第166話 壁
【リティシア】
「話は聞かせて頂きましたが…こちらの侍女には確かに非があります。お嬢様の食事に手を加えてしまったことは許すべきことではありません。ですが…元を辿れば彼女はお嬢様ではなくイサベルさんに対してしたことですよね。イサベルさんは貴族ではなく平民です。そのことを考慮すべきではありませんか?」
「ルナ、貴女何言ってるの…?」
「平民とは本来そういう扱いを受ける者です。平民に対して貴族が罪を犯したのであれば、貴族が貴族に罪を犯した時よりも罪が軽くなるのは当然です」
ルナは、戸惑う様子すら見せずにはっきりと言い放った。貴族と平民の埋められない差…圧倒的な壁を。
この場にイサベルも、アーグレンもいるというのに一切気にしない様子であった。アーグレンのことは平民だと知らないだろうから仕方ないが。
私が真っ先に感じた感情は、悲しいだった。
ルナは私を慕ってくれる侍女で、私をよく信頼してくれていた。私もまた同様に彼女を信頼し、頼っていた。
だが今の彼女は私と敵対するまではいかないものの悪者であるはずの侍女を明確に庇っている。
それが…貴族だからという理由で。
私がイサベルをいじめなければなんの問題も起こらないと思っていた。だが現実は思っている以上に簡単ではなかったようだ。
この思想に関してはルナが悪い訳でも、そこの侍女が悪い訳でもない。ただこの世界が狂っているだけだ。
アレクシスのように差別を一切しない人間がどれだけ珍しく、この世界にとってあり得ない存在であるのかがよく分かる。
アレク、貴方の愛する世界を私は変えてみせる。いきなり大きなことはできなくても、まずは小さいことをしてそれを積み重ねていくことが大事よね。
見てて、ルナの考えを…変えてみせるわ。
アーグレンにも、イサベルにも二度とこんな思いはさせないから。
「ルナ。罪を犯した者が貴族だろうと平民だろうとその重さは変わらないわ。」
「お嬢様、ですから…」
「よく聞いて。例えば私がなにかの拍子に貴女をこの場で殺してしまったとする。貴女は私が憎くて堪らなくなるはずよ。」
「そう…ですね」
「でも貴女は薄れゆく意識の中で私の声を聞くの。『私は公爵令嬢で、貴女は男爵令嬢だから私の罪は許されるわ。貴女の死はなかったことにされるのよ』って」
「それは…」
「こんなことが許されると思う?いくら公爵令嬢でも殺人は殺人。身分っていうのは罪を許してくれる便利カードじゃないのよ」
我ながら物騒な例えだと思うが、言いたいことは伝わっただろう。私の言いたいことは身分というのはそんな便利なものではないということだ。
仮に身分というものが有効なのであれば公爵令嬢であるリティシアが平民イサベルの魔力に飲み込まれて殺されるなんてあり得ないのだから。
そもそもリティシアが悪役令嬢だなんて呼ばれることもなかったはず。彼女の罪は完全になかったことにされるはずだからね。
ルナは返答に困る様子を見せ、やがて俯いてしまう。これは伝わったという反応であろう。
「ルナ、私は貴女に怒ってる訳じゃないの。貴女の今まで培ってきた価値観を全て否定する訳でもない。でもね、悪いことは悪いことなの。例え悪人が王であろうと悪は悪。罪が許される人間なんてこの世にいないのよ」
「……お嬢様……申し訳ございませんでした。お嬢様の考えも知らずに余計な真似をしてしまいました。それはとても…素晴らしいお考えですね」
ルナは力なく微笑むと、言葉を続けた。先程から不安そうに表情を歪めていたイサベルであったが、今ではルナを心配そうに見つめていた。
「…お嬢様、私の話も聞いて下さいますか?今までお話してこなかった私の過去について…お嬢様に聞いて頂きたいのです」
「…勿論。話せるところだけでいいから話して頂戴」
ルナは私の返答を受け嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと記憶を辿り始め、自分の過去を語った。
「…私の家は、莫大な借金を抱えていました。私はそれを返すための道具としてどこかの家へ嫁がされそうになり、慌てて逃げてきたんです。そんな私を支えてくれたのは、貴族としての身分でした。貴族の名を捨てたと言いながらも、私は結局身分に頼って生きてきたんです」
私は、何も言わずに彼女を見つめる。もし彼女に貴族としての名がなかったら、家を飛び出した年頃の少女など誰も相手にしてくれなかったことだろう。
彼女が身分に固執する理由も少し分かる気がする。
「恥ずかしながら私は平民を馬鹿にし、蔑むことで…貴族としてのプライドを保っていたんです。平民とは違う高貴な人間だから、私は一人で生きてこられたんだって」
ルナの瞳から一粒の涙が溢れた。彼女の中で何かが吹っ切れたのかもしれない。ただ一つ分かることは、もう彼女が平民を見下すことなど二度とないだろうということだ。
「でも違いました。そうですよね、貴族も平民も同じ人間です。貴族だからという理由で罪を軽くするだなんて…あり得ない話でしたね。それをお嬢様に教えて頂くなんて…私は侍女失格です。」
「そんな事ありません!」
「…イサベル?」
突如大声を張り上げたのはイサベルだった。
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