第243話 ここはあの時の
リティが記憶を取り戻しても、彼女が生きる世界は変わらない。俺の身勝手な気持ちで連れ帰るなんて絶対に許されないことだ。
自分の気持ちを押し殺して彼女の瞳を見つめると、リティは呆れたように笑い、こちらに手を伸ばす。
「全くもう…なんて顔してるのよ」
「……え」
「私はもうこの世界での人生を一度終えてるのよ。…まぁ、結果的にリティシアとしての人生も自分で手放しちゃったわけだけど。」
リティは苦い過去を思い返すかのように複雑な表情をする。
「でもね、もう一度どちらかの人生を歩めるのなら……私はリティシアになりたい。本物のリティシアに申し訳ないけど…それでもやっぱり、あの世界は私の居場所だったから」
「……リティ」
「私はアレクと、イサベルと、アーグレンと、皆と歩める世界で生きていきたい。改めてそう思うわ。……それが許されるなら、だけど。」
彼女は更に言葉を続ける。
「初めは突然悪役令嬢にされて神様を恨んだけど、今は感謝してるわ。貴方と会わせてくれて、私の居場所を与えてくれたんだもの」
何かが吹っ切れたような清々しい表情を向ける彼女を見て、自分が心から安堵するのを感じた。
「私は貴方の住む世界に帰るわ。もうこれ以上皆を待たせてられないでしょ。」
「……本当にいいのか?後悔…しないよな」
「何言ってるの。貴方のいる世界を捨てる方が後悔するに決まってるじゃない」
「…それなら、いいけど…俺に気を使ってとかなら…」
「生憎こういう大事な場面で使う気は持ち合わせてないわ。安心していいわよ」
いつも通りの彼女の様子を見て、それは本当に本心なのだろうと感じた。それが彼女の意思ならば勿論尊重しよう。
…だが、自分の元いた世界を捨てるなんて相当な決意だと思うのに、リティからは緊迫感や迷いなどの感情が一切感じられなかった。こういう時に思いきれる彼女は純粋にかっこいいと思う。
「……さ、話が上手く纏まったところだし、早く行きましょ。お母さんのところに」
差し出された彼女の手に触れると、先ほど水に濡れてしまったせいか、少し冷たかった。そして完全に油断していた彼女から持っていた鞄を奪い取ると、自分の肩の辺りまで持ち上げる。リティは「あっ!」と声をあげたが、俺は「それじゃリティ、お母様のところまで案内してくれ」とだけ告げる。
「……アレク、普通に貸してと言ってもどうせ渡さないから無理やり奪い取ったのね?」
「流石リティ。大正解だ」
「……はぁ。ありがとう。でもそれ重いから無理しないでね」
「全然重くないけど分かった」と答えるとリティは「何よそれ」と楽しそうに笑っていた。
……許されるのであれば、この笑顔をこの先もずっと隣で見ていたい。そう強く思うのであった。
その後、俺達は見たこともない町並みが続く歩道らしき場所を歩いていた。
彼女の家は学校からそう遠くない位置にあるらしく、すぐに着けると彼女は告げる。そして、今日はたまたま仕事が休みだからお母さんは今頃家でワインのストックを消費しているだろうと予想していた。
数分間ほど歩道を歩くと、道に白い線のようなものが幾つも書かれている不思議な場所に辿り着く。そこでは見たこともない乗り物が幾度となく目の前を通り過ぎていた。
「ここの横断歩道を渡ればすぐ……」
恐らくすぐに着くと言おうとしたのだろうが、彼女がその言葉の先を言うことはなかった。横断歩道というらしいそれを渡ろうとしたその瞬間、リティはその場にしゃがみこんでしまったのである。
「リティ!?どうしたんだ!?」
「ご、ごめんなさい、急に足が…」
顔を真っ青にして震える様子から、ただ事ではないことを察するが、彼女自身ですらなにがなんだかよく分かっていないようであった。
【リティシア】
突如座り込んでしまった私を心配してアレクが必死に声をかけてくれるが、その言葉が段々遠のき、代わりにかつての記憶が流れ込んでくるのを感じた。
私、ここを知ってる。いつも学校に行く時に通ってる場所だから、というのもそうだけど、そうじゃない。ここはもっと嫌な意味で知っている。
断片的な記憶に更に靄がかかったかのようになっていて、どうもはっきりしない。でもここはきっと……。
どうにかして思い出そうと必死に思考を巡らせていると、突然、アレクが大声で叫んだ。
「危ない!リティ!」
見上げると、しっかりと固定されていたはずの電柱がぐらりと傾き、まるでこちらを初めから狙っているかのように倒れてきていた。
アレクは慌てて私を抱えて躱すと、倒れてくる電柱に向けて呪文を唱える。放たれた水の渦は電柱を元の位置に戻したが、一度壊れてしまっているので上手くはまらず、随分不格好な姿で固定されていた。
「大丈夫か!?」
「あぁ、そうだ、私……ここで死んだんだわ」
「……えっ?」
私の言葉にアレクは驚いたように目を見開いた。今ので全てを思い出した。そうだ。ここは私が死んだ場所。異世界へ行くきっかけとなった場所だ。
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