第277話 偽物

奴隷商人はなるべく人通りの少ないところを通っていく。その途中に古びた一軒家が立っていたが、商人は見向きもせず足早に歩いていった。家を通り過ぎたその直後、背後でバン!と強い音がする。


私たちが振り向くと、そこには青ざめた顔をした一人の女性が立っていた。彼女は迷うことなく奴隷商人へと向かっていく。


「神官様!」


「………神官?」


この見るからに怪しい服装を見てなぜ神に仕える神官だと思ったのだろうか。だが彼女は商人が神官であることを信じて疑わない様子であった。


「お願いします!助けてください!神官様が売ってくださった聖水を使っても、彼が治らないんです!もう一段階強い聖水をください!お願いします、どうか…!」


「はぁ……」


縋りつかれた商人は見るからに嫌そうに表情を歪める。


「お前、誰だっけ。悪いけど俺、売った相手の顔なんて覚えてないんだよね」


吐き捨てられた言葉と冷たい態度に、彼女の表情はみるみるうちに凍りついていく。


「そ、そんな…!お、覚えてなくても構いません!どうかもう一度聖水を…」


次の瞬間、ドサッと音がした。奴隷商人が、縋り付く女性を乱暴に払い除けたのだ。地面へと倒れ込んだ女性は信じられないといった表情を浮かべている。


「もうお前にやる聖水なんて持ってねーよ。俺は金にならない女は嫌いなんだ。もう二度と話しかけるなよ」


とんでもない捨て台詞を吐くと、再び歩き出したので、私は黙っていられずに奴隷商人の腕を掴む。


「……待ちなさいよ」


奴隷商人役であったはずのアレクとアーグレンはすっかりそれを忘れ女性を助け起こしていた。当然イサベルも心配そうに声をかけている。


となればこの商人の相手をするのは私だ。


「……あ?なんだよ、奴隷風情が俺に話しかけるな」


「謝りなさい」


「は?」


「謝りなさいって言ってるの!」


私が怒りに任せて叫ぶと、奴隷商人は楽しそうに声をあげて笑った。


「あー…正義の味方気取りのご令嬢か。まさかあんた……公爵令嬢だったりしないよな?」


「………いいえ」


「よかった、流石に王子の婚約者が消えたら問題になるもんな。どっかの男爵令嬢とかなら誤魔化せるから、君が公爵令嬢じゃなくて助かったよ」


コイツ……人をなんだと思ってるの。公爵令嬢でもそうじゃなくても…人を奴隷として売っていいはずないじゃない。


「それじゃ、早くこの手を離せよ。」


私はこの場で燃やしてやりたい衝動をぐっと堪え、手を離した。そして私は涙を流している女性へと手を差し伸べる。


「大丈夫?」


「はい……でも彼が……」


「分かったわ。私が代わりに話を聞く。」


「えっ…本当ですか!?」


「えぇ。早くお家に入れてちょうだい」


女性は顔を輝かせると、足早に家へと駆け寄ると、その扉を開ける。私がそれに続こうとすると、奴隷商人が声をかけてくる。


「おいおいお嬢ちゃん、もう忘れたのか?お前の立場を」


「……この子は私が連れていく。後から着いていくからお前は先に行っていろ」


アーグレンが機転を利かせて咄嗟の嘘をつくと、奴隷商人も渋々納得し、その場から姿を消した。アーグレンは彼がどこに消えるかをしっかり見て覚えていた。


「……リティ、なんで彼女はアイツを神官だと思ったんだろう」


「……分からないわ。話を聞いてみるしかないわね」


アレクが小声で私に問いかけてくる。それは私としても非常に気になる疑問だ。


私たちは家に入るとすぐに一つの部屋に通される。そこでは若い男性がベッドで寝込み、苦しそうに呻き声をあげていた。


「私の婚約者なんです。少し前に風邪をこじらせてしまってからずっとこんな状況で……医者に連れていくお金もないのであらゆる傷を癒すという聖水を使ったのですが、効果もなく……」


彼女の言葉にアレクは怪訝そうな顔をする。


「貴女はあの男から聖水を買ったのですよね?」


「はい…そうです」


「聖水はかければ切り傷や火傷が癒え、飲めば身体の毒素を消し、あらゆる病気を治す効果のあるものですが……本当に貴重で、貴族ですらもなかなか手に入らないものなんです」


確かにこの世界での聖水はとても貴重で、貴族ですらなかなか手に入らないと小説でも言われていたような気がする。そんな聖水を平民が手に入れたとなると、おかしいと思うのは最もだろう。


「そ…そうなんですか?確かにとても貴重なものだと仰っていましたが……」


「それからもう一段階強い聖水…と仰っていましたよね?残念ながらこの世に聖水と呼ばれるものは一種類だけなんです。聖水で治せない病気ももちろん存在しますが、誰しもがかかりうる風邪を治せないわけがない。もし治せないのであれば……」


アレクは非常に言いにくそうに言葉を紡ぐ。きっとこの場にいる誰しもが気づいていることだ。


「……それは聖水ではないということなんです」


「そんな!そんなはずはありません、だって私は父の遺産を使って買ったんですよ!?あんなに大金を払ったのにまさか偽物だなんてそんな…!」


彼女はアレクに掴みかかるような姿勢で声を荒らげると、騙された事実に気づき、地面に力無くへこたれる。


「私は……騙されたの……?」


きっと彼女も分かっていたはずだ。万能と言われる聖水がこじらせてしまったとはいえ、風邪すら治せないなんてありえない。ただ大金を払った手前、認めるに認められなかったのだろう。


「私が騙されたせいで、彼は……」

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