第9話
その後は、家を出るときにお父さんが渡してくれた手紙を二人で読んだ。
書いてある内容は概ねが噂どおりのことで、目新しい情報といえば、直接王都に向かうのではなく、いったん大都へと向かい、そこで読み書きや計算などの試験を受ける必要があるということと、それが一月後に行われるということくらい。
会場となるお屋敷はアリガルースの大貴族ボルボンス家のもので、この手紙が招待状の代わりになるらしい。
一ヶ月後かぁ…。
大貴族のお屋敷がどんなところなのかもすごく興味があるけど、やはり今一番気になるのは試験のこと。
一月とはいえ、漠然と過ごせば、きっとあっという間に終わってしまうだろう。
過去にどんな問題が出たかは、情報通のマリナさんに聞けば教えてくれるはずだから、準備が間に合わなかったなんてことがないよう、早々に勉強を始めなければならない。
せっかく勇気を振り絞って王都に行く決意をしたのに、それ以前の試験で躓くわけにはいかなかった。
そうしてドタバタと賑やかにお昼を終えた私達が次に向かったのは、メイの家。
村では私やメイも含めたみんなそれぞれに役割分担があり、それを村長のサトリさんが統括しているので、仕事が終わったあとは必ず報告をする。
それに、サトリさんは私にとってもう一人の母親のような存在でもあるから、単純にただいまを言いに行きたいという理由もあった。
と、そんな風にして、早くも王都での生活についてあれこれと想像するメイと笑い合いながら歩いていけば、すぐにどん、と大きな二階建ての家が見えてくる。
メイの家はこぢんまりした家が多い村の中でもひときわ大きく、遠くからでもよく目立った。
といっても根本は私達の家と同じく廃屋を建て直したものなので、外観自体はそう大きくは変わらない。
にも関わらず外から来た人が迷うことなく、真っ先にここへとやってくるのは、傍目にも分かるくらいはっきりと特別な雰囲気を漂わせているからで、家は住人を映す鏡とはよく言ったものだなぁ、といつも感心してしまう。
ともあれ家に到着したあとは、スーッと、我が家とは違って立て付けのいい戸を横に滑らせて玄関をくぐる。
一般的な家ならこのまますぐに廊下か、あるいは部屋が続くんだけど、サトリさんの家ではまず小さな間に出る。
この間は靴を脱ぐ場所。
村に点々と立っている家々は一見すると同じような外観ばかりだけど、内装はこのように家ごとに個性があった。
中でもサトリさん達の家は故郷の様式に似せているらしく、小さい頃から見慣れている私でも特に独特な印象を受ける。
…もっとも独特さで言えば、我が家も相当なものだとは思うけど。
「戻りましたか。お帰りなさい、ソラ」
「ただいま、チアキさん」
家に入るとすぐに割烹着をピシリと着こなし、メイと同じ色に染めた髪を綺麗に整えた、全体的に隙のない小柄な女の人が出迎えてくれた。
この女の人はチアキさん。
私とメイが生まれる前からここでお手伝いさんとして働いている人で、その仕事ぶりはいつだって完璧。
まさにベテランと呼ぶに相応しい貫禄が全身から漂っている。
ここには小さい頃から毎日のように来ていることもあって、チアキさんとの付き合いも長く、ほぼ家族も同然の間柄だった。
自他共に厳しく、でも何かと私やメイのことを気にかけてくれるチアキさんは、厳格さと優しさを兼ね備えたお姉さんのような存在。
でも、私が記憶している限りチアキさんは十数年前からまったく姿が変わっておらず、しかも表情もほとんど変わらない人なので、年齢だけは未だに分からなかった。
「た、ただいま~…」
そんな私の一方、メイはチアキさんの姿を目にするなり、ビクリと目を泳がせていた。
そういえば午前中、仕事をサボったんだったね…。
その様子から察するに、きっとチアキさんのお手伝いの最中だったのだろう。
「仕事の報告ですね?書斎でご主人様がお待ちです」
「やっぱり仕事中だよね?」
「ええ。私ではいくら申し上げてもお休み下さいません。是非ソラからも、もう少しお休みするよう言って下さい」
「ふふ。サトリさんらしいなぁ」
小さくため息をつくチアキさんの言葉に、つい頬が緩んでくる。
サトリさんは働き者の前に超がつくくらい仕事熱心な人で、夜もいつまでたっても家の明かりが消えず、なので村のみんなからはしばしば、感心と少しの呆れも込めて「不夜城の主」だなんて揶揄されている。
もっとも、この家が不夜城と呼ばれているのはサトリさんだけが原因ではなく、チアキさんと、他にもう一人いるお手伝いさんも同様に毎日夜遅くまで働いているからだろう。
この家では、全員が働き過ぎなくらいよく働いていた。
……。
あ、えっと…、ほ、「ほぼ」全員、かな…?
「では、こちらへ」
「あ、あのぅ、チアキ?何も言われないというのも、それはそれで怖いんだけど…」
ただ、そう言ってチアキさんが奥へと歩き出そうとすると、話の間ずっとちらちらと様子を窺っていたメイが、恐る恐ると切り出した。
チアキさんは、メイにとってもやっぱりお姉さんのような存在。
でもそれならどうしてこんなにビクビクしているのかといえば、「厳格でものすごく怖いお姉さん」という認識を持っているからで、いつも元気いっぱいで可愛らしい私の自慢の親友は、一方で今回の件然り、隙あらば仕事をサボろうとするというちょっと困った癖があるため、昔から何かとチアキさんに叱られているのだった。
「……」
「うひぃ!?」
案の定、チアキさんがちらりと振り返るなり、飛び上がって私の後ろに隠れてしまった。
そんなに怖がるなら最初からサボらなければいいのでは…とは思うんだけど、曰く、日々の実践を通して、ばれないよう上手に隠蔽する技術や、ばれても誤魔化せるような技術を磨き、いつかは叱られずに白昼堂々サボるという目標があるらしい。
努力の方向を間違えてると思うよ、メイ…。
勉強が嫌で毎回大暴れするミーアといい、
二人ともやればとてもできる子なのに、なんだかもったいなく感じてしまう。
思わず苦笑いする私の後ろからこそこそと様子を窺うメイを見て、再びチアキさんが小さくため息をついた。
「…お嬢様が仕事を放られるのはいつものことですから、今更何も言うことはありません」
「お、おお…!?ということはもしかして、今回はお説教なし!?やったぁ、ついに私の努力が実を…」
「ご主人様に子細報告致しましたので、後ほどみっちりとご反省下さい」
「ひぃっ!?お、お母さんに告げ口したの!?チアキの人でなし!鬼!あく…」
「……」
「噓ですごめんなさい!」
たちまちサァッと顔色を失わせつつメイが非難の声を上げるも、スッとチアキさんの目が細くなるのを見た瞬間、即座にまた私の後ろに隠れてカタカタと震え始める。
これほどの怯えを見せるのは、単純にチアキさんの鋭い眼光が怖かったというのもあるんだろうけど、何よりサトリさんのお説教を恐れてのことであった。
サトリさんからは私も時々お説教されることがあるので、その気持ちはよく分かる。
といっても、サトリさんは非常に理性的かつ論理的な考え方をする人であり、叱るときも決して感情を露わにすることはなく、もちろん怒鳴るなんてこともない。
進め方も一方的なものではなく、必ず対話しながら行動の一つ一つを詳らかにし、その上で静かに対策を問いかけてくるので、まったく自覚していなかった問題点に気づくことができたりと、毎回すごくためになった。
重度の人見知りである私がまともに生活できているのも、これまでサトリさんがちゃんと叱ってくれたからであり、本当に感謝してもし足りない。
ただ一方で、自分の心に負い目や後ろめたいことがあるときは、一転してこれがすさまじい苦行へと変化してしまう。
なにせ行動の物理的要因だけでなく、心理的要因も一緒に紐解いていくのである。
建前や体裁といった心を守るものがすべて取り払われ、理論という名の壁に逃げ道も塞がれた状態で自分の本心と向き合うのは、自己という存在の根幹を揺るがしかねない、他に類を見ない恐ろしさがあった。
メイは「声も身動きも封じられた状態で、傷口に塩と辛子を同時に塗り込まれているようだよ…」なんて言っているけど、結構的確な表現かもしれない。
が、頑張ってね、メイ…。
そうして私まで揺れ出してしまいそうなくらい激しく震えるメイと一緒に、チアキさんの後ろを歩いていく。
と、間もなくして、曲がり角からぬっと大きな影が現れた。
「おお、ソラ!無事戻ってきたか」
天井に届きそうなほどの背丈に、通路が埋まってしまうくらい筋骨隆々のガッシリとしたがたい。
メイやチアキさんと同じく赤茶色に染めた短髪に、立派な顎髭。
声も太く、頬に大きな傷跡が残る顔つきはとても厳めしい。
でも笑うと途端に目元が優しくなるこの男の人は、もう一人のお手伝いさんのトキサダさんであった。
「ただいま、トキサダさん」
「うむうむ。人見知りのソラが一人で大都へ行きたいと言い出したときには驚いたが、見事成し遂げたようだな。ご主人様も心配されていたから、早く顔を見せて差し上げるといい」
「う、うん…」
うぅ…、さっきからみんなに同じことを言われるよ…。
メイとお父さんに続いて、トキサダさん達にまで心配をかけてしまっていたらしい。
一瞬、みんな私のことを心配しすぎなような気もしたけど、すぐにこれまでのことが頭に浮かんできて沈黙する。
大都に向かう途中で道を尋ねられて固まり、卸先でも毎回ガチガチになり、挙げ句には兵士とすれ違うだけで動揺している私の、いったいどこに安心できる要素があるというのか。
そういえば今回は、たった二日間の行程であったにも関わらず、出発前には村のみんなが総出で見送ってくれて、あの時は純粋に嬉しかったけど、期せずして今、ニカッと笑うトキサダさんの言葉によりその理由が分かってしまい、なんだか複雑な気持ちになってきた。
「それにしても、こうして改めて見ると、トキサダって顔が怖すぎてホント山賊みたいだよねぇ…。今更だけど」
「はっはっは!おかげさまで、護衛の仕事は楽をさせていただいておりますぞ」
曖昧に微笑み返しつつこっそり肩を落とす私を余所に、メイが感心と呆れの入り混じった顔を向けると、トキサダさんが豪快に笑った。
お手伝いさんとは言うものの、家事の大半はチアキさんが担当しており、トキサダさんは運搬などの力仕事や、村全体の見回り、みんなが外へ行く際などの護衛を主な仕事としている。
村の外は本物の山賊が徒党を組んで出没するし、時間帯や場所によっては魔物も出るため、常に危険がつきまとう。
そして当然村の中だから絶対に安全だということもないわけで、だから護衛や見回りもすごく重要な仕事だった。
ちなみに確かにトキサダさんは強面だけど、このとおり実際はとてもおおらかな人で、チアキさんと同じく、私が生まれたときからここでお手伝いさんとして働いており、やはり付き合いは長い。
誰かを怒るということも滅多になく、特にメイのことは、逆に甘やかしすぎだとチアキさんから叱られるくらい可愛がっていた。
それもあってかメイも、トキサダさんにはまったく遠慮せずに言いたいことをずけずけと言う。
その様子を見る度に、「メイね、トキサダのおよめさんになるのっ」と、いつも後を追いかけていた小さい頃の姿を思い出して、クスリと口元が緩んでくるんだけど、本人に言うと、「それ黒歴史だからーっ!」とかよく分からないことを口にしながら、両手で顔を押さえてゴロゴロと転がり始めてしまうので、内心で微笑むだけに留めている。
「トキサダ。そこに立たれては通れません」
「おお、すまん。と、そうだ、今朝話していた倉庫の補修と掃除、本の虫干しは終わったぞ。ただ、本はいくつか修繕が必要なものがあるな。目録を作ってご主人様に提出しておいたから、お主もあとで目を通しておいてくれ」
「倉庫の掃除と書類管理は私の仕事だったはずですが…」
「なに、ついでだ」
「助かります」
大きな身体を小さく縮めて道を開けつつ、チアキさんと言葉を交わす。
二人ともサトリさんと同じ故郷の出身で、私達くらいの年の頃からサトリさんのもとで一緒に働いているらしく、並んで話す様子からはお互いを強く信頼し合っている感じが伝わってくる。
「チアキって、トキサダと話してるときはちょっと砕けた感じになるよね~」
するとどうやら同じことを思っていたみたいで、メイがニヨニヨと頬を緩ませながらこそりと耳打ちしてきた。
「仲いいよね」
「いやいや、あれはきっと仲がいいというのを越えて、愛が…」
「……」
「噓ですごめんなさいごめんなさい!」
でもちらりとチアキさんに一瞥されるなり、即座にまた私の後ろに隠れてしまう。
メイといるときも砕けた感じになってると思うけどね、ふふ。
メイとチアキさんの関係は、一見するとメイが一方的に怖がっているようだけど、チアキさんが厳しくするのは立派な大人になって欲しいという愛情の裏返し。
そして、私に分かっていることが鋭い親友に分からないはずもなく、なんだかんだとチアキさんに対しても遠慮がないというのが、何よりの証拠だろう。
カタカタ震えるメイと、ため息をついて案内を再開するチアキさんの二人を眺めて、なんともほっこりとした気持ちになってくるのだった。
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