第7話 疑惑
「…お嬢様…すみません、お嬢様。少しよろしいでしょうか」
先程から何度もルナに声をかけられていた事にそこで気がついた私は本をそっと閉じ、顔をあげる。
彼女は怪訝な表情を隠そうともせず、私をじっと見つめている。
「ごめんなさい、気がつかなかったわ。」
「…お嬢様、使用人に対してそう謝罪やお礼をなさる必要はございません。今まではしてこなかったのに、急にどうなさったのですか?」
聞けば聞くほどリティシアは使用人に対して相当酷い扱いをしていたらしい。小説では主人公がメインで次に多く出てきたのはアレクシスだったから…そんなに細かく描かれてないのよね。
「…使用人だからって働いてくれるのは当たり前じゃないわ。謝罪もお礼もするのは当然のことよ。」
私は理不尽な悪役令嬢にはなりたくない。結局死ぬのは目に見えてるし、何より心苦しくてそんな事はできない。
最低限の礼儀をわきまえた上で、最悪な令嬢を演じて、婚約破棄を命じられるようにするの。…上手く言葉に出来ないけど、史上最悪の悪役令嬢になるもう何歩も手前みたいな、そんなイメージかしらね。
わざわざ最悪な令嬢を演じなくともアレクシスに婚約破棄を言いつければいいと考える人もいるかもしれない。
しかし私の知るアレクシスという人間は、そんな簡単に流される男ではない。
勿論リティシアを愛している訳ではない。
しかし彼の尊敬する父の決めた婚約相手であるため、別れる訳にはいかないのだ。
それに彼自身、意外と頑固なところがあり、一度決めたらなかなか覆すことはない。
自分の目でリティシアが酷いことをしている現場を見るまで、決して婚約破棄はしないだろう。
…この方法はあまりやりたくない。私はなるべく殺されにくく、密かに暮らせるルートを辿りたい。
一番はアレクの幸せ、二番は私が生き残ること。本当にどうしようもなく、最悪の場合は…死んでも彼を幸せにする。
「…そう、ですか。…お嬢様に、お聞きしたいことがございます」
「丁度良かった。私も貴女に聞きたいことがあったの。貴女からどうぞ」
私が微笑むとルナは心底不思議そうな表情を浮かべる。
「…数週間、勝手ながらお嬢様を観察させて頂きました。」
彼女は少しずつ、私の機嫌を窺いながら言葉を紡いでいく。
「えぇ、そう。それで?何か分かった?」
バレたかな…リティシアじゃないこと…。
心臓が激しく音を立てていることに気がつかないフリをして、私は真顔を保ち、あくまでも平静を装う。
大丈夫、リティシアじゃないから殺すなんてことは、いくらなんでも言わないはず。
というか侍女に出来ることなんて限られてるし最悪魔法を使って逃げれば…あっ、まだ使い方分からないんだったわ。魔法の使い方なんて小説にも書いてないし本にも細かくは載ってなかったのよね…。
本当に習得するには誰かに聞いてみるしかなさそう。
とにかく、なんとしてでも生き延びる。こんなところで死ぬわけにはいかないもの。誤魔化すのよ。
「はい…。…お嬢様、何か企んでいらっしゃるのですか?」
「…え?」
「気を悪くされたら申し訳ありません。…今までお嬢様には散々…悪戯をされてきました。しかしこのような悪戯は初めてです。悪戯でないのなら使用人に優しくして、一体何を企んでいらっしゃるのですか?」
「…何も。何も企んでいないわ。私は変わったのよ」
リティシア…あんた使用人にここまで言われるってほんとにどんな人間だったの…貴女一人を書いただけで一冊の分厚い本が出来そうだわ。
でもそれはそうか。
別人だと疑うより気が狂ったと考える方がずっと現実的だもんね。
「…変わった…本当にそうですか?」
「…えぇ」
どうにか貫き通す秘訣は余計なことを一切話さないこと。
無駄なことを永遠と話して誤魔化そうとするようでは素人としか言えないわね。…別に私が詐欺師だったとかではないけれど、なんとか誤魔化し通すにはこれを使うのが鉄則だったのよ。
それに厳密に言えば人が変わってるんだから嘘じゃないしね。
「ルナ。私に仕えて今年で何年になる?」
「7年目になります。」
思ったより長かったわ…。でもこれで納得がいく。リティシアに強く言える訳が、今ようやく分かった。そして私がこの質問をしたのには、ある意図がある。
「ルナ。7年も仕えた主人を疑うなんて、あまりにも酷いと思わない?」
こんな事を言うのは心苦しいけどこれ以上疑われたら困るから…釘を差しておかないといけない。
ルナは驚いたように目を見開き、そして「…はい。申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」と謝罪をし始める。
とても心苦しい。本当は私には数週間しか仕えてないのに。こちらが全力で謝りたい。
「でも私の事をよく見てくれていることはよく分かったわ。特別にルナにだけ、今私が一番したいことを教えてあげる。」
「お嬢様が一番したいこと…でございますか?」
「えぇ。私は、アレクシス王子と婚約破棄をするつもりよ」
その言葉が飛び出した瞬間、ルナの目は落下を疑うくらい見開かれ、あまりの衝撃に口元を手で覆ってしまった。
「そんな、お嬢様はあれだけ殿下との婚約をお喜びになられていたのに…。」
その人とできるだけ早く仲良くなるための方法は、情報をその人にだけ特別に与えること。その人を特別扱いしていることを明言して、こちらも特別扱いしてもらうという魂胆ね。これでルナが上手く私を信じてくれるといいんだけど…。
「詳細は後々話すわ。この事実は、貴女しか知らない。」
未だに困惑しているルナの手を握り、彼女の目を見つめる。ごめんね、混乱させちゃって…。
「言っておくけど、アレクシス王子が嫌いなわけじゃない。私には相応しくない…そう感じただけよ。」
「ですが、やはり納得ができません。お嬢様はあれだけ…」
「うん。だけど私は、もう決めたの。誰に何を言われても変えるつもりはないわ。」
「そう、ですか…」
ルナは悲しげに表情を歪める。…どうしてリティシアにこんな顔が出来るんだろう。貴女にも酷い扱いをしていたはずなのに。まぁ、7年もいたら情が湧いちゃうのかもしれないわね。
ルナへの親密アプローチは失敗に思われた。
…だが、婚約破棄を決めた可哀想な令嬢を哀れに思ったのか、彼女は私の手を掴んで目をじっと見つめてくる。
「お嬢様、疑ってしまって申し訳ありません。人は誰しも変わるものですよね。それにお嬢様がアレクシス殿下との婚約を破棄なさろうとしていたとは…。そこまで悩んでいたなんて気づきませんでした。申し訳ありません!」
…あら?なんか違う方向に理解されちゃった気がする。…うーん、でもなんか私はリティシアだって納得してくれたみたいだし結果良ければ全て良しよね。
あぁ、何故お嬢様と呼ぶのか聞くのを忘れていたわ。でもいいや。
なんかルナがすごく幸せそうだから。
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