ソファ ―浩太―



「しょうがない人だねえ、まったく」

 浩太は膝の上の美弥を見下ろし、諦めたように笑った。


「ほんと寝てんの? 美弥ちゃん」


 寝ているとわかっていて、その小さな顔に向かい、問いかける。

 なんとなく間が持てなかったからだ。


 美弥は、倫子とのことが気になって、眠れなかったのかもしれないなと思っていた。


 美弥は叶一の妻なのだし、倫子は叶一に憧れ程度の想いを寄せているだけだ。


 美弥が何をびくつき、やましく思う必要があるのかわからないが、女の子同士というものはそういうものなのかもしれない。


「なにやら割って入れない、強い結びつきがあるからねー」


 倫子と美弥がタッグを組んでいるときには、叶一も大輔もちょっと引き気味だ。

 口を差し挟めない迫力がある。


「まあ、君はピンでも迫力あるけど……」


 だが、そんな倫子にも、叶一のことは相談できない。

 つまり、それに付随する大輔のことも愚痴りにくい。


 叶一や大輔には当人なので言えるはずもなく、圭吾はいきなり説教しそうだ。


「それで僕?」

 美弥は答えないで、気持ち良さそうに眠っている。


 もうそのままで居たら? とか。

 さっさと別れたら? とか。


 誰もがタブー視するその問題に関して、自分は、その場その場で言いたい放題言っている。


 だが、その方が美弥にとって居心地がいいのかもしれない。

 下手に気を使われるよりも。


 頼られてる気がして、悪い感じはしないが……。


 ふいに、美弥がいつか言っていた、昔飼ってた猫の話を思い出した。


『あんたに似た猫飼ってたのよ。

 うんと小さい頃。


 お父さんが、もらってきたの。


 私はどっちかっていうと、野良の駄猫の方が好きなんだけど、長毛種の高級な猫だったわ。


 プライド高くて扱いづらかったけど、可愛かったの』


『それが僕に似てるってどういう意味なの……?』


 そう言うと、はははーと笑って美弥は誤魔化した。


 で、その猫、どうなったの? と訊いてみた。


 美弥の家に出入りするようになってから、まだ死ぬ年でもないはずなのに、そんな猫は見たことがなかったからだ。


『逃げちゃった』

 あっさり美弥はそう言った。


 それを聞いたとき、自分に似てると言ったのは、それでではないかと思った。


 あんな力を持ちながら、美弥たちの結婚も事件も、なにも止めてやれなかった自分に嫌気がさして、しばらく美弥たちに近づくのはやめていた。


 肝心なときに、いつも居なくなってしまう自分を、美弥たちは本当はどう思っていたのだろう。


 美弥の丸く小さな額を見ながら、浩太は呟く。


「逃げたいよ。今回も本当は――」


 このまま美弥たちと居れば、確実にあの未来は訪れる。


 自分が何より恐れている未来。


 だけど、それは、本当はなにより欲している、心の平安が訪れる瞬間なのかもしれなかった。


「ねえ、美弥ちゃん。

 僕は確かに君に甘いけど。


 ほんとうは僕こそが君の一番の敵かもしれないんだよ。

 わかってる?」


 君のその信念が続く限り――。


 浩太はそっと、美弥のそのつるんとした額に唇を寄せてみた。


「……起きないし。

 ほんっとうに僕を信用してるね?」


 君の信念と僕の信念と、この友情を続けていくのは難しい。


「だけど、やっぱり、もうちょっと側に居たいと願うのは、きっと……」


 浩太は美弥の片付けた久世家の空気を深く吸い込んだ。


 春のはじめの心地よさが胸いっぱいに広がる――。



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