第10話

「失礼します。ご主人様、ソラが参りました。…ついでにお嬢様もいらっしゃいますが」

「私の扱い!」


 トキサダさんと別れて少し歩けば、すぐに書斎へと到着する。

 コツコツとチアキさんが叩くのは、ノブのついた扉。

 ほとんどの部屋が引き戸のこの家において、ここだけは大陸の一般的な様式を用いていた。

 というのも書斎は客間も兼用しているからであり、中もやはり相応の内装となっている。

 もっとも、この部屋が書斎以外の用途で使われることは滅多になく、お昼前にすれ違った若い兵士達がここに案内されたのだとすれば、実に数年ぶりに客間として使われたことになる。


「ええ、ありがとう、入ってもらって。ついでにミメイもね」

「だからなんでおまけ扱いなの!?」


 向こう側からクスクスと楽しそうな答えが返ってくると、恭しくチアキさんが扉を開けてくれたので中へと入る。

 途端に本の匂いというか、書斎特有の空気が鼻腔を通り抜けていった。

 同時に、部屋を覆い尽くすほどの無数の本棚の数々が目に飛び込んでくる。


 相変わらずすごい量だなぁ…。


 天井にまで届く高さがあり、正面の窓から差し込む光に照らされたそれらには、紙一枚すら入らないほどびっしりと本が詰められている。

 けどそこに雑然とした感じは一切なく、むしろ美しさすら感じられる規則正しい配置と、塵一つ落ちていない室内を見れば、部屋の主を知らない人でもたちどころにその性格を理解できるに違いない。


「……」


 ずいぶんと久しぶりに感じる書斎の様子を改めて眺めていると、スッと一礼してチアキさんが音もなく退室した。

 うっかりすると退室したことにすら気づけない非常に洗練された立ち振る舞いは、もはや王城にあっても十分通用しそうな気がする。

 ちなみに、大招集で集められるのはすべて平民であり、貴人や客人の前にはほとんど姿を見せない下働きに従事するため、チアキさんのような立ち振る舞いを要求される心配はまずない。


「お帰りなさい」


 と、そんな部屋の景色に溶け込むようにして、向かって正面にある年期を感じさせる長机に、窓を背にして座っていたサトリさんが、手に持っていた書類を置き、深みを感じさせる黒い目を柔らかく細めて、おもむろに近づいてきた。


「うん、ただいま」


 私も自然と笑顔になるのを感じながら返事をする。


 サトリさんは、メイが大きくなったらきっとこんな風になるんだろうなぁ、とつい考えてしまうほどよく似ていて、腰まで届くメイよりもさらに長い髪を、後ろで自然な感じにまとめて流している。

 染め色も今日は同じ赤茶色。

 なお、地毛もメイとお揃いの綺麗な漆黒である。


 ただ当然と言うべきか雰囲気は全然違っていて、理知的で落ち着いた物腰のサトリさんが感情的になったり、狼狽えたりしたところは、未だかつて一度も見たことがない。

 物心ついた頃に始まり、今もなお色んなことを教えてくれる、もう一人のお母さんのような人。

 私もいつかはこんな風に堂々とした格好いい人になりたいと、実は密かに目標にしている。


「さ、座って頂戴。きっと皆からも散々言われているでしょうけど、無事に戻ってきてくれて嬉しいわ」

「本当にみんなから言われてるよ…」


 でも続く一言により、さっきまでの一連の出来事を思い出してしまい、ガックリと肩が落ちてきた。

 それを見て、サトリさんがまた可笑しそうに笑う。

 そのまま手前にある、来客用の小さなテーブルに連なる椅子を勧めつつ、私達の向かいに腰を下ろす。


「失礼します」


 座って間もなく、チアキさんがお茶を持ってきてくれた。

 手にした途端ふわりと漂ってくるのは、焙じた茶葉の香ばしい匂い。

 これも北の森の恵みの一つである。

 香りと共に一口すすれば、ほぅと思わず息がついて出てくる。

 冷たい井戸水や湧き水を喉で飲むのもいいけど、暑い日に温かいお茶を静かにいただくというのもまた、幸せのひとときであることに違いない。


 落ち着くなぁ…。


 お茶を配ったあとは一礼し、やはり音もなく去っていく。


 流石だなぁ…。


「落ち込むことなんてないわ。貴女はちゃんと自分の弱点を知り、それを克服しようと努力しているのだから。大招集にも応じるつもりなのでしょう?」

「うん。えへへ、やっぱりサトリさんにはお見通しなんだね」

「ふふ。貴女のことは生まれたときから知っているもの」


 やっぱりちゃんと見てくれてたんだ。


 嬉しくて、つい頬が緩んでくる。

 サトリさんは、鋭いメイが「未来予知」と恐れるほどの観察眼と考察力を持った人で、こんな風に昔から本当に何でも見通してしまう。

 さらには知識も豊富で人をまとめるのも上手なのだから、村の長となり、みんなから一目置かれているのも必然だと言えた。


「だから、ミメイが今日も仕事を投げ出したということも、チアキから報告を受けずとも分かっていたわ」

「ぎくっ」


 ただそんな私の一方で、美味しそうにお茶をすすっていたメイの方は、突然話を振られてビクリと飛び上がった。

 熱い熱い!と慌ててハンカチを取り出して顔を拭うメイにため息をつきつつ、サトリさんもお湯飲みを傾ける。


「まあ、その話はあとでするとして、今はソラの報告を聞かせてもらいましょうか」

「うぐ…、やっぱりお説教はあるんだ…。あ~あ…、そろそろお母さんも慣れて流してくれるんじゃないかな~、って期待してたのにな~…」

「…どうやら、私が何故貴女と話をするのかについても話し合った方が良さそうね」

「噓ですごめんなさい!」


 だからお説教追加だけはやめてーっ!と、顔から血の気を引かせて、今度はお湯飲みの中身がすべて飛び出てしまいそうなくらい震え始める。


「え、ええと…、あ、台車ありがとう!返すのはメイにお願いしちゃったんだけど…」


 なんだかこのままだとどんどん墓穴を掘りそうな気がしたので、慌てて話題を変える。

 ちなみに、過去におけるメイの一日のお説教最多記録は五回。

 その時は、終わったあと真っ白な灰になっていた。


「ええ、受け取ったわ。もっとも、倉庫にこっそりと返されていたのだけれど。そういえば、売り上げの袋もいつの間にか机の上に置かれていたわね」

「……」

「……」


 ところが私の意図とは裏腹に、サトリさんからは苦笑いが返ってきた。

 そのまま困った子を見るような視線を向けられて、たちまちススーッとメイの目が泳ぎ出す。


 め、メイ…。


 きっと、お手伝いをすっぽかした後ろめたさについとってしまった行動なんだろうけど、こっそりというのは非常によろしくなく、特にお金に関しては手渡しが原則となる。

 動揺のしすぎで、泳ぐを通り越してもはや焦点が合っていないメイの様子に、再びサトリさんがため息をついた。


 なお、私達の村では村人の稼ぎを村全体で管理しており、配当を月ごとに支払うという制度を取っているので、この場で直接手渡されるということはない。

 仕事柄他の村や町の事情にも詳しいマリナさんやエドガーさんが言うには、お店ならともかく、村でこんな制度を取っているのは私達くらいで、普通は村人が各自で稼ぐものらしい。

 なお、これは私達の村の結束力がお店と同じくらい高いからであって、決して私達の村の大きさがお店と同じくらいだからではないのだと、私はずっと信じている。


 と、そんなわけでメイのお説教は一気に三つも増えてしまったものの、気を取り直して仕事の報告をした。

 もっとも報告とは言いつつも、半分以上はこの二日間にあった様々なことを聞いてもらっただけ。

 行き慣れた場所だとはいえ、一人だと勝手も感じ方も全然違ったから話したいことはたくさんあったし、サトリさんは話しやすいよう上手に合いの手を入れながらいつも興味深そうに聞いてくれるので、話は留まるところを知らず、最終的には目から光を失わせていたメイも加わって、大いに盛り上がった。


 そうして時間はあっという間に過ぎていき、話に一区切りがついた頃には、真上にあったはずの太陽も少し西に傾き始めていた。

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