第164話 信じたい
違う。私は、自分の目で見たものを信じる。リティシア様は、きっと誰かを想い、助けることのできる優しい人よ。
「…リティシア様は…リティシア様はそのようなことをする方ではありません。それからその傷は…私が治癒魔法を心得ていれば今すぐ癒やすことができましたのに、お力が足りずに申し訳ございません。」
「…へぇ、純粋な良い子なのね。リティシア様が一番嫌うタイプだわ。貴女、本当に気をつけた方がいいわよ。顔面を傷だらけにされるかもしれないわ」
リティシア様の悪口を言われる度に、心が強く傷んだ。私の信じている人を、私の恩人をそんな風に言うなんて。
もしかしたら本当にリティシア様が侍女に対してそんなことをしてしまったのかもしれない。
でも少なくとも今のリティシア様は違う。私は今のあの人を信じたい。信じてあげたい。
「リティシア様を…私の尊敬するリティシア様をそのように言うのはやめて下さい!過去に何があったのかは知りませんが、私は今のリティシア様を信じます!本当にその傷がリティシア様によって作られたとしても…今は反省しているはずです。私が代わりに謝ります!だから、どうかリティシア様を許して…」
その瞬間、侍女が水入りバケツを思い切り蹴り飛ばした。
金属製であった故に勢いよくバケツが倒れる音は轟音となって廊下に鳴り響く。この音の大きさでは少し離れた部屋まではっきりと聞こえてしまっているだろう。
水はそのまま溢れて流れゆき、私の足元を軽く濡らした。
「私が優しく忠告してあげてるのが分からないの?私が代わりに謝るからリティシア様を許せだって?そうね、あの女が直接私に土下座でもしたら許してあげてもいいわ。」
「それは…リティシア様に伝えてみます」
「無理よ。あの女は貴族としてのプライドがある。絶対に謝らないわ。」
「いいえ、リティシア様は悪いことをしてしまったらきちんと誠心誠意謝ることのできる方です!私には分かります!」
「無理」
「いいえ、できます!」
「…生意気なのよこの平民風情が!」
「きゃぁっ」
感情が高ぶった侍女は勢いよく手を振り上げる。その手は、私の頬を狙っている。いくらなんでも言いすぎたか。これは
私は強く目を瞑った…のだが、いつまで経っても痛みが現れない。なにかおかしいと思い、目を開くとそこには真っ赤に輝く髪が揺れていた。
「一体なんの騒ぎ?」
リティシア様が、侍女の腕を振り上げたままの状態で強く捉えていた。
侍女は驚いてすぐに腕を引くと、「リティシア様…」と悔しそうに呟いた。
「リティシア様…ありがとうございます。」
「イサベル、礼はいいから貴女の口から状況を説明して頂戴。何があったの?」
リティシア様はこちらに背を向け、侍女を見つめたままそう呟く。私の意見を最優先に聞いてくれるようだ。
すると侍女が私が何か言うよりも早く言葉を発した。
「リティシア様、私はその者を教育していただけです。少し感情が高ぶって手をあげてしまいましたが、全て彼女の為にしたことです。どうかお許し下さい!」
先手を打たれてしまった。
リティシア様は先程のことは勿論、昨日の夜の出来事も知らない。
長年勤めてきた侍女と昨日会ったばかりの平民。そのどちらを信じるかなど明白だ。
いくらリティシア様が私を信頼してくれているとはいえ、こればかりはもうどうしようもないかもしれない…。
私がなんと言葉を発するべきか悩んだ時、リティシア様が普段より少し低い声で、呟いた。
「…え?貴女が教育に使う台詞は『生意気なのよこの平民風情が!』なの?随分過激な言葉を使うのね。一体貴女自身はどういう教育を受けてきたのかしら。」
「そ、それは…」
そうか、リティシア様は…ちゃんと聞いていたのか。だから私を真っ先に庇って、私から話を聞こうとしてくれていたんだ。
私はリティシア様が私の思っていた通りの優しい人であることに喜びを覚えつつ、侍女の語るもう一人のリティシア様の性格について考えずにはいられなかった。
平民に対しても優しく接してくれるリティシア様が、一体何故?
ここまで侍女がリティシア様を嫌っているのはきっと何か理由があるはずだ。
それは…もう一人の…私の知らないリティシア様と関係があるのだろうか?
信じると決めたはずなのに、私は少し不安な感情を抱えていた。
「…それに私はイサベルに話すように言ったはずよ。主の命令に逆らうだなんて命知らずにもほどがあるわ」
リティシア様は強く侍女を睨みつけ、彼女を取り巻く空気の温度が急激に上昇する。これが彼女の持つ魔法なのだろうか。
しかしリティシア様にそのような態度を取られても、侍女は強気な姿勢を見せた。
「…申し訳ございません。それから、先程のイサベルさんに対する発言は…少し言葉を誤ってしまっただけです。それに…私は長年この屋敷で働いております。リティシア様はそんな私よりも昨日入ったばかりの平民を信じるというのですか?」
やはり信頼の差…そして身分の差というものがある。長年積み上げてきた信頼、そして身分にはどうしても勝てない。
それを引き合いに出されてしまえば、私は…。
折角一度は信じてもらえたのに、結局追い出されてしまうのだろうか。
恩人であるリティシア様に誤解されたまま、虚しくこの屋敷を去るのだろうか。まだリティシア様がどんな人かも知ることができていないのに…。
そう思ったその瞬間、リティシア様は冷静に、意外な言葉を発した。
「えぇ。私はイサベルを信じるわ。私のスープにトマトを入れるような侍女はとても信用できないもの」
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