第108話 関係

「ところでアーグレン、お城にはいつ行くの?」


 私の問いかけに彼は答える。


「城に行く準備ができ次第すぐに行くつもりですが…先程その知らせを知ったばかりなのでまだもう少し時間がかかりそうです」


「じゃぁすぐには行かないのね。」


「はい。…あぁ、先程言い忘れたことなのですが、手紙の送り主は確かデイジー=シーランテ令嬢ですよね?」


「えぇ。そうよ?」


 唯一私と仲良くしてくれそうな令嬢の名前だもの。忘れる訳ないわ。


 ちょっと私のことを手紙で褒めすぎてるのが難点だけど…ちゃんと人にお礼が出来る良い子には間違いないものね。


「彼女の父親のシーランテ伯爵はこの国の関所せきしょをいくつか管理しています。彼女と仲良くなれたら通行証がなくても通れるようになるかもしれませんね。」


「そうなの?まぁ関所を使う程遠出をする予定はないけれど…仲良くなって損はないということね」


 関所なんてものもこの国にはあるのね…。


 リティシアになってから行ったところと言えばエトワール城とルトレット城、それから私のお屋敷くらいなのよね。行ったというかここには住んでるんだけど。


 町を歩いたことすらないし、お出かけでお城にしか行ったことがないだなんて平民が聞いたら驚いて腰を抜かしそうよね。


「そうですね。公女様ならどんな人とでも仲良くなれます」


「それはどうかしらね…貴方やアレクのように噂を気にせず私自身を見てくれる人なんて数える程しかいないんだから。大して期待はしてないわ。」


 この話を完全に終わりにするつもりで冷たく言い放ったのだが彼はまだ言葉を続ける。


「いつの日か必ず、公女様の誤解は解けます。例え公女様が望んでいなくても自然とそうなると思います」


 確信を持ったように私の瞳を真っ直ぐ見つめてそう呟くので、思わず真実なのではないかと錯覚しまう。


 すぐにその考えを振り払い、私は向けられる視線に耐えきれず視線を逸らした。


「…さぁね」


「…公女様、どうかアレクのことをお願い致します。彼は人に優しく自分には厳しい人間です。辛いことも悲しいことも全て表には出さずにたった一人で抱え込んでしまう…。私も聞き出すのによく苦労していました。ですが公女様ならきっとその全てに気づき、取り除くことができるはずです。期待しすぎだと言われても仕方ありませんが…どうかお願いさせて下さい。」


 アーグレンはそう言い終えると深く頭を下げる。


 私はその言葉でアーグレンの忠誠心の高さをよく知ることができたが、それ以上に私にかけられた期待が想像以上であることに気づく。


 彼は私がアレクを幸せにできると信じている。主人相手だから仕方なく言っているとかではなく、心からそう言っているのだろう。


 だから余計に辛い。その期待をいつか裏切ることになるなんて。


 でも時が来れば理解してくれるだろう。

 全てはアレクの為であったと…。

 そう、全ては時が解決してくれる。何も思い悩むことはない。


 とてもではないが私はその言葉に対し肯定的な返事を返す気分にはなれなかった。


 何も答えない私を前にしてアーグレンは顔を上げたが、彼がそれ以上私に答えを求めることはなかった。


 何故なら…彼が何かを言うより先に私が行動したからだ。


「…アーグレン。私とアレクってどういう関係か分かる?」


 私は答える代わりに問いかけると彼は突然のことに面食らいながらも少し悩んだ後に声を発する。


「婚約者…です」


「婚約者って何をした人?」


「互いに結婚の約束を交わした人です」


 私は彼の言葉に頷く。

 私は彼の口からその返答が出るのを待っていたのだ。


「そうよ。約束。あくまでも約束にすぎないの。それ以上でもそれ以下でもないのよ」


 私の言葉を受け、アーグレンは目を見開く。まさかそんな返答が返ってくるなどとは思っていなかったのだろう。


 でも本当にそういうことだ。

 婚約とはあくまでも約束。約束はある瞬間を境に無効になることだってあり得るのだから。


 私はその絶対ではない曖昧さを利用して破棄しようとしているのだから、それをよく理解している。


 流石に今の言葉を聞いた後ではアレクを任せる等の発言はできないだろう。私は冷たく突き放したも同然なのだから。


 しかし彼は予想外の言葉を口にした。


「公女様は…アレクのことがお嫌いなのですか…?」


 私は驚いて目を丸くし、焦った挙げ句になんとも曖昧な返答を返してしまった。


「…好き嫌いは関係ないの。さっきも言ったでしょ」


 さっきは流れるように言ってしまったし感情に任せていたからこいつとうとうおかしくなったかとしか思われなかったかもしれないけどここまで冷静に言えば流石に分かるでしょう。


 兎に角これしか言えないのよ。今の私にはね。


「さぁもう部屋に戻りなさい。今日は疲れたから少し休ませて。…私のこと信じるって言ったのにそう何度も何度も同じようなことを聞くのは許さないわよ」


「はい…申し訳ございません。失礼します」


 私は去りゆくアーグレンの背中をただ黙って見つめる。


 彼は一度も振り返らなかった。




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