エレベーター

  

 美弥がいろいろ考えながら、エレベーターホールで、ぼうっと待っていると、チンと大きさの割りに可愛い音がして、扉が開いた。


 降りてくる人々の中に、見知った人影がある。


 落ち着いた色の薄地のセーターにロングスカート。


 ほっそりとした容姿に長い髪。


 美弥は思わず身構えたが、彼女はこちらを見るなり、


「あら、美弥」

と普通に言った。


 なんだか座り込みそうになる。


 近づいて来た倫子の手にはケーキの箱があった。


「お見舞いに来たんだけど、病室何処?」

ときょろきょろと辺りを見回す。


「ごっ、五○三……」


 もう気は済んだのかな。


 それとも、先生が刺されたという事実に、おとついのことを忘れたとか。


「あんたもう行ってきたの?」

とこちらを振り向いて問うた倫子に頷くと、


「いいじゃない。

 もう一回行こうよ」

と腕を引っ張ろうとする。


「みっ、美咲さんが居るっ」

 そう言うと、ピタリと足を止めた。


 倫子は、ちっ、と舌打ちした。


「……後にするかな。

 私、あの人苦手」


「苦手なの?」


 倫子は別に睨まれてはいないはずだが、と思っていると、


「いい人なんだけどさあ。

 ちょっとお堅いっていうか。


 子どもの頃、同じ書道教室に通ってたんだけどね。


 掃除のときとか揉めたりしても、理詰めで責めてくるんだよ。


 怖いおねえさんだなあって印象があって、未だに苦手」

と言う。


 確かに、正しいことでも、迷いのない眼で畳み掛けるように言われると、ちょっと怖かったりもする。


「でもまあ、先生にはちょうどいいかな……」


 思わずそう漏らした美弥は、視線を感じた。


「ああっ、ごめんっ。

 あんた、龍泉さんがいいって言ってたんだっけ?」


「いや、別に好きってほどでもないからいいけど。


 っていうか、あんたが人前で先生っていうの、久しぶりに聞いたわ。


 私たちはつい、うっかり言っちゃったりするけど、あんたは徹底して言わなかったのにね」


「言わないようにはしてたけど……たまにはあるよ」

と苦笑する。


 自分の中で、龍泉と佐田の間に、はっきり境界線を引いておかないと、なんだか、けじめがつかなくて。


「確かに先生には、あのくらいきつい……

 もとい、厳しい人の方がいいかもね。


 先生いい人なんだけど、ちょっとダラッとしたとこあるから」


「そうそう。

 人がいい分、流されやすいというか」


 それは情の厚さの表れでもあり、彼のいいところであるのだが。


 美咲とのことが、なんだか、ぐずぐずのまま始まってしまったのも、そのせいではないのか。


「まあ……人のそういう問題には口突っ込んでもね」

 思わずそう呟いた美弥を威嚇するように見る。


「あんたそれ、厭味?」


「ええっ!?

 いっ、いや、違うっ」

と逃げ腰になったが、倫子は、ふっと表情を緩める。


「今回のことでわかったんだけどさ。

 私、やっぱり叶一さんのこと好きじゃないや」


「へ?」


「なんだろ。

 好きは好きなんだけど。


 あんたほど真剣じゃないっていうか」

と不可解なことを言う。


「私、あんたほど真剣にあの人のこと考えてなかった。


 あんたの叶一さんに対する気持ちは恋愛じゃないかもしれないけど、久世を想うのと同じくらいには、大事にしてるのよね」


「それは……だって、家族だし、仲間だから」


 倫子は上目遣いに見上げ、くすりと笑う。


「まあ、よく考えて結論だしなよ。

 人生は長いんだから」


 そうだね、倫子。

 人生は長い……かもしれない。


 でも――


「周りから散々突き上げられてんだもん~っ!」


 泣きの入った美弥に、こればっかりは一人じゃどうしようもないからねえ、と苦笑いする。


「だいたい、久世も悪いわよ。

 なんでなんにも言わないの?


 あんたのこと好きじゃないんならそれでいいけど。

 そうじゃないのに、なんで黙ってんの?


 一応、両想いなのに諦めろって言われても、確かに酷よね」


 今まで一度も久世にそれらしいこと言われたことないんでしょう?

と問われ、美弥は唸る。


「言われたっていうか、なんていうか……」


 ごにょごにょと歯切れの悪い美弥に、なによ? と倫子が鋭く訊き返す。


 長い付き合いだ。

 脅さなければ、しゃべらないと、わかっているのだろう。


「大輔がなんにも言わないのは、あれが原因かなあと思うことはないでもない」


「……あんた、脅せば、ボロボロ出てくるわね。

 もう他に隠してることないでしょうね」

と睨む。


 ないないないっと慌てて手を振った。


 そんな昔のことを。


 いや、大輔なら気にしてそうだ。


 ただ、それで、と考えるのは、おこがましいと思って、考えないようにしていただけで――。







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