も援助してくださるのに、聖水までくださるのですか!?」


「もちろん。偽の聖水の存在が消えれば貴女の後ろめたさも少しはなくなるでしょうし」


「で、ですがここまでしていただくなんてやっぱり悪いです……」


願ってもない援助に縋り付きたいが、やはり申し訳ないという彼女に、私は笑う。


「言ったでしょ。これはお詫びよ。ありがたく受け取りなさい。その代わり、この偽の聖水は証拠品としてもらっていくわね」


「は、はい、それはもちろん構いません!あの、本当に……本当にありがとうございます!」


深く頭を下げる女性と男性を前にして、私は誇らしげに笑う。私の隣には引きつった笑みを浮かべる男性二名と、輝くような笑顔を向ける女性が一名。


「すごいですねリティ様!聖水も作れちゃうんですか!?」


「いいえ?作れるわけないじゃない。そもそも作り方を知らないわ」


私の言葉にイサベルは今まで見たこともないほど驚いた顔をした後、ぽかんと言葉を失ってしまった。


「だ、だよな?知らないよな?俺も知らない……どうしよう。そもそもそんなに簡単に作れるものじゃ……」


「そんなに慌てないでよ。今から考えるんだから」


「今からって…どうするんですか?お二人の期待に満ちた表情…もう後には引けませんよ…?」


「大丈夫だって、アーグレン。落ち着きなさいよ」


放心状態の一名と焦った二名の様子を一通り楽しむと、私は自信をもって呟く。


「作れないわけがないのよ。聖水はつまり『聖なる水』でしょ?いるじゃないここに。聖なる力と水の力を司るお方が」

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