第165話 護れ

「はい…?仰る意味が分かりませんが…」


 侍女の顔色が、明らかに変わった。


「私の食事にトマトが入ったことは今の今までたったの一度もなかったわ。私が大嫌いだというのは周知の事実で、もし混入させようものなら後が怖いということを皆も知っているからね。」


 リティシア様が淡々と語るその事実は、私にとっては初めて聞く内容であり、全く知らないものであった。


 侍女は表情を真顔に戻し、あくまでも冷静に返答する。


「勿論存じております。ですから厨房では常に最新の注意を払っております」


「そう。私はそれを知っていたから、気づかないふりをしてあげた。誰が入れたか知らないけどもしかしたらミスかもしれないからと思って…昨日は大目に見てあげたの。でもよく考えたらありえない話よね。今まで完璧にできていたことが昨日の夕食だけ急にできなくなるなんておかしい。それも、丁度イサベルが侍女として入ってきたタイミングで。」


 リティシア様が何を言いたいのか、初めは分からなかったのだが、徐々に理解し始め、私は驚いて侍女の顔を見つめた。


 リティシア様の隣に立っていたアーグレン様も私同様に思惑に気づき、驚いていたようであった。


「今ようやく分かったわ。貴女、イサベルに罪を着せるつもりだったのね」


「一体、何を仰っているのか…」


「私がトマト嫌いだということは皆が知っている。だから絶対に混入することはない。でも昨日入ったばかりのイサベルなら入れてしまうかもしれない。そう考えた私がイサベルが入れたと思い込んで怒り狂うように仕向けたのよ」


「…お言葉ですがリティシア様。リティシア様の食事にトマトが入っていたことはたった今初めて知りました。私は関係ありません」


 侍女は、あくまでもしらばっくれる様子であった。


「でもね、イサベルが私のスープにトマトを入れるはずがないの。」


 リティシア様は一旦言葉を区切ると、ゆっくりと続きの言葉を告げた。


「そもそもイサベルは私がトマト嫌いであることを知らなかったのよ。これは確信を持って言えるわ。だって私が教えていないから」


 しかし侍女はリティシア様の言葉を受けても、全く引き下がらなかった。


「…リティシア様。トマトがお嫌いであることを知らないからイサベルさんがトマトを誤って入れてしまったという考えには至らないのですか?」


「いいえ、私は加熱を担当しただけで食品には一切手をつけていません!私がリティシア様のスープにトマトを入れるのは不可能です!」


 このまま黙って行く末を見守っていたらリティシア様が侍女に押し切られてしまうかもしれない。


 やってもいない罪を着せられるのは嫌だ。まだ挽回の余地があるのであれば、誤解されるような状況は避けたい。


 リティシア様は私の顔と侍女の顔を交互に見た後、深くため息をついた。

 そのため息は、一体何を意味するのか。


 私と侍女は、リティシア様をただじっと見つめ、彼女の言葉を待った。


「…そうね。イサベルが間違えて入れるのは不可能よ。」


「どうしてですか?イサベルさんは確かに加熱担当でしたが、その時厨房にいたんですよ?十分入れることができたはずです。」


「いいえ、無理よ。厨房の人達は万が一にも私の食事にトマトが混入しないように最新の注意を払っているって…確かそう言ったわね?」


 リティシア様は、侍女にそう問いかける。問いかけられた彼女は自信を持って頷いた。


「はい。絶対に入らないように注意しています。勿論、この私もです」


「そう、そこよ。貴女達が絶対に入らないように気をつけているそのトマト。勿論お母様とお父様は食べられるからトマト自体がそこにあってもおかしくはない。でも普通に考えてすぐに手の届く場所に置いてあるとは思えないのよね。恐らくすぐには手に取れない…そうね、いっそのこと私の目に触れないように隠しているんじゃないかしら。そんな大事な隠し場所を、入ったばかりの…それも昨日初めて入ったばかりの新人が知れるとは…どうしても思えないのよね。」


「……それは…その」


 侍女は言葉に詰まり、リティシア様と目を合わせることすらできなくなったのか、俯いてしまった。


 私はこの衝撃の光景にただただ驚くしかなかった。


 リティシア様は私を最後まで信じるだけではなく…こうやって真実をいとも簡単に暴いてしまったのだから。


 こんなにも賢くて優しい人間が…それも貴族が、この世には存在していたのか。


 そんなお方を一瞬でも疑ってしまうだなんて…私は…。


「さっきから随分とイサベルを犯人に仕立てたがっていたわよね。それは貴女が犯人だと自分で言っているようなものよ。…残念だったわね。このバケツも溢れた水も、ちゃんと自分で片付けるのよ。そうしたら貴女の仕事はもう終わり。」


 リティシア様の言葉に、侍女が焦ったように顔をあげた。


「クビよ。出ていきなさい」


 これで事件は解決し、私の無実はリティシア様によって晴らされた…ように思われた。


 突如、リティシア様と侍女の間に、とある人物が立ち塞がったのである。


「お嬢様…お嬢様に使用人を追い出す権限はございません。この間の無礼を働いた侍女達も給料を下げるだけで済ませたのでしょう。もう一度処罰をお考え下さい」


 リティシア様は立ち塞がった人物に驚きを隠せない様子であった。


「ルナ、貴女どうして…」


 そこには、恐らく私をよく思っていないであろう侍女長の姿があった。

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