第7話

「うわぁ、綺麗~!可愛い~っ!!」


 間髪を入れず、メイが歓声を上げる。


「……」


 しかし、一方で私は目を見開いて固まっていた。

 ちなみにこれは感動のためではない。

 それどころかその逆で、目に飛び込んできたのがギラつく赤、煌めく青、眩い緑に黄色と、およそ食べ物とは思えない、絵の具さながらに鮮やかな原色ばかりだったからである。

 挙げ句にはまるで追い打ちとばかりに、むせかえるほどの甘い香りまでもが鼻腔を刺激してきた。


「……」


 ツツーッとまたも冷たい汗が頬を流れ落ちる。

 私の本能が告げている。


 こ、これは間違いなく美味しくない…!


「すごいねぇ!私、こんなに綺麗な色のお菓子見たの初めて~!」


 耐えきれずに顔を背けた先でメイと目が合う。

 よほど感動しているようで、さぞや形容しがたい顔をしているであろう私とは対照的に、キラキラと溢れんばかりに顔を輝かせていた。

 お菓子だけでなく、可愛いものや綺麗なものも大好きなメイにとっては、この鮮やかというには鮮やかすぎる色の数々も、むしろ魅力的に見えてしまうらしい。


「そ、そうだね…」


 正直今の時点ですでに胸焼けしそうな気分だったけど、とても楽しそうなメイを前に「美味しくなさそう」とは言い出せず、後ずさりしそうになるのを何とか堪えて、もう一度袋の中へと目を向ける。

 もはや毒々しいとすら言える色とりどりのそれらは、半球状の焼き菓子に固めたカスタードのようなものを挟み込んだ、ころころと可愛らしい形をしていた。

 大きさの割に軽いから、きっと口に入れたらサクッとした小気味よい歯ごたえが返ってくるに違いない。

 この見た目と香りじゃなければ、私もメイと同じようにワクワクしていたことだろう。

 しかし今の私の胸中にあるのは、恐怖にも似た戸惑いの心だけだった。


 ど、どうしよう、これ…。


 本音を言えば、今すぐ袋の口を閉じてマリナさんに丁重にお返ししたい。

 でもやっぱりどう頑張っても、楽しそうなメイにそんなことを言い出す勇気は私にはなかった。

 となると残された選択肢は、私だけ食べるのを止めるか、玉砕を覚悟で食べるかの二つしかない。


「……」


 再び冷や汗が頬を伝うのを感じながら、ちらりと隣へと目を向ける。


「何色にしよっかな~?この黄色もタマゴサンドみたいで可愛いし、こっちのシアンブルーは秋の空みたいで素敵だし~。あ~ん、決められないよぅ~!」


 と、視線の先では、親友がニコニコと無邪気に笑っているのが見えた。

 刹那、ガラガラと退路が崩れ落ちる音が頭の中に響き渡る。


「……」


 選択肢の一つが潰えるのを確認して思わず天を仰げば、雲一つない青空の下、大木の葉が気持ちよさそうに揺れているのが見えた。

 おそらく数百年は生きているであろうこの雄大な木にとっては、私の苦悩などごくちっぽけなものにすぎないのだろう。

 葉の間からキラキラと降り注ぐ光が、なんだか私を元気づけてくれているかのようで、段々と気持ちが落ち着いてくるのを感じる。


 …そうだね。そもそも、メイを残して逃げるなんて選択肢は最初からなかったね。……。うん、食べるしかない…!


 きっとこうなることは、マリナさんから小袋を受け取った時点で決定していた運命だったに違いない。

 ならばそれを受け入れ、友と共に勇ましく突撃して華々しく玉砕しようではないか。


 ふぅ……。

 ……よしっ。


 一つ深呼吸をし、心を決める。

 ついでにキッと目にも力を込めつつ、改めて小袋へと対峙した。


「ソラちゃんは何色にするか決めた?」

「緑…、かな…」

「あ、緑も綺麗だよね~!まるでエメラルドみたい~!」

「!?」


 しかしメイの言葉に、ぐらりと一瞬で決意が揺らぎそうになる。


 あ、ああ…、せっかく固めた私の覚悟が…!


 なんとか、ぎりぎり茹でたての新鮮な野菜に見えないこともないから、という理由で緑を選んだのに、すでに鮮やかなエメラルドにしか見えなくなってしまった。

 王族が食べるお菓子というだけに、本当に希少鉱石であるエメラルドの粉末が使われていたとしても驚きはない。

 そして当然エメラルドが身体にいいはずも、まして美味しいはずもなかった。

 とまあ、こんなことを考えている時点で覚悟の固さも知れようというものだけど、ともあれここまで来たらもう引くわけにもいかず、狼狽えつつも恐る恐る緑のお菓子を手に取る。


「よし、それなら私は赤色にするよ!すごく綺麗だし、赤って色は全然違うけど、緑とお揃いって感じがするもんね!」

「そ、そう、かも…?」


 何故か死後の世界を連想させられる深紅を手にして笑うメイに、力なく微笑みを返す。

 鮮やかな緑と赤が木洩れ日に反射して毒々しく煌めく。

 確かに、お揃いで遠いどこかへと旅立てそうである。

 ゴクリと二人同時に、けれどまったく違う意味で喉が鳴った。


「それじゃ、いただきまーす!」

「うぅ…、いただきます…」


 そのままそれぞれ緑と赤の、お菓子と思わしきものを口に入れる。


「……?」


 すると思ったとおり、まずはサクッと軽快な歯ごたえが返ってきた。

 

 あれ、意外と美味しいかも…?


 想像よりも甘さは感じられず、クッキーとも違う、まるで泡を固めたかのような食感はとても新鮮。

 すぐに次を噛みしめたくなる、そんな心地良さがあった。

 なのでいい意味で予想を裏切られたことに驚くと共に、ホッと希望を見出したのもつかの間のこと。


「!?!?」


 直後、口の中に圧倒的な何かがすさまじい速度で広がっていき、舌だけでなく喉も含めたあらゆるものを攻撃してきた。

 先ほどのサンドイッチやメイのお菓子とは明確に異なる、確かな破壊の意志をもって仕掛けてくる凶暴なそれは、まるであらゆる理屈を超えてただ破壊するためだけに攻撃を仕掛けてくる魔物のよう。


 その正体は、甘みだった。

 咄嗟に分からなかったのは、あまりにも甘すぎて舌が認識できなかったからだろう。

 もはや、美味しいとか美味しくないとかそういう次元の話ではなかった。

 ただひたすらに痛い。

 甘みも特化させると暴力的な攻撃になるのだと、気を抜くとうっかり飛んでしまいそうになる意識の中でこの上なく理解する。

 仕舞いには、とどめとばかりに正体不明のきつい香りまでもが広がり始め、今や口の中は悲惨なことになっていた。


 み、水…。


 それでも口に入れた以上、吐き出すわけにはいかない。

 毒は別として、「食べ物は決して粗末にしない」というのが私の信念である。

 正直、これは毒の区分にあたるような気もしたけど、とにかく水筒の水も使って無理矢理喉の奥にねじ込む。


「……。うぅ…、ひ、ひどい目に遭った…」


 と、そんな甲斐もあって、何とかお腹に収めることができた。

 でも口や喉は未だヒリヒリしており、たった一口でさっきまでの幸せな余韻まで一瞬で打ち砕かれてしまい、ちょっと泣きそうな気持ちでため息をつく。


 覚悟はしてたけど、ここまでだとは思わなかったよ…。


 もしもこれが不意打ちだったら、私は間違いなく毒物だと判断して吐き出していたに違いない。

 むしろここまでくると、そっちの方がよかったかもしれないとさえ思えてしまう。

 再びため息をつく。

 しかし、そこでハッと気づいた。


「……」


 慌てて隣を向けば、案の定、メイの目からは光が消えていた。

 いや、目だけではない。

 さっきまで光り輝いていた表情はすでに見る影もなく、顔からは完全に生気が失われ、燃え尽きたかのように灰一色となっていた。

 そこから伝わってくるのは、まるで深淵を具現化したかのような圧倒的な絶望。

 警戒しながら食べた私と違って、期待に胸を膨らませていたところから、突然谷底へと突き落とされたわけなのだから、その胸中は察してあまりある。

 私だって、こんがり焼けたお肉だと思ってかじりついたものが、実は罠用の痺れ肉だったと分かったら、きっと同じような顔になると思う。


「め、メイ、気をしっかりもって!はい、これ、お水…!」

「……」


 光すらのみ込みんでしまいそうな虚ろな瞳に私の姿が映っているとは思えなかったので、手に水筒を握らせてあげる。

 するとぷるぷると震えながら口元まで持っていき、やがて音を立てて飲み始めた。


 そうして水筒の中身が空になるまでたっぷりと水を飲んだあと。

 突如して、メイがクワッと目を見開いた。


「何これ!?何なのこれ!?こんなのお菓子じゃないよ!食べ物ですらないよ!毒物だよっ!これが王族のお菓子だなんて、きっと王様は誰かの暗殺を企ててるんだよ!アリガルースはいつからそんな物騒な国になっちゃったの!?」


 絶望が大きかった分、怒りもまた相当なものなのだろう。

 地団駄を踏み、両手を振り回して、それはもう大変な様子であった。


「ホントにこんなのが王族のお菓子なの!?…はっ!?もしかしてマリナさん、昨日私がお手伝いをすっぽかしたから罰でこんなものを…!?」

「お、落ち着いて、メイ。マリナさんならこんな回りくどいことしないと思うよ」


 挙げ句には混乱してあらぬことまで言い出したけど、マリナさんの性格ならきっと拳骨を一つ落として終わりに違いない。


 というかメイ、またサボったんだね…。


「でも、メイがそう言いたくなる気持ちも分かるよ…。もしこれを本当に美味しいと思って作ってるのなら、味覚に問題があるよね…」

「私は今ほど平民でよかったと思ったことはないよ…」


 げっそりするメイの言葉に、心の底から同意する。

 王族や貴族は毎日ものすごく美味しいものを食べているのだとばかり思っていたけど、これは考えを改めなければならない。


 マリナさんのことだから、きっとこうなることを分かってて渡したんだろうなぁ…。


 しっかり者で頼りになるマリナさんは、一方でちょっとお茶目なところもあるのだった。

 もっとも商人らしく無駄なことは絶対にしない人なので、これも何かしらの意味があるのだろう。

 もちろん私には分からないんだけど。

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