夕食 ―大輔―
今日もすき焼きだったが、あの日と違い、みんな食が進まなかった。
叶一と美弥が同時に居ないことは今までにも何度もあったのだが、大輔がずっと浮かない顔をしているので、誰もが何かあったのだろうと察しているようだった。
「大ちゃん、肉、食べなさい、肉。
卵もこれ、鈴木さんとこでもらった産みたてのやつだから」
此処の家の卵は、大抵、鈴木の家の卵なのだが、敢えて吾郎はそう繰り返す。
口下手な吾郎の気遣いに、大輔は胸が詰まった。
「……すみません」
と頭を下げる。
だが、逆にその他人行儀な返事に、余計、場が静まってしまう。
「そうだ、大輔。
お前、また弓道やるんだろ?」
洋が無理やり陽気な声を上げた。
「え?」
「いや、この間もやっば、サマになってたもんな。
長い間離れてたとは思えないよ。
ずっと身体鍛えてたんだろ?」
洋は体格に合わせて、かなり大きな弓を使っている。
それを現役離れて久しい大輔が、軽々と引いて見せたことに感激していたようだった。
「お前って、ジムとかに通うタイプじゃないから、黙々と一人で筋トレとかしてそうだな。
黙々と……」
言いながら、洋の声が小さくなる。
久世の屋敷は広すぎて、住人が少人数になってからは、ぽつぽつと居るところにしか灯りがついていない。
まるで、ホラーに出てくる洋館のようになっていた。
その暗い屋敷の中で、ひとり筋トレに励む大輔――。
想像して、余計、暗くなったらしい。
洋は朱色の箸を掴む手で、頬杖をつき、溜息を漏らした。
「お前もなんというか、こう、もっと積極的に出れないの?」
どうやら、話が弓道から、姉、美弥にスライドしたらしい。
洋は、叶一にも懐いているが、弓道のこともあっての期待か、自分の義兄になるのは、大輔だとずっと信じていた節があった。
「叶一はああ見えて、っつーか、見たまんま、手が早いみたいだけど」
と言いかけ、吾郎の視線に気づき、顔を逸らす。
やはり、その娘の父親の前で、こういう話題はどうかと思ったが、つい――
「俺だって……」
と小さく呟く。
洋が、ちらとこちらを見た。
中一で美弥にキスしようとして、突き飛ばされた。
浩太が言うように、そこまでは、結構普通の展開だったのだが、あのとき躓いて以来、つい、そういう意味では、距離を置くようになってしまった。
何かある度、あのとき困惑していた美弥の顔を思い出し、嫌われたらどうしようという想いを強くした。
美弥を好きな分、どうしても慎重になって、身構えてしまうのに。
あの男、そういう情緒はないのかっ。
自分と正反対の兄を思い、箸を握り締める。
「なんかしんないけど、折れる折れる……大輔っ」
洋が苦笑いしてこちらを見ていた。
あーあ、と溜息を漏らした。
だいたい、あのときだって、あんなに焦るつもりはなかったのに、一志たちが――。
小学校も終わるくらいから、段々みんなの美弥を見る目が変わってきた。
それまでは、わかりやすく女の子女の子した子に人気が集まっていたのに。
美弥の面倒見のいい性格と、あの明るい愛らしい顔つきと。
一志たちが、次第に今までと違う意味で、美弥に一目置くようになったのを感じていた。
姉御的な尊敬から、女性として憧れを抱く存在に。
実際、遠からず、そのように評価が変わるだろうことは、圭吾などを見ていて、予想はできていた。
年の離れた圭吾は、最初から、大人の感性で美弥を見ていたから。
せめて、高校まで待つべきだったのかな。
いや、どのみち、あいつは突き飛ばした気がするのは気のせいか。
叶一は突き飛ばされなかったのかな。
式場だから突き飛ばさないか。
その前に何もなかったという保証もないが、あいつなら、突き飛ばされても怯みもせず、笑っていたことだろう。
甘えたり、ねだったり、すがりついたり。
目的のためには手段を選ばずというか、自然にそういうことのできる叶一の性格が、今、心底うらやましかった。
自分に必要なのは、浩太が言うように、例え、憐れに見えても、美弥に泣いてすがることなのだろうか。
だけど、そんなの俺じゃない。
でも、それで美弥を失ってもいいかと言うと――。
「だ、大輔。
ほら、お前の好きなお笑い番組、始まるぞ。
食欲ないんなら、テレビでも見ろよ」
どのくらい眉間に皺が寄っていたのだろう。
焦ったような洋の態度に、心底申し訳ないと思った。
自分のせいで、洋こそ何も食べていない。
帰る、と大輔は立ち上がった。
「は?」
茶碗を奇麗に重ね、台所に持って行こうとすると、真紀子が慌てて、
「い、いいから、いいから、置いておいて、大ちゃん!」
と言う。
それでも下げるだけ下げた大輔は、キッチンの横、裏口で深々と三人に向かって頭を下げる。
「どうも、お世話になりました」
……ご馳走様だろう? という困ったような洋の声がした。
それは、つい、心の内が出てしまったものだった。
どうも、今までお世話になりました――。
大輔が去った後、彼の消えた裏口を見ながら、洋は溜息をつく。
「なんか今のあいつ、期限切れで、別れを告げに来た電子ペットみたいだったな」
「洋、縁起の悪い例えはやめなさい」
と吾郎が顔をしかめた。
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