第252話 炎の向こう側
死ぬつもりなどさらさらないが、そう考えてしまう。それほどまでに、悪役の力は圧倒的なのだ。
「くっ……」
アレクがリティシアの言葉に翻弄され足を止めるが、私は叫ぶ。喉元から感じる熱波には気づかぬふりをした。
「アレク!いいから早く火を止めて!全部燃えてしまう前に!無理そうなら早く逃げて、いいわね!?コイツの言うことなんか聞かなくていいから!」
分かっている。アレクは優しいから私を見捨てることなんてできない。だがこの屋敷が燃えてしまうのは嫌だ。皆と作った思い出が、私達の出会いの場所がただの灰になってしまうなんて…そんなの耐えられない。
リティシアを刺激せずにどうやって私を助けようか悩んでいたであろう彼は、苦虫を噛み潰したような表情を向ける。リティシアはそんな彼を見て笑みを浮かべた。悪魔のような笑みだった。
「私と一緒に来ると誓うなら…殺さないであげる。この屋敷についた火も全て消してあげるわ。さぁ…選びなさい、アレク」
そう笑顔で呟くリティシアの側に炎で溶けた天井の破片が落ちた。そう、こうしている間にも炎はどんどんその脅威を広げている。だが彼女は少しも気にしていないようであった。
「あのね、早くしないとあんたも死ぬのよ!?自分が何を言ってるのか分かってるの!?」
リティシアが怒りのままに放った炎なら、いずれ本人ですら上手くコントロールができなくなってしまうだろう。そうなれば自分の巻いた炎に呆気なく焼かれることになる。
「別にいいわ。アレクと一緒に死ねるなら本望だもの。」
リティシアはそう淡々と言いのけた。死を覚悟している者の言葉にはとても思えなかった。
そして私はどうにか炎の短剣から逃れようとしたが、少しでも動けば喉が焼けてしまいそうで身動きが取れなかった。その様子を見てリティシアはただただ楽しそうに笑っていた。
「…分かった。お前と一緒に行くから、リティを開放して屋敷の火を消してくれ」
私はその言葉に弾かれたようにアレクを見る。彼は私ではなくリティシアを真っ直ぐ見つめていた。
「ちょ、ちょっと何言ってるの!無視していいって言ってるじゃない!」
ダメだ。その選択だけは、絶対にダメだ。アレクが犠牲になる選択肢などあってはならない。そしてその犠牲が確実なる勝利を持ってくるとは限らない。
私の悲痛な叫びも虚しく、リティシアは笑い声をあげる。
「よく言ったわ。約束通りこの子を開放してあげる。さぁこっちへ来なさい」
「ダメよアレク!屋敷の火は貴方でも抑えられるでしょ!?リティシアの言うことを聞く必要なんてないわ!」
「……確かに火はどうにかなるかもしれないけど、それじゃリティを助けられない」
「私は自分でなんとかするから!だから……!」
「じゃぁやってみなさいよ。」
「え?」
「偽物のリティさん。本物のリティシアに勝つために魔法を使ってみたら?」
……頑張ればある程度は抑えられるかもしれないけど、本物の悪役令嬢に勝てるのは主人公であるイサベルだけ…私じゃ無理……。
私が言葉に詰まっているとリティシアは嬉しそうに耳元で笑い声をあげる。耳を塞ぎたくなるような嫌味な笑い方だ。
「できないでしょ?そりゃそうよ、あんたはただの偽物なんだから」
「私は……」
「違う、リティは…!」
アレクが反論しようと口を開いたその時、私の喉元に突きつけられた短剣が外され、リティシアは私を後方へ吹っ飛ばした。驚く暇もないまま彼女は軽々と跳躍するとアレクの背後に立つ。
「あんたが偽物だろうが本物だろうが関係ないわ。だってあんたはここで死ぬんだから」
リティシアが再び呪文を唱えると炎が強く燃え上がる。燃え上がった炎は私の行く手を阻み、辺り一面が火の海へと変わる。こちら側にいるのは私だけ。リティシアはこのまま私を炎で燃やすつもりなのだろう。
揺れる炎の隙間から一瞬、アレクの腕に何かがついているのが見えた。あれには見覚えがある。恐らくあれは魔力を封じる腕輪だ。
あの時私がアルターニャ王女につけられたものと同じもの。つまり……これでアレクは魔法が使えないということだ。
「リティ!大丈夫か!!」
「…大丈夫よ!」
今にも燃えてしまいそうだったが、なんとか空間を確保して私は生命を保っていた。まぁそれもリティシアの計算の内だろうが。
「リティシア嬢。約束は守るからこの火を今すぐ消してくれ!」
「あら?約束?約束ってなんのことかしら。忘れちゃったわ、ごめんなさいね」
「リティシア嬢……!」
炎の向こう側からリティシアの笑い声が聞こえる。初めからリティシアが約束を守るわけがないと思っていた。イサベルを逃してしまった今、なんとしてでも彼女は私を始末しようとすると分かっていたから。
私の側を一つ、二つと天井の破片が、壁の破片が通り抜ける。私が燃えるのは、この屋敷が壊れるのは、時間の問題だ。
「さぁ、消し炭になるがいいわ!リフレイア!」
「やめろ!」
炎の渦が私を飲み込もうと強く高く燃え上がった。
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