第147話 世界の闇

「イサベル!しっかりして!」


「イサベルさん!」


暫く腕を抑えていた彼女であったが、ある時を境にピタリと動きが止まる。苦しみの表情も消え、ただ何処か一点を見つめている。


そして突然華奢な腕ではあり得ない程の強い力で私とアレクシスを突き飛ばす。そしてこちらに冷酷な眼差しを向けたかと思うと、自らの足で男の元へと歩いていく。


これが呪い。禁じられた魔法…。


アレクシスの言っていた通りだ。手足すら自在に操ってしまう恐ろしい魔法……。


アレクシスの様子を見るに恐らく呪いを解くことが出来るのはかけた本人…ただ一人だけだ。


男はイサベルが逃げられないよう腕で彼女の首を固定すると突き飛ばされ尻餅をついた私達の姿を見て嘲笑う。


私達はすぐに立ち上がり、男を強く睨みつけた。


「そういうことだ。この呪いがある限りこの子は俺から離れられない。それにしても…こんなに美しい金色の瞳は他に見ない。容姿を話したらすぐに買い手が見つかるほど価値のある娘だ。逃がす訳にはいかない。それから呪いはそのままこの子の買い手に譲るつもりだ。」


「呪いの譲渡だって…?そんな事をしたらお前にまで影響が出るぞ。一度結んだ呪いは簡単には壊せない。無理やり他人に譲るとなれば身体の一部が完全に使えなくなる」


…確かにそんなリスクがあるのにわざわざ呪いを譲ろうとは思えないわね。


しかしアレクシスの言葉を聞いても尚怯える様子を見せず、相変わらず男は不気味な程に平然としていた。


「…一体いつの時代の話をしているのかな?禁じられてはいたが、呪いはずっと昔から生き延びていたんだよ。こんなに便利な魔法は他にないからな。呪いは長い年月を経て数え切れない実験を行い、改良を繰り返した。その結果、欠点は殆ど補われ、今では目眩がする程度で済むんだ。影の世界では常識だが…お前らみたいに光の世界で生きる奴らには知らない話だったかな」


光と影…そうね、確かに私達は環境に恵まれていて影の世界に手を出す必要はない。仮に私が本当のリティシアであったとしてもそれは知らない世界であったはずだ。


小説のリティシアの主人公を助けるというほんの些細な気まぐれが、その後の彼女の人生を大きく動かしていたと言わざるを得なかった。


今リティシアはここにいない。イサベルを助けられるのは…私達だけだ。


「闇の魔法も同じだ。今もどこかで密かに生き延びている。使える人間が表に現れていないだけで、闇の魔法は確実に存在する。何故ならそれが便利だから。呪いも同じ理由で影の世界で根強く生き延びてきたのさ」


聞いてもいないのに影の世界の情報をいとも簡単に話すということはここから帰す気がないという気持ちの現れなのであろうか。


私達をこのまま無事で帰すつもりがないからいくら情報を知られてもそれが外に漏れることはない…そう思っているのね。


だったら私と貴方の関係を変えてあげればいいのよ。迷い込んだ哀れな娘じゃなくて…商売相手になったら貴方はどう出るのかしら?


「…分かった。じゃぁこの子を買うわ。貴方の言い値の五倍…いや十倍の値段を約束するわ。だからその子を私に売って頂戴」


勿論そんなお金は今は持っていないけど、お父様にお願いして払ってもらおう。どうせ捕まえるから払うつもりなんかないけどもしもの時はそうするわ…。


…ごめん、お父様。


「それは出来ない。さっきも話した通りもうこの子の買い手は決まってるんだよ。随分前から目を付けていた娘だ。どこぞの世間知らずなお嬢さんに渡す訳にはいかないね。いくら金を積まれてもこの子だけは渡せない。諦めてくれ」


お金じゃないって訳ね…って事はアレクシスでも無理ね。他にも色々条件をつけないとこの男から奪還するのは不可能だわ。


呪いのこともどうにかしなきゃだし魔法で一気に解決出来ないのって非常にもどかしいわね…。さてどうするべきか…。


…あぁ、そうか。気づかなかったわ。もっと確実な方法があるじゃない。


忘れていたわ…私、リティシアという存在に秘められた価値を。


「じゃぁ分かったわ…その子と私を交換して」


「リティシア!?何言って…」


「始めからこうすれば良かったのよ。」


私なら捕まっても逃げ出せる。でも魔法を発動していない今のイサベルには絶対に無理だわ。だったら私と彼女が入れ替われば良い。


「世間知らずなお嬢さんって言ったわね?私の名を教えてあげるわ。私はリティシア=ブロンド。れっきとした公爵令嬢よ。それにその子よりも魔力があるし、魔法を知ってる。さぁどっちの方に価値があるかしら」


ついでに言えば私は悪役令嬢よ。私といれば簡単に主要人物に会えるという特権が貰えるわ。…果たしてこの特権はこの人達に必要とされているのかという疑問が浮かぶけどね。


呪いの力が弱まったのか、少しずつ瞳に力が戻り、自我を取り戻していったイサベルは私の発言に驚き声を強く荒げる。


「どうかおやめ下さいリティシア様!リティシア様が危険を冒す必要はございません。今すぐお逃げ下さい!」


「分かってないのねイサベル。私にとって貴女はそれ程の価値があるという事なの。貴女を手に入れるまで私はここから出ないわ。」


貴女を逃せば私の目的は永遠に未達成のままになってしまう。それにこんな状況、イサベルが主人公じゃなかったとしても見逃せないわ。私の今の身分を利用して、絶対に助けてみせる!


「さぁ、どうするの?公爵令嬢である私の方が教養も身についている。ある程度のマナーが身についていた方が貴族に高く売れるんじゃない?ただし、私を売るならその子と交換よ。」


私のその言葉で、今まで何を言っても揺らがなかったはずの男の瞳が揺らぐのをハッキリと感じた。


これならいける。後で私は逃げればいいし、今はイサベルと私を交換して彼女の呪いを解けば…。


「…それなら公爵令嬢よりもっと価値のある人間を俺は知ってる」


私の背後で低い声で呟いたのは、他でもないアレクシスであった。


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