第14話
「ね、ねえ、マリナさん。今までずっと疑問だったんだけど、こんな高価なものを、その、いつもどうやって仕入れてるの…?」
「うわっ、ソラちゃん、ついにそれ聞いちゃうの!?」
恐る恐る切り出すと、頭を押さえてうずくまっていたメイがバッと顔を上げた。
よほど痛かったらしく、まだ目は潤んだままだったけど、かねてより疑問に思っていたのはメイも同じ。
その顔は溢れる興味にキラキラと輝いていた。
「やっぱりその、貴族と取引してるんだよね…?」
何故貴族と商売するのが尋常なことではないのか。
それは、私達の住むアリガルース王国には不敬罪というものが存在するからだった。
不敬罪とは名前のとおり、貴族に失礼なことをすれば罪になるというもので、実際、前で転んだだけで牢屋送りにされたなんて話もあったりと、平民は圧倒的に立場が弱い。
もちろん貴族だって横暴な人ばかりではないし、そもそも取引している人がいるから彼らも生活できているわけなんだけど、なにせ、少しでも相手の機嫌を損ねてしまえば商売どころか自分の身が危うくなるのである。
しかもそれが上位の貴族ともなれば尚更のこと。
どう考えてもリスクの方が高く、慎重なマリナさんが取引相手に選ぶ理由が分からなかった。
「なんだ分かってるじゃないか、と言いたいところだが、聞きたいのは、どうして貴族なんて危ない奴らと取引してるのかってことだろう?理由は単純さ。得られる利益が大きいからだ。それに、アンタが思ってるほど貴族ってのは危なくはないんだよ。むしろ、本当に怖いのはアタシ達商人なんだからね」
というわけで質問をしたんだけど、答えるマリナさんはあっけらかんとしたものだった。
ど、どういうこと…?
咄嗟に意味を掴みかねて、思わずメイと顔を見合わせてしまう。
そんな私達を見てニヤリとちょっと悪い顔になり、マリナさんが説明を続ける。
「商人ってのは損得に敏感な分、耳も早い。しかも商売敵、あるいは仲間として至る所で誰かしらと繋がってるもんだから、噂の類いは驚くほどあっという間に広まるんだよ。つまり、もし貴族が権力をかさに着て横暴な振る舞いなんてしようものなら、それが瞬く間に伝わって、たちどころに誰からも相手にされなくなるってことだ。損をすると分かってて近づくバカはいないだろう?
そして商人に見放されれば貴族はすぐに立ち行かなくなるし、しかも奴らはアタシ達よりも損得の考え方が徹底していてね。たとえ仲間であっても旨みがないと判断した瞬間、コロッと掌を返すなんてことは日常茶飯事。だから貴族とはいえ、アタシ達商人相手には下手なことはできない。それどころか大商人ともなれば、貴族の方が気を遣ってもてなす、なんてことすらあるわけさ。…もっとも、何事にも例外というものはあるんだけどね」
でも、最後はそう言って皮肉げに口の端を上げた。
…もしかして、過去に何かあったのかな?
その様子に、心の中で首を傾げてしまう。
マリナさんを始め、村のみんなとは小さい頃からずっと一緒にいるけど、実は過去についてはほとんど知らない。
唯一知っていることと言えば、この村で生まれた私とメイ、ミーアを除いて、みんな出身はバラバラで、縁あってここに住み始めたということくらい。
別に聞いては駄目だと言われているわけではないし、聞けばきっと教えてくれるんだとは思う。
でも何となく聞いて欲しくなさそうな感じもあって、それはやはりメイも同じだったので、気にはなるけど、いつか話してくれるまで待っていようと二人で密かに約束していた。
ただ、そんな理由からマリナさんの珍しい表情が少し気になったものの、
「ま、だからアタシ達のような平民でも、商人なら、貴族と繋がりがあってもなんらおかしくはないってわけだ」
次の瞬間にはいつもどおりの調子に戻っていたので、それもすぐに頭の片隅へと追いやられた。
「なんか、思ってたより普通の理由だったね…」
「アンタは何を期待してたんだい」
あからさまにがっかりした顔を見せるメイに、マリナさんが苦笑いを浮かべる。
なんか、貴族も大変なんだなぁ…。
一方で、私はなんだか目が覚めるような気持ちだった。
貴族というのは色んな特権と裕福さを持った雲の上の存在で、何不自由なく暮らしているのだと漠然と思っていたけど、今の話を聞く限りではむしろ逆で、色々と気苦労も多く、むしろ窮屈そうな印象すら受ける。
少しだけ、貴族が身近な存在に思えてきた。
「うーん、なるほど…。でもやっぱり、あんまり危ないことはして欲しくないなぁ…。貴族と商売しなくても、十分食べていけるわけだし…」
ただそうは言っても安心できるかどうかはまた別問題であり、新しい発見と共に疑問が消えると、途端に今度は心配になってきた。
何しろ、若干は印象が変わったとはいえ、依然相手は不敬罪という特権を持っていることに変わりはないのである。
どうしたって万が一ということはあるわけで、身内としては危ないことはして欲しくないというのが正直なところだった。
「……」
私の言葉に、マリナさんが一瞬きょとんとした顔を見せる。
けれどすぐに大笑いされてしまった。
「あっはっは!何を言い出すかと思えば、いっぱしにアタシの心配かい?それよりも、アンタはもっと別に心配すべきことがあるんじゃないかと思うけどねぇ」
「う…」
そのままからかうような目を向けられて、思わずたじろぐ。
た、確かに…。
つい口をついて出てきてしまったけど、マリナさんは熟練の商人。
言わばリスクを見極める達人であり、それを商売のしの字も知らない、それどころ満足に人と話すこともできない私が心配するなんて、よくよく考えれば筋違いも甚だしい。
マリナさんの言うとおり、いらない心配をする前に、私はまずこの情けない人見知りを直すべきだろう。
…あれ?
でも、そもそもマリナさんはどうしてそんなに稼いでるんだろう…?
ただ、恥ずかしさに顔が火照ってくるのを感じる中で、ふとそんな疑問が浮かんできた。
お肉や魚、山菜など、食料の大半は北の森やその周辺で手に入るし、お金を使うのは小麦や薪など、村では入手が難しい品を買うときくらいのものだから、今自分で言ったとおり、食べるためならばわざわざ貴族と取引をしてまで稼ぐ必要はない。
メイのようにお菓子作りの材料や、お洒落のための道具が欲しいというのなら分かるけど、マリナさん一家の慎ましい暮らしぶりを見れば、稼いだお金をそういったものに使っているとも思えなかった。
なんて、突如として出てきた新たな疑問に首を傾げていたものの、ま、気持ちだけ受け取っておくよ、と豪快に背中を叩かれてすぐに我に返る。
「そうそう!だってほら見て、マリナさんのこの逞しい腕を!これなら貴族どころか魔物の群れが出てきたって一網打じ…んだぶぅっ!?」
「アンタも、その考えずに喋る癖を直しな。王都に行ったら拳骨程度じゃ済まないよ」
そして、ぺちぺちと得意げな顔でマリナさんの腕を叩いていたメイが、ため息交じりに拳骨を落とされて、ふぉぉ…!とまた頭を押さえて悶絶するのを見る頃には、疑問はすっかりと頭から消えていた。
雑談のあとは、いよいよお手伝いを始める。
今回の内容は、大陸各地の経済状況を始めとするあらゆる情報の整理とまとめ。
この情報はマリナさん達が各地を巡ったり、あるいは仲間の商人から聞いたりして集めたもので、ここから物価に関するものを見つけてまとめるのが私達の仕事となる。
各地の物価を押さえる理由は、単純に品物を安く仕入れるため。
同じものを買うにしても場所によって倍以上価格が違うなんて当たり前だし、物価というのは常にどんどん変動するから、突然高騰して手に入らなくなるなんてことにもなりかねないので、こうして頻繁に各地の情報を確認することはとても大事なことだった。
ただ。
「えっとなになに…『バースマルド公国の首都ノーラデリツェ近郊にあるこの村では、今年も【誰が一番面白い顔をできるかコンテスト】で盛り上がっており…』って知らないよ!?何このコンテスト!?いや、ちょっと気にはなるけどさ!?」
「こっちには『帝国エールダニア区では当主が大層可愛がっていた猫の一匹が行方不明になり、一時は軍まで出動する大騒ぎになった』なんていうのもあったよ…」
「平和だね!?」
うがーっ、とメイが頭を抱えて絶叫する。
それも無理のないことで、この整理すべき情報というのはとにかく量が多いのである。
物価というのは何も市場に並ぶ値段のことばかりでなく、例えば大きな災害があれば、連動して資材や食料の値段は上がるし、他にも内政の変化や市井の流行廃り、延いては噂話といった、一見すると関係なさそうなものの中にも隠されているため、種類も実に多彩。
当然これら集められた情報には規則性も統一性もまったくなく、挙げ句には文字に癖がありすぎてそもそも読むことすら難解な報告書もある中で、何がどこに繋がっているのかを考えながら一つ一つ読み解いていくという作業は、それなりの時間と根気が要求された。
「こんな情報から何を読み解けと!?」
「う、うーん…、面白い顔の練習をするために必要な鏡の需要が高まった、とか?エールダニアの方は当主がそこまでするくらい猫好きなんだから…、これから猫がたくさん増えるとかかなぁ…」
「ホント、平和だね!?」
流石に今の情報が物価に関係してくるとは思えないけど、一応頑張ってひねり出すと、メイがもう一度叫んだあと、くたりと机に突っ伏した。
「あぁ~も~、ホント何なのこの量は~…。文字や数字ばかりで目が痛くなってきたぁ~…。身体動かしたい~…」
「アンタ、力仕事のときは真逆のこと言ってるじゃないか。それじゃ、次はこれも頼むよ」
しかし目をしょぼしょぼさせるメイの前には、ズシンッと無情にも次の書類が積まれてしまう。
「えええ!?」
その振動でメイが飛び起きたものの、積まれた書類の山が高すぎてぴょこぴょこと動く髪しか見えない。
でも髪の動きだけで表情が目に浮かんでくる様子は何ともメイらしくて、少し可笑しかった。
「ああ、あと、そこに積んである奴もやっといておくれ」
「ええええ!?」
「そうだ、倉庫にある在庫の整理も頼もうかね。それなりに重たいが、ちょうどいい。身体を動かしたいんだろう?」
「えええええ!?」
たたみかけるように次々と仕事をお願いされる度に、メイの髪が生き物のように飛び跳ねる。
…マリナさん、ちょっと楽しんでない?
そうして度々メイの悲鳴がこだまする中、たっぷり一日かけて仕事をこなしていった。
本当は仕事のあと、大招集の試験内容についてマリナさんに教えてもらおうと思っていたんだけど、もはや声すら上げずにぐったりと突っ伏すメイを見て、やっぱり明日にしようと思い直す。
ただ、明日は力仕事がメインだから、メイ、大丈夫かな…。
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