家出中 ―浩太―
昼下がり、デスクでひとり大欠伸をしていると、
「眠そうだな、浩太」
という声がした。
浩太は頬杖をついて笑う。
「なんだ、大輔。
もう来ちゃったの?」
ってか、君らとりあえず、ノックくらいしたら? と思ったが、まあ、ほんとのところ、どうでもいいことだった。
案の定、大輔はなんの迷いもなく、奥の部屋のドアを開ける。
美弥ちゃん……僕は怖いよ、この男、と思っていると、大輔は入り口に立ったまま、
「なにしてるんだ?」
と中に向かって囁く。
その声が妙に優しげなのは、叶一もうろたえていることに気がついて、誤解が解けたからだろう。
にしても、この人たちは、何故僕のところなら安全だと思い込んでいるのか。
僕が特に女性に不自由していないからだろうか?
はて?
自分の心情を他所に、勝手にこのカップルは仲直りの真っ最中だ。
「家出」
と中から美弥が、ぷっと膨れたような口調で言う。
暇なので覗きに行くと、美弥は部屋に持ち込んでいるクッションを抱き締めて大輔を見上げていた。
まるで今にも親にそこから引きずり出されそうな子供が、最後の頼りとばかりに、柱にしがみついているような印象だが、クッションなので、もちろん彼女を助けてくれるわけもない。
最も、彼女は此処に留まりたいわけでもないのだろうが。
彼女が此処に来たのは、こうして、大輔がやってくることを無意識の内に計算していたからに違いない。
「人んちに巣を作るな」
もう完全に美弥テイストに染まっている部屋を見下ろし、大輔は言う。
しかし、おかげで、普段はほったらかしの居住区が随分奇麗になっているのも事実だった。
「ほら、帰るぞ」
と部屋に踏み込んだ大輔は、美弥の首根っこを掴む。
いや~っと美弥は駄々を捏ねるように手を振り払おうとした。
迎えに来てくれたのは嬉しいが、せめて一言、あらぬ疑いをかけた
戸口に縋って見ていた浩太は身を起こして言う。
「え~。大輔、もう持って帰っちゃうの~?」
「浩太、私、ぬいぐるみじゃないんだけど……」
「こんな口うるさいぬいぐるみなんてないよ」
と言うと、だったらいいだろ? と大輔が睨む。
「僕もねえ、たまには叱られてみたいんだよ」
「なら家に帰れよ。
お前いつも他のマンションで寝泊りしてんだろ?」
「親に叱られてもねえ」
と顎に手をやると、わからん、と大輔は切って捨てる。
「相変わらず情緒の欠片もないよね。
美弥ちゃん、この男の何処がいいの?」
「いやそれが私にも、もう……」
はは……、と美弥は苦笑いしていた。
「呪いだよ」
「は?」
「それもう呪いだよ、絶対」
最早、恋愛感情などでなく、長年の大輔の怨念が美弥に、しこっているのではないかと本気で思ってしまう。
「やめてよね。
浩太が言うと、ほんとのことみたいに聞こえるから」
美弥はベージュのクッションを抱いたまま、こちらを見上げる。
大輔は溜息をついて、手を離した。
「まあ、もうちょっと此処に居たいのなら、居ろ」
「あれっ? いいの?」
些か拍子抜けして問うと、
「まあ、叶一には――」
と言いかけ、言葉をにごす。
「はあ、叶一さんには黙っとけってことね。
まあ、いいけど」
と浩太が言うと、大輔は美弥を部屋に残し、そのままドアを閉める。
その相変わらず精悍な横顔を見ながら、でも、こいつも結構あざとくなってきたな、と思う。
そんな友の変化が、可笑しくもあり、哀しくもあり。
ソファの方に戻り、美弥に聞こえないよう声を落とす。
「っていうかさ、君らはどうして、僕のところになら美弥ちゃん置いといて平気だと思うの?」
常々疑問に思っていたことを口にする。
ソファに座った大輔はこちらを見上げ、ああ、というように、あっさり言った。
「お前が美弥を好きだからだ――」
一瞬、耳を疑う。
「はい?」
「お前はあいつに嫌われるようなことは絶対しないだろ?」
「なんかいろいろ言いたいところのことはあるんだけど……」
と腕を組んで眉をひそめる。
「まあ、それが本当だとして、それじゃあ、叶一さんのとこでもいいんじゃないの?」
「叶一は駄目だ。
あいつは時々、捨て鉢になるから」
「お前はたまには、捨て鉢になった方がいいよ」
と多少の忠告らしきことも言ってやる。
「あのさ、いつも言ってるけど、此処、珈琲しか――」
「いらないから、早く次の依頼内容を出せ」
実は横柄な大輔に、はいはい、とデスクに戻り引き出しを開ける。
「でもさあ、前は結構僕のこと警戒してなかった?
なんで急に変わったの?」
「いや、意外と本気なのかなと思って」
しれっと大輔はそんなことを言う。
「心外だ……」
「どっちの意味でだ?」
「いや、そんなに本気なつもりはないって意味」
と言いながら、大輔用に纏めておいた茶封筒を渡す。
大輔は中身を確認しながら、
「美弥が間に入ってなきゃ、何があっても、お前、あいつに謝罪になんか行かないだろ?」
と言う。
龍泉との確執の深さを知る大輔だからこそ出た言葉だった。
美弥のために、少し歩み寄るべきかと思っていたのもほんとだし、家に帰れば、美弥が待っていてくれると思ったから行けたのも本当だ、でも――。
そこでふと疑問に思って訊いてみた。
「そういえば、お前があの人、目の
事件直後はそうでもなかったから、それが原因ではあるまい、と思っていると、
「美弥は一度あいつの前で涙を見せたせいか、どうもあいつの前では、よく泣く。
なんとなく面白くないからだ」
「はあ……」
何処までもお前の基準は美弥ちゃんなわけね、と思っていると、じゃあな、と立ち上がり、出て行こうとする。
だが、一応、という感じを装い、美弥の居る部屋に入っていった。
扉が閉まる音を聞きながら、浩太は自分で自分に首を傾げる。
あの朴念仁に感づかれるようじゃあ、どうだろう。
呪文は効いてないのかな?
だが、それと同時に、それでも気づかない美弥が怖いと思った。
まあ、それだけ自分を信用しているということなのだろうが――。
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