第146話 呪い
彼女の腕に刻まれていた禍々しい紋章に、私達は驚きを隠せない。イサベル自身も気づいていなかったようで、「いつの間にこんなものが…」と困惑気味に呟いている。
それは王族の紋章とは明らかに異なり、見たこともない生物を形どったような不気味なデザインであった。
「…侵入者か」
イサベルの腕に夢中で、背後に近寄る影に私達は気がつかなかった。低い声に驚き振り向くと、あのイサベルを連れ去った大男が怪訝そうにこちらを見下ろしていた。
「あんたね…この子を攫ったのは」
私が強く睨みつけると、大男は悪びれる様子もなく平然として答えてみせる。
「そうだが?お嬢ちゃんも売ったら金になりそうだな。真っ赤な髪にピンクの瞳か。それにそのドレス…どうせどこぞの下級貴族のお嬢様が迷い込んだんだな。ここまで来た根性だけは認めてやろう」
そう言って私の髪に手を伸ばしたその腕をアレクシスが乱暴に払いのける。そして私よりも鋭い眼光で大男を睨みつけて叫んだ。
「おい、今すぐこの子にかけた呪いを解け」
「呪い…?呪いってどういうこと?」
呪い…呪いという言葉の意味は分かる…。でも小説ではそんな内容は出てこなかったはず。
主人公であるイサベルは両親を失ったどん底の人生から皇后の座を勝ち取るという完全なるシンデレラストーリーを歩んできたんだから。そんな恐ろしい内容は一切語られなかったし、そういう素振りすらなかったわよ。
「大昔に罪人を罰する為に使われていた魔法の一種だ。自分の言う事を聞かなければその紋章から電流を流し、手足すら自在に動かすことのできる恐ろしい魔法…でもこれはもうずっと前から禁じられていたはずなのに…」
アレクシスは自分の知識と明らかに噛み合わない現実に戸惑い、困惑しているようであった。
…ただそれは私も同じだ。知り尽くしているはずの小説の世界で、私の知らない世界がどんどん展開されている。
呪い…そんなものがここでは平気で存在するのね。
「ほう、そんなことまで知ってるとは随分と物知りだな。学者の息子か?…まぁそんな事はどうだっていい。全部知ってるなら話は早いな。」
「…そうよ。もう全部知ってるの。貴方の悪事全てをね。捕まりたくなければ今すぐ彼女を開放しなさい」
あくまでも余裕を貫く男に私は強気に出てみるが、彼は全く焦る様子を見せない。
…ちなみに全て知っているというのはアレクシスの豊富な知識を利用しただけのただのハッタリだ。
「…貴族のお嬢さん。君は状況を分かっているのかな?ドレス姿の箱入り娘と普段から鍛えている俺…果たしてどちらが勝つだろうか?」
…なるほど、完全に私を何も出来ない箱入り娘だと思っているのね。
「そんなの決まってるわ。捕まる前に貴方を燃やしてやれば私の勝ちよ」
私は手に浮かぶ炎に魔力を込め徐々にそれを巨大化させていく。こういう相手をなめてかかってくる人間には圧倒的な力を見せつけてやれば黙るものなのよ。
しかし男は大きくなっていく炎を前にしても尚冷静なままであった。何かおかしいと思い少し炎が揺らいだが、これが相手の狙いなのではないかと思い直し再び魔力を込める。
その瞬間、アレクシスが私の腕を軽く掴み、冷静に声をかけてきた。
「ちょっと待って。呪いをかけた相手とかけられた相手には一種の絆のようなものが発生するらしい。つまりその男を傷つければ…イサベルにも被害が及ぶ可能性が高いってことだ。下手に攻撃するのは避けた方がいい」
アレクシスが私を止めたことで男は少し面白くないといった様子を見せたがすぐに表情を変え不気味に笑ってみせる。
こいつ、全部分かっててわざと止めなかったのね…。アレクシスが止めなかったら危うくイサベルを攻撃してしまうところだったわ…。
「そこの男はお嬢さんと違って少しは話が通じるようだな」
「なんですって?」
「彼女を侮辱するな。今すぐ牢屋を開けてこの子を開放しろ」
「分かった、君の博識に免じて牢屋を開けてあげよう」
突然素直になったかと思うと男は私達を押しのけて牢屋の扉に鍵を差し込むと本当に扉を開けてしまう。何を考えているのか分からないが扉は開けてくれるらしい。
この隙にこいつだけ気絶させて逃げられないかしら…。
「一体何を…」
何もせず開放する訳はないと察した私達は警戒して特に行動を起こさずに男を睨みつける。
イサベルの呪いを解いてここから安全に抜け出す方法を早く見つけないと…。
そう思ったその瞬間、突如として男の手が怪しく光り出した。何もなかったはずのそこに浮かび上がったのはあの禍々しい紋章であった。
「きゃぁぁ」
「イサベル!」
途端にイサベルは腕を抑えて苦しみ出してしまったのでこれが呪いによる作用であるとすぐに気づく。私とアレクシスが彼女に近寄り、その腕を見るとやはり紋章が不気味な光を放ち続けていた。
どうしよう、どうやって助ければいいの!?呪いなんてその存在を今さっき知ったばっかりで解く方法なんて検討もつかないのに…!
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