波乱2


 頭いたーっ。

 ってか、鼻も詰まってる。


 風邪ひいたかなあ、と思いながら、美弥がくしゃみをすると、

「なに? 風邪でもひいたの?」

と通じたように、浩太が訊いた。


 さすが、全面ガラス張りの部屋は眩しい。


 寝ぼけた視界に朝の光が突き刺さる。


 ソファの上に起き上がり、ぼーっとしていると、はい、と珈琲が出てきた。


「ごめん、うち、紅茶ないんだ」


 反射的に出されたものを飲んだあとで、置時計が目に入った。


「八時!?」

と美弥は毛布を跳ね上げ、飛び降りる。


「いやーっ、遅刻だっ。

 大輔に怒られるっ!」


「あの~、美弥ちゃん。

 もっと別の心配したら?」

と呆れたようにデスクの前で浩太が言ったが、聞いてはいなかった。


 あまり得意でない珈琲を一気に飲み干し、


「ごめんっ、後でまた片付けに来るからっ」

と応接テーブルの上に叩きつけるように置くと、ぱぱっと毛布を畳んで、駆け出した。


「行ってきまーすっ!」


「行ってらっしゃ……あっ、美弥ちゃんっ!」

と浩太が光るものを投げた。


 受け取ると手に刺さったそれは此処の鍵だった。


 戻ってきた鍵にちょっと笑い、鞄に突っ込むと、行ってきまーすっともう一度叫んで、飛び出した。


「ああっ、美弥さん、美弥さんっ」

 鶴雲寺の前を通ると、寺の前を掃いていた龍泉が呼び止める。


「なな、なんですかっ」


 足を止めずに、彼の前で足踏みすると、

「ヒントヒント、ヒントください、この前のっ」

と言う。


 あ~、前田さんの動機を推理してみろってやつね、と気づいた。


「そうですねえ。

 あんまり詳しい話をしても、個人情報なんで、あれなんですけど」

と前振り的に言うと、


「うちに連れてきて、説教させる気なんでしょうに」

と軽く睨まれる。


「はは……そうですね。


 では、敢えて言うなら、一度なら、美談で済む話も、二度ならどうですかってとこでしょうか」


「……ますますわかんないんですけど。


 ところで美弥さん、貴方のおうちはあっちだったと思いますが」

とホウキを掴んでない方の手で、東を指差す。


「ついでに言いますと、それは、昨日お召しになっていた服ではないですか?」


「そうですけど」


 それが何か? と言うと、

「……悪い癖だな、近衛」

と低くなった声で言う。


「急に変わらないでくださいよ」

「お前は、どうしてそうすぐ開き直る」


「開き直ってませんよ。

 別に、開き直らなきゃいけないようなこともないし。


 昨日はちょっと帰りそびれて――」


「三根の家は、あっちだろ?」

と龍泉は詰問するように他所を指して言う。


「叶一さんと一美と浩太の家はこっちです」

と美弥は今来た方を指差す。


「……そのどれなんだ?

 っていうか、その面子をいっしょくたにする神経がよくわからないんだが」


「あ~っ、もうっ、どれでもいいじゃないですか!

 私、急いでるんで、またっ」


「あっ、こら待て、近衛っ!」


 しつこい龍泉に、あなた、私の父親ですかーっ? と心の中で叫びながら、美弥はダッシュで逃げ出した。




「近衛っ!」


 走って逃げる美弥に、龍泉が思わずそう叫ぶと、


「……まるで逃げた女房を追いかける冴えない亭主みたいですねえ」

という声が背後でした。


 振り返ると、ゴミ袋を抱えた美咲が立っていた。


 また怒られるかと思ったが、ただこれ以上ないくらい呆れた顔をされ、叱られるよりも哀しくなる。


「あの~、持ちましょうか? それ」


 龍泉は機嫌を取るように言ってみたが、

「結構です」

と美咲はそのまま、すたすた行ってしまう。


 龍泉はつい、昔に戻ったように頭を掻いた。




「ただいまー」


 美弥が家に帰ると、そこはもう、もぬけの殻で、ただ食卓テーブルの上に冷えた朝食だけが置いてあった。


 あっためて食べなさい、という達筆の母の字に、


「実の親は心配せず、か。

 それもどうだろうな……」

と呟く。


「着ー替えよっと」

と誰も居ない家で、わざと大きな声を出し、自分の部屋へと向かった。





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