第224話 同じこと

扉を開くと、まず前に入った時と変わらぬ配置のままの家具が目に入る。そして更にその奥に視線を向けてみれば、目を疑うような光景が広がっていた。


「リティ!?」


目を閉じ、床に倒れ込む彼女の姿を目にした途端、血の気が引いていくのが分かった。慌てて彼女を抱き上げる。


その身体は、生きている人間とは思えぬほどに冷たかった。


「あぁリティ様……そんな……」


イサベルは目覚めた俺を見た時と同じように涙を浮かべる。だがそれは歓喜ではない、深い悲しみの涙であった。


三日…確か三日近く引きこもり何も食べなかったと言っていたが、寝てさえいれば、睡眠さえ取れればその短期間に人間が死ぬようなことはない。


リティは魔力が強く、一般人よりも身体が強く作られているから、余計にその可能性は薄いのである。だが目の前の彼女の身体は異様に冷えている。口元に耳を寄せてみたが、息は聞こえてこなかった。


そこでようやく理解した。突然蘇ったこの命は、奇跡なんかではないのだと。


「公女様……まさか公女様もアレクと同じ魔法を……」


「……そんなはずはない。身代わり魔法は既に死んだ人間を再びこの世に蘇らせることなんてできない。……できない、はず。そうであるはずなんだよ!だったら何故……!どうして……」


俺は冷たくなってしまった彼女の身体を抱きしめるが、一瞬たりとも体温や生気を感じることはできなかった。


今分かっていることは……恐らく、いやほぼ確実に、彼女が俺のために自分を犠牲にしたということだ。


…リティには、生きていてほしかった。例え自分がこの世から消えてしまったとしても、強く生きてほしかった。


彼女は一人じゃない。イサベルも、グレンもいる。俺がいなくなった後も、きっと彼らが彼女を支えてくれる。そう信じていたのに。まさかこんな……こんなことに……なるなんて。


「どうして……俺が……俺がどんな思いでお前を……」


「……嫌です……」


イサベルは俯いたまま、震える声で呟いた。そして顔をあげ、突然大声を張り上げた。


「リティ様!目を覚まして下さい!殿下はこうして無事なんですよ?もうリティ様を悲しませることは何もありません!」


「イサベルさん……」


「もう嫌です……神様はどうしてこんな意地悪をするんですか……?お二人が一体何をしたっていうんですか……」


イサベルが両手で顔を覆って泣き崩れると、何かがリティのドレスから落ちた。全員の視線が一気に集中する。


それは彼女からの手紙だった。


グレンが即座に拾い上げ、それを三人で覗き込む形で読んだ。読みやすい、綺麗な文字だった。


「イサベル、アーグレン……アレク。お母様にお父様、ルナも…皆ごめんね。急にいなくなって心配してると思うけど、私は大丈夫。それから私には……色んな人にずっと黙っていたことがあります。私は、そちらの世界の人間ではありません。詳しいことは分からないと思うので話せませんが、とりあえず、いつかは去らなければならなかった場所なのです。だからどうか悲しまないで。今までありがとう。本当に感謝しています。どうかお元気で。…さようなら」


やはりリティは初めから分かっていたのだ。自分が…この世から消えてしまうということを。


俺は自分が消えると分かっていたが、それでも咄嗟に出た魔法だった。心の準備をして、死んだその先のことを考えて使った魔法とかではない。


だが彼女は違う。

死を受け入れ、残された者への手紙を書いて、それから魔法を使った。その間、どれだけの恐怖と戦ったのだろう。


死んでしまうと分かった上で他の何かをする時の気持ちなんて…俺には分からなかった。


「アレク……小さくて気づかなかったが…そこにも結界が張ってある」


彼の言葉に顔をあげると、確かに小さな引き出しにそれ相応の大きさの結界が張ってあるのが見えた。それは扉にかけられていたものと同じく、炎の結界だった。


結界を砕くと、中から出てきたのは青い薔薇のシールで封をされたもう一枚の手紙だった。


俺は両手が塞がっているため、結界を砕く以外の一連の動作は全てグレンが行った。彼は手紙を少し読むと、俺に視線を向けた。


「……お前宛だ。公女様は私が寝台に寝かせるから、自分で読め」


グレンに言われるがままにリティを渡すと、そのままベッドへ寝かせていた。そして俺は視線を手紙へと落とす。そこには、先程の手紙同様、綺麗な文字でこんなことが綴られていた。


「あら、この手紙まで見つけちゃったの?やっぱり皆宛の手紙だけじゃ満足できなかったのね?ふふ」


まず手紙は宛先ではなく、冗談から入っていた。彼女が悪戯っぽく笑っているような気がした。


「……ほんとに読むの?読む気なのね?…分かったわよ。私の大切なアレクへ」


…読ませたくないなら最初から書かなければいいのに。そんなことを言ったらきっと彼女はこう言って笑うだろう。


「バカね。読んでほしいから書いたに決まってるじゃないの」と。


…俺は無言で続きを読み始めた。

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