凶器

 

「あれはなにかしら、大輔」

「魚獲りしてる人じゃあなさそうだな」


 美弥が現場に行ってみると、大輔は渋い顔で土手の上の道に立ち、川原を見下ろしていた。


 鑑識や警官に混じって、ズボンを捲くった叶一が川に入っていた。


 こちらに気づき、おーいと手を振ってくる。


「美弥ちゃんたちもおいでよー」


 まだ水は冷たそうなのに、叶一は楽しそうだった。


 近くの白いワゴンに銀色のケースを運んでいた鑑識の一人が、すれ違いざま、ぼそりと言ってきた。


「大変ですね、奥さん」


 美弥はいたたまれなくなって、すみません、と小さく呟く。


 腕を組んで見下ろしていた大輔が、

「天職だな、あれ……」

と呟く。


 確かに……。


 水野の言うとおり、あのまま鑑識に居れば、そのうち、『指紋の神様』みたいに、なんとかの神様とか、呼ばれるようになったのかもしれないが。


「にしても、大輔。

 なんで此処に居るの?」


「叶一から電話があった。

 お前も出先から来るから、此処に来いって」


 ああ、と思う。


 いきなり電話は切られたが、やはり、ちゃんと聞いていたのだ。


 叶一さんのこういうところ、怖いよな~、と美弥は思う。


 聞いてないようで、聞いている。


 まあ、それを怖いと思うのは、自分にいろいろと、やましいところがあるからだろうが。


「おはようございますー」

と水野が手を振り、やってきた。


「凶器ってなんの凶器だ」

「通り魔事件のです」


 はあ? と二人は声を上げた。


 何故、通り魔の凶器が、よりにもよってこの川から?


「それはまだわからないんですけど。

 今朝、犬の散歩していた市民から通報がありまして。


 そこの岩場に刃物が引っかかってるから、例の事件の凶器じゃないのかって。


 ところが来てみたら、かなり大き目の包丁で、八巻さんの傷とは形状が合いませんでした。


 それで叶一さんが、何かピンと来たらしく、その包丁の特徴を例の通り魔事件の被害者たちに言ってみろって」


「そうか。

 此処のとこ、事件起きてなかったものね。


 前は毎日のように何かしらあったのに。

 犯人は手に馴染んだ凶器を失って、ちょっと控えてたってとこかしら。


 あるいは犯人が殺されるかどうかして、凶器だけ、川にどぷんっ!」


「通り魔の凶器なんて、なんでもいいんじゃないですか?」


 ふいにした声に顔を上げると、龍泉が立っていた。

 上流の方からやってきたようだった。


「来る途中に寄ったたむらで一緒になったんだ」

と大輔が言う。


 たむら。

 その言葉に、ついどきりとしてしまう。


 大輔がそんな自分の表情を窺うように見ていた。


 ついでに一緒に来た龍泉は現場から離れて、この辺りをうろうろ見て歩いていたようだった。


「たむらで新作が出たって聞きましたのでね。

 お茶席で使う茶菓子にどうかなと思って見に行ってたんですよ」

と龍泉は言った。


「で、なんで、凶器は同じものでないといけないんです?」


「あ、それがですね。

 人によっても違うと思うんですけど。


 ああいう連続で犯罪を犯す人って、結構、験を担ぐところがある気がするんです。


 凶器がこれだったら捕まらない、足がこの車だったら捕まらない、とか」


 はあはあ、と龍泉は頷く。


「あの犯人、自転車だったり車だったり徒歩だったり、他にあんまり共通点がないんですよね。


 服装もバラバラだったみたいだし。


 ってことは、もしかして、凶器が犯人にとっての験担ぎだったのかなって」


 はあ、なるほど、と龍泉は感心したように言った。


「バカバカしい。

 捕まらない犯罪なんてあるものか」


「……妙な重みがあるわね、その台詞」


 ま、ともかく、と美弥は水野に向き直る。


「叶一さんが訊けって言ったってことは、何かその包丁に特徴があったってことかしら?」


「そうなんです。

 実は柄のところに、細い金の輪の飾りがついてて。


 二人ほど、言われて初めて思い出したって被害者が居ました。


 そういえば、暗がりで、包丁が、きらっと金色に光った気がするって」


 しかも、木製の柄のところに、微量の血が染み込んでいたらしく、これから鑑定するのだと言う。


「それは見つけた人、大手柄ね。

 で、この大捜索はなんなの?」


 そう美弥は水野に訊いた。


「いや、叶一さんがもしかして、八巻さんの事件の凶器もこの川の思いがけない場所に残ってるんじゃないかって言い出しましてね。


 あの日、結構な雨量だったでしょう? 

 凶器も流されちゃってるんじゃないかって」


「もしかして、叶一さん、八巻さんの事件と通り魔の事件と、何か関係があると思ってる?」


「そうみたいなんです。

 あの八巻さんの殺された日以降、通り魔現れてないですからね」


 美弥は頬に手をやり、考え込む。


「増水か……」

と川を見ながら、大輔が呟いた。


「川原にも水が溢れてたんだよな」


「ええ。

 それが八巻さんの血が止まらなかった理由のひとつですから」


「凶器は川原に落ちていた。

 いや、川に投げ捨てていたとしても。


 最初は濁流にもまれていても、軽ければ、いずれ浮いてくる。

 流れが勢いを失った辺りで」


 大輔、と美弥はその袖を掴む。

 軽ければ、という言葉に、彼が何を凶器として示唆しているのか察した。


「増水していた川原の地面の何処かにあったりはしないか?」


 大輔は水野に向き直り訊いた。


「でも大体、この辺りは捜索して……」

「あの、あの辺に小屋がありますよね」


 龍泉が、今来た上流の方を指差す。


 事件現場と此処との中間辺にも、現場近くにあったような、小さな掘っ立て小屋があった。


 ああ、と水野が顔をしかめて言った。


「河川敷ゴルフを勝手にやっちゃう人たちが荷物置いてるんですよ」


「そうですか。

 いや、実はちょっと中を覗いたら、子どものおもちゃみたいなのがあったから」


「おもちゃ?」


「ええ。

 子どもも遊び場にしてるみたいで、ままごとのセットとか壊れかけたブリキの車とかありましたよ。


 泥がついてたりとか、かなり汚れてるものも多くて。

 この辺りで拾って来てるのもあるんじゃないですか」


 大輔と、はっと顔を見合わせる。


「でも、一応調べたはずなんですけど」

と水野が言う。


「だけど、もし、持って帰って、汚いって怒らないような家の子なら、此処から持ち出してるかもしれませんよ。


 ああでも、凶器なんてそんな物騒なもの持って帰ったら、幾らなんでも――


 って、おーい、美弥さん、大輔さーん」


 美弥たちは龍泉の言葉を最後まで聞かずに走り出していた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る