第4話

「あ、そうそう。実はついさっき、ソラ宛に手紙が来たんだよ。はい」


 というわけでオリーブオイルがナプキンから染み出ないように気をつけつつ、ウキウキと包みをバスケットに入れていると、そう言ってお父さんが一通の手紙を差し出してきた。

 きっと家の前で会った兵士達が言っていた、王都からの手紙だろう。

 紙質や印から一目で高級なものだと分かる。


「大招集のお知らせだと届けてくれた兵士の子は言っていたよ。ミメイの所にも届いているみたいだし、ご飯でも食べながら二人で読んでみたらどうかな?」

「え、あ、うん」


 でもお父さんの言葉に、手紙を受け取りながら思わず目を瞬いてしまった。


 噂には聞いてたけど、本当に兵士が家まで来るんだ…。


 大招集というのは、私達の村があるここアリガルース王国が行う、数年に一度の大がかりな求人のこと。

 内容は王都ルースにある王城の下働きを集めるというもので、それ自体は別に珍しいことでもないんだけど、他に類を見ない特徴的な点が、そのために毎回必ず城の兵士が招集対象者の家まで直々に足を運ぶというところにあった。

 アリガルースは南大陸の中ではバースマルド公国やシンスニル王国に並ぶ大国であり、当然村も町も多い。

 なので、兵士がわざわざ個々の家を訪ねて回るなんて効率が悪いことこの上なく、正直今の瞬間までは半信半疑だった。


 ただ、そんな少し首をひねってしまうような大招集ではあるものの、実は毎回とても人気があった。

 理由は雇い主が国ということでこれ以上安定した仕事はないということと、給金がいいということ。

 加えて住み込みとはいえ、王都に住むことが出来るというのも人気の理由となっている。

 村や小さな町の人間は、伝手でもない限りは王都に住むことなんてまずできないから、都会に憧れる人にとっては飛びつきたくなるような話なのだろう。


 メイも行きたがるんだろうなぁ…。


 この話を聞いて間違いなく小躍りして喜んだであろう親友の姿が思い浮かんできて、ちょっと複雑な気持ちになってしまう。


「ありがとう。それじゃ、行ってきます」

「ゆっくりしておいで」


 家を出たあとは、早足で北の丘へと向かう。

 気持ち的には走って行きたいんだけど、せっかく作り分けたサンドイッチ達をミックスサンドにするわけにはいかない。


 今度は誰とも会わなかったため、村の入り口にはすぐに到着する。

 そしてそこから右手に折れて北へと向かえば、廃屋に紛れてポツリポツリと立ち並ぶみんなの家が見えてきた。

 東側に住む私達一家と、西側に住むメイ一家を除く全員がここに住んでいる。…といっても、五軒だけなんだけど。


「ああ、帰ってきたね。ずいぶんと早かったじゃないか」


 そうして立ち並ぶ家の間を歩き始めて間もなく、ちょうどそのうちの一軒から恰幅のいい女性が出てきて、声をかけてきた。


「あ、マリナさん」


 女性は住人の一人であるマリナさん。

 自信に裏付けられた力強い目と、竹を割ったような性格が特徴のマリナさんは、女傑という言葉がとてもよく似合う村の商人である。

 自分達では揃えられない生活用品などは、マリナさんと、その旦那さんであり同じく商人のエドガーさんの二人に仕入れてもらっていた。

 ちなみにお父さんもマリナさん達と同じ商人なんだけど、どうも扱っているものが違うらしく、何かを仕入れるという話は聞いたことがない。


 お父さん、仕事のことはあまり話したがらないんだよね…。


「今さっき帰ったばかり…」

「あー!ソラちゃんだ!」


 ともあれ挨拶を返そうとしたところで、マリナさんの影から小さな子供が勢いよく飛び出してきた。

 パァッと顔を輝かせ、頭の左右でちょこんと括られた親子でおそろいの赤髪を踊らせながら、一目散に私の方へと駆けてくる。

 元気を体現したかのような姿に、自然と私の頬も緩んでしまう。


「ただいま~、ミーア」


 そのまま飛びついてきたのでバスケットを持っていない方の腕で抱き上げると、にこーっと零れるように笑った。


 ああ、可愛い~…っ!


 このとっても可愛い子はマリナさん達の娘のミーア。

 今年三歳になったばかりで、毎日それはもう元気いっぱいに村の中を駆け回っている。

 最近はちょっとおませにもなってきて、可愛さが増していく一方のミーアに、私はもうめろめろだった。


「ね、あそびましょ!」

「こら。アンタはアタシとこれから勉強だって言っただろう?」

「えー!いやーっ!!」


 腕の上でキラキラと目を輝かせていたミーアだったけど、苦笑いを浮かべたマリナさんの一言に今度は一転して泣き顔になる。


 ミーアは勉強が大嫌いだもんね、ふふ。


 私やメイが勉強を見てあげる時も毎回こんな感じで、一度なんて力いっぱい駄々をこねすぎて吐いたこともあって、あの時は焦りつつもちょっと感心してしまったものだった。


 とっても賢い子なんだけどなぁ…。


「いやー!べんきょうなんていやー!!ソラちゃんとあそぶのーっ!!」


 そんなわけで今回も、ミーアは全身を使って駄々をこね始めた。

 くるりと身体をひねって、がっちりと私の首に小さな腕を回し、顔を胸に押しつけて、両足をバタバタさせる。

 その様子は、まさに川で泳ぐときのよう。

 腕の上だというのに実に器用な子であった。


「まったく、なんでそんなに嫌なんだか…」


 ミーアにしがみつかれて無条件に顔がへにゃへにゃになる私の一方で、マリナさんが肩をすくめながらため息をついた。

 いつもなら有無を言わさず連れて行くのに、今日は珍しく苦笑いを浮かべるだけに留めている。

 流石のマリナさんも勉強の度に全力で駄々をこねられて、ちょっと疲れたのかもしれない。


「……」


 するとそんな母親の変化を目聡く察知したミーアが、ピタリと動きを止めた。

 もしかしたら勉強をしなくてもよくなるかも、と期待しているのは明白で、たちまちパァッと顔を輝かせて、でも隠しているつもりなのか口だけは頑張って真一文字に結びながら、ちらりと後ろを振り返る。

 こういうところを見る度に、幼いながらにミーアも商人の血を引いているんだなぁ、なんて感心してしまう。

 しかしマリナさんはそのミーアの母親であり、現役の商人なのである。


「だがまあ、その元気があればすぐに終わるさ」


 振り向いた瞬間、ニヤリと笑ったマリナさんにひょいっと片腕で抱き上げられてしまった。

 どうやら幼い愛娘の行動なんてすっかりとお見通しだったらしい。

 完全に虚を突かれたミーアは目をまん丸に見開き、腕を伸ばしたままの姿勢でマリナさんの腕の中で固まっている。

 でも一間遅れて状況を理解すると、火がついたように泣き始めた。


「ぎゃー!やーっ!!ぎゃ~~~~っ!!!」


 まるで全身から声を出しているかのような大音量で叫びながら、顔を真っ赤っかにして必死にじたばたするも、背中からガッシリと回されたマリナさんの立派な腕はびくともしない。

 両手と両足だけが、空中でぶんぶんと元気に風を巻き起こしている。

 流石としか言いようのない、見事なタイミングだった。


「やれやれ、邪魔したね。見たところ、これから昼飯なんだろ?」

「うん。でもミーアにも会いたかったから、全然邪魔なんかじゃないよ」

「アンタも、あまりこの子を甘やかすんじゃないよ。まったく、うちの旦那も散々甘やかすもんだから、最近は言うことなんてちっとも聞きやしない。…ああ、そうだ、これを持ってお行き」


 話している間もずっと暴れ続けるミーアの元気いっぱいな姿にまた頬を緩ませていると、マリナさんがため息交じりに笑ったあとで、小袋を手渡してきた。

 途端に、もわんと甘い香りが漂ってくる。


「あ、ひょっとして、お菓子?」

「ああ。王都の王族様がお披露目したばかりの菓子だとさ。ミメイも一緒なんだろ?食べたら二人でまた感想でも教えておくれ」

「わぁ、ありがと…って、え!?お、王族!?」


 でも何気なく続けられたマリナさんの言葉に、思わずぎょっと聞き返してしまった。

 当たり前だけど、王族が食べるようなお菓子なんてこれまで食べたことはおろか見たことすらない。

 言われてみれば今更ながらに、お菓子を包む袋自体がすでに高級だと分かる素材で出来ていることに気づいた。


 あまりにも自然な感じだったから、何気なく受け取っちゃったよ…。


 全国を巡る行商人であるマリナさんは、時々こんな風に仕入れたものを私達に分けてくれることがあった。

 ちゃんと働きさえすれば基本的には飢えることのない、豊かな土地でのんびりと暮らしている私達ではあるものの、お金だけはないので、手に入れられるものはどうしても限られてくる。

 だからマリナさんの差し入れは、メイと二人いつもとても楽しみにしているんだけど…。


「え、えっと…、そんな高価なものをもらっちゃっていいの…?」


 ただ時々、こんな風にとんでもないものが交じっているのである。

 過去にも貴族の間で流行の香り水をもらったこともあったし(ちなみにメイは大喜びしていた)、本来なら私達のような平民には一生縁がないであろう貴重な品々のはずなんだけど、毎度のことながらいったいどこからどうやって仕入れてくるのかが謎だった。


「なに遠慮してんだい。それに、アンタに渡したそれはほとんどタダ同然に手に入れたもんだからね。気にせず食べな」


 しかし恐る恐る切り出した私の疑問は、案の定豪快に笑い飛ばされてしまう。


 た、タダ同然って…。


 ちなみに、貴族の身の回りにあるものは何であれとにかく高価であり、王族や上級貴族はもちろん、中級貴族や場合によっては下級貴族のものですら、私達のような平民ではまず手が届かない。

 このためどう考えても普通はタダ同然で手に入るものではなく、つまりそこには普通ではない何かがあるというわけで、聞いてみたい気はするんだけど、聞いたら聞いたで何か恐ろしいものまで飛び出してきそうな気もするので、謎のまま今に至っている。


 今度思い切って聞いてみようかなぁ…。


「そ、それじゃ、ありがたくいただきます…」

「ああ、そうしとくれ。さ、アタシ達は勉強だよ」

「やー!!あーー!!やーーーっ!!!」


 おずおずと小袋を受け取ると、ニヤリと口の端を上げ、めげずにじたばたし続けるミーアを抱えて家の中へと戻っていった。


 あれ?そういえば、外に用事があったわけじゃなかったんだ…?


 ちょうど家から出てきたところだったから、てっきりこれから出かけるものだとばかり思っていたんだけど、どうやらわざわざ私にお菓子を渡すためだけに出てきてくれたらしい。

 きっとメイやお父さんと同じく、今回大都に一人で向かった私のことをずっと気にかけてくれていたのだろう。

 謎なところはあるけど、マリナさんは姉御肌で情に厚い人なのである。


 いつもありがとう、マリナさん。

 ミーアもお勉強頑張ってね。終わったらまた遊ぼうね、ふふ。


 可愛いミーアとマリナさんの気遣いにますます足取りも軽くなり、緩やかに続く坂道を跳ねるようにして歩いていく。


 そうして間もなくすれば、視界が一気に開けて、目的の場所である北の丘へとたどり着いた。


「……」


 たちまちサァと花と緑の香りを乗せた風が髪を揺らし、柔らかく駆け抜けていく。

 見晴らしのいいこの場所からは、村周りの景色を一望することができる。


 そんな中でまず真っ先に目に飛び込んでくるのは、抜けるような青空の下に広がる雄大な「北の森」。

 北の森は名前が示すとおり国の北に位置する森で、視界を埋め尽くすほどの広さと高さは圧倒的な存在感がある。

 もっとも、存在感の大きさはなにも見た目に限ったことではなく、大都と王都を並べてもまったく及ばないほど広大なこの森は、不思議なことに魔物が一切出ず、しかも東側には大小様々な河も無数に流れているので、狩りをしたり、魚を獲ったり、木の実やキノコ、果実などを採取したりと、私達を含む近隣の住人全員にとっての恵みの森でもあった。

 外海、山、森は魔物の巣窟となっていることが大半で、本来なら採取や狩りは命がけとなるのが常だから、もしこの森がなかったら、今のような豊かな生活は送れなかったに違いない。

 そう言った意味でも北の森の存在感は大きく、非常にありがたいことだった。


 そこから西へと目を向ければ、昨日の深夜に私が出発した「大都コリンド」が見えてくる。

 歩きだとそれなりに距離がある大都だけど、今日みたいに天気がいい日ならここからでも全貌を見渡すことができる。

 遠目にも分かるくらい大きな建物が立ち並び、赤や緑など色とりどりの屋根が目を引くかの都は、きっと今日も大いに賑わっているに違いない。


 そして大都の北には「王都ルース」があり、そこからさらに北上すれば、北大陸全土を支配する巨大国家「タイタニア帝国」が広がっている。

 どちらも流石にここからでは遠すぎるので見えない。

 それでも北大陸と南大陸を分ける「トールストン連峰」の高い山々だけは、今日も確認することができた。


 うーん…、気持ちいいなぁ…。


 悩んだり気持ちが落ち込んだりしたときにもよく来るけど、この雄大な景色の前にはどんなことでもちっぽけに思えてくるから不思議だった。


 さ、早くメイのところに行かなくちゃ。


 軽く伸びをしながら、爽やかな気持ちで丘の先端にある大樹の下へと歩き出す。

 景色を覗き込むようにして少しだけ傾いているその大樹の下には大きな木陰が出来ており、絶好の休憩場所となっていた。

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