第2話
私の家は村の南に位置するここ入り口から東側にあって、緩やかな坂を上った先にある。
不思議なことに私の家の周りは、小さな森みたいに背の高い木々に囲まれていて、村の中でもひときわたくさんの草花が生い茂っていた。
まるで、そこだけ流れている時間が違うかのよう。
もっともそのおかげで夏は涼しいし、ちょっとした森の中を歩いているかのような爽やかな気分も味わえるので、理由はともかくとして、とても助かっている。
でも、昔は夜歩くのが怖かったなぁ…。
立ち並ぶ木々は家をすっぽりと覆ってしまうくらい高いために、夜は月明かりがあっても暗く、小さい頃はよくお母さんやお父さんにしがみつきながら歩いたものだった。
いつの間にか平気になってたけど、そういえばメイは今でも…って、あれ?誰か来る…?
と、そんな風にして、とりとめのないことを考えながらのんびり歩いていると、不意に道の先から見知らぬ二人組が向かってくるのが分かった。
瞬間、ピピッとすべての注意がそちらに向く。
ここからではまだ二人の姿は見えないけど、全員が家族のような付き合いをしている小さな村だけに、相手が村の人間かどうかはすぐに分かるし、何より私は重度の人見知り。
こういうことには誰よりも敏感な自信があった。
…まあ、何の自慢にもならないんだけど。
それはさておき、件の二人組はどちらも私やメイとそう変わらないくらいの歳の男の子達で、どうやら新米の兵士らしく、まだ制服を着慣れていない感じが伝わってきた。
この先には私の家しかないので、うちに何か用があって訪ねてきたのだろう。
でも、何の用なんだろ…。
兵士が村までやってきたと聞いて真っ先に思いつくのは、新しい手配書を配りに来たか、あるいは徴税のことだけど、それならサトリさんを訪ねるはずであり、一住人である私の家に来る必要はない。
ちなみに、サトリさんはこの村の村長である。
それに自分で言うのもなんだけど、先に説明した理由から、そもそも初めて村に来た人はここに家があるとは分からないと思う。
となると今挙げた以外の用件で、しかも私の家だと知った上でわざわざ訪ねてきたということになる。
つまり兵士の二人は、サトリさんを一度訪ねて私の家の場所を教えてもらったということであり、にも関わらずサトリさんが同行していないことを考えれば、少なくとも悪い知らせではないと推測できた。
サトリさんは仲間思いで責任感の強い人だから、どんなに忙しくても、何かあれば必ず顔を出してくれる。
!き、来た…!
そこまで考えたところで、件の二人が遠目に姿を現した。
間髪を入れず、ピシリと全身に緊張が走る。
と、とりあえず、ここは失礼にならない程度に顔を伏せてやり過ごそう…!
深呼吸をし、邂逅に備えてしっかりと心の準備をしておく。
大げさと言うことなかれ。
何度も言うようだけど、私は人見知りなのである。
村のみんなは、知らない人を見る度にどぎまぎする私を見て、話しかけられても適当に一言返せばいいだとか、何なら微笑むだけでも大丈夫だなんて言うけど、そもそもそんな高度なことをすんなりとできるようなら、人見知りとは言わないのである。
人見知りとは、知らない人が近づいてきただけで目が泳ぎ、話しかけられれば頭は真っ白になり、微笑もうとしても形容しがたい顔になってしまうものなのだから。
そうして早くもバクバク言い出した胸の鼓動を感じながら、一歩二歩とギクシャクと足を進めていく。
ところが。
「………」
「……あ」
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ好奇心に負けてついちらっと目を上げた瞬間、向こうも私に気づいたようでバッチリ目が合ってしまった。
あ、あわわ…!
村に余所から人が来ることは滅多になく、だからほとんど無意識のことだったとはいえ、直前の心構えはいったい何だったのか、自分でも愕然とするほどの迂闊さである。
案の定、ツツーッと頬に汗が伝い、頭の中は真っ白になった。
お、落ち着いて…!
だ、大丈夫、確かこういうときは下手に背を向けて逃げ出したり目を逸らしたりせずに、冷静に、ゆっくりと下がればよかったはず。
そう、落ち着いて、そぉっと、そぉっと…。
そのまま心の声に従い、じっと相手から目を逸らさず、じりじりと後退を始める私。
なお、これは森で熊に遭った時の対処法である。
ともあれそんな風にして着々と兵士達から距離を取っていたものの、ただそこでふと、二人がこちらを見たまま固まっていることに気づいた。
「……」「……」
二人とも大きく目を見開いて、思いもよらないものと遭遇したかのような顔をしている。
後々考えれば、おそらくは不審極まりない私の行動にただ驚いていただけだったのだろう。
しかし残念ながら、すでにいっぱいいっぱいのこの時の私に気づくことはできない。
い、いったいどうしたんだろう………はっ!?
も、もしかして、この二人も人見知りなのかな…?
……。
そ、そっか、そうだよね…。
大陸はこれだけ広いんだから、人見知りが私だけってことはないもんね…。
うーん、兵士なら人と会うこともたくさんあるはずから、きっと大変なんだろうなぁ…。
それどころか突如として妙な親近感がわいてきて、嬉しくなってくるような始末であった。混乱って本当に恐ろしい。
ところでこの状況、どうしよう…。
そんなわけで幸か不幸か少し落ち着きは戻ってきたものの、すぐに今度は別のことで戸惑ってしまう。
というのも、先ほどから相手はこちらを見て固まったままなのである。
話しかけられたら話しかけられたで困るけど、無言で見つめられるのも実に気まずい。
ここは一礼して、早々に通り過ぎるのが最善なんだろうけど…。
……。
せ、せっかくだし、声をかけてみようかな…?
すると、不意に小さな勇気が胸の内に湧き上がってきた。
苦手とは不安を生む原因であると同時に、チャンスでもある。
自らの力で乗り越えることができれば、一転して大きな自信に繋がるに違いない。
それにかける言葉だって「私の家に何かご用でしたか」そのたった一言だけでいい。
ごく簡単かつ自然な質問だからつかえる心配はないし、相手にとっても答えやすく、話が広がるような話題でもないので、人見知り同士でも無事会話を終えることができるはず。
私の家に何かご用でしたか、私の家に何かご用でしたか…。うん、大丈夫…!
繰り返し念じながら、意を決して目に力を込める。
自覚はなかったけど、今回大都に一人で行ったことで心に何か変化があったのかもしれない。
仕事以外で自ら知らない人に声をかけようと思い立つなんて、自分でもびっくりのことだった。
「わた…」
「なあ。アンタ、ソラだよな?」
「!?」
しかしそんな私の渾身の勇気は、男の子の一人から勢いよく放たれた一言により、あえなく消え去ってしまった。
思いがけない事態に、一瞬でまた頭の中が真っ白になる。
い、いや、まだ大丈夫…!
いくら人見知りとは言っても、名前を聞かれて答えるくらいはできる。
しかもこの場合は「はい」と答えるだけ。
場合によっては、赤ちゃんですら難なく突破できるに違いない。
そう思い直し、ぐらりと膝をつきそうになる気持ちをなんとか奮い立たせる。
ところが、現実は非情であった。
「俺はカイト!見てのとおり、王国の正規兵なんだぜ!…つっても、まだ見習いなんだけどな。出身はオードス村で、今は王都に勤めてんだ。にしてもまさか、こんな辺鄙なところでアンタみたいな美人に会えるとは思わなかったぜ!届け物なんてつまらねぇ仕事を振られたときには不満しかなかったけど、すげぇラッキー!」
「!?!?」
私が返事をする間もなく、たたみかけるようにして言葉を続けてきた。
え!?じ、自己紹介…!?
私まだ何も答えてない気がするんだけど、ど、どういうこと…?
まさか私が知らないだけで、余所ではこれが一般的な会話のテンポなの…!?
ど、どうしよう、この人、全然人見知りじゃなかった…!
そもそも相手が人見知りだというのは、何の根拠もなく私が勝手に思い込んでいただけのことではあるんだけど、暗い夜道で仲間だと思って声をかけたら実はグールだった、くらいの衝撃である。
未曾有の展開に、すでに風前の灯だった私の勇気は今度こそ完全に寝込んでしまい、興奮気味にぐいぐいと近づいてくる勢いには、もはや恐怖すら覚える。
ただ、そうして勇気を出したことをこの上なく後悔しながら、近づいてきた分だけ後ずさっていると、ありがたいことに、もう一人の真面目そうな男の子がその肩を掴んで止めてくれた。
「カイト。彼女、困っているぞ」
「ん?」
指摘されて、カイトと呼ばれた方の男の子が訝しげに振り返る。
でもまた私へと視線を戻すと、目を瞬いたあとで納得した顔になり、悪い悪いとちょっとばつが悪そうな様子で一歩離れた。
た、助かった…。
それを確認して、ようやくホッと一息つく。
もう少しで背を向けて逃げ出してしまうところだった。
兵士相手にそんなことをすれば、流石に不審者として捕まえられても文句は言えない。
「それに今は公務中だ」
「公務中って…、お前はホントに真面目だな、ロディ。ったく、公務と可愛い女とどっちが大事だと思ってんだよ」
ロディと呼ばれた男の子から言葉少なく窘められて、カイトが口を尖らせる。
そのやりとりだけで、二人が気心の知れた間柄であることが伝わってきた。
もしかしたら同郷の友人同士なのかもしれない。
どうやらロディの方はあまり話すのが得意ではないみたいだけど、きっとだからこそ、お喋りなカイトとは相性がいいのだろう。
なんだか私とメイを見ているかのようで、緊張ですっかり萎縮してしまった気持ちも少しほころんでくる。
「俺達兵士は国を守るために働いているのだから、公務が大事なのは言うまでもないことだ。そしてその中には女子も含まれていることを考えれば、同じくらい大事だと俺は思う」
「…相変わらず想定の斜め上の回答をしてくる奴だぜ」
大真面目に答えるロディに、ガックリと肩を落とすカイト。
その反応にロディが首を傾げつつ、私へと向き直った。
「すまなかった」
「ううん」
「俺達は王城より預かった手紙を届けに来たんだ。家の人に手渡してあるから、確認してくれ」
「ありがとう」
すると、今度はごく自然に受け答えをすることができた。
さっきまで何をあんなに緊張していたのか、自分でも拍子抜けしてしまうほどだったけど、相手がどんな人なのか、何を考えているのかが分かってくれば、こんな風に不思議といつもどおりの調子で話すことができるようになるのである。
もっとも、それがなかなか分からないから苦手意識を持ち続けているのだし、人柄を理解できても、今のカイトみたいに話しかけられたら、やっぱり同じような状態にはなるんだけど。
「じゃあな、ソラ!俺のこと、覚えといてくれよ!」
「う、うん…」
そう言うとカイトは元気よく手を上げて、ロディの方は静かに頷いて、仲良く村の入り口へと歩きだした。
念を押さなくても、あれほどすごい勢いで話しかけられたのは初めてだったから、たとえ忘れたいと思っても忘れられないに違いない。
それどころか、しばらくは知らない人から話しかけられる度に思い出して、今まで以上にビクビクすることになるだろう。
なんだか急に疲れを感じて、二人の背中が小さくなるのを眺めながらガックリと肩を落としてしまう。
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