蒼天の弓 ―叶一―

 

「地下室みたいね、此処は」


 紙袋を手に、美弥は叶一の部屋のドアを開けた。


 坂の上にあるというアパートの立地上、玄関などより一段下がったその部屋は、締め切ってあると、まるで地下室のような印象を受ける。


 隣の家の陰になって、日が当たらないせいもあるかもしれない。


「いやあ、落ち着くんだよね。暗いと」


 カーテンを閉め切った窓際のデスクの前で、叶一が振り向く。


 部屋の中はパソコンの灯りだけだった。


「叶一さんって、仕事やめたら、こういうとこにずっと籠もってそうね」


 そう言いながら、美弥はパソコンの側に紙袋を置く。

 叶一はガサガサとその中からタッパーを出し始めた。


「食べに来れば、運ばなくていいのにって、お母さんが言ってたわよ」


 それを聞きながら、はははーと笑っている。

 いつものことだが、答えになっていない。


「わ、ほうれん草の白和えだ。

 そういえば、美弥ちゃんちのこれ、あの人も好きだったよね」


「あの人って……おじ様?

 ってか、なんで過去形?」


 まだ死んでないし、と思ったが、それよりも、叶一が隆利の好きなものを覚えていたことに驚いた。


「あ、サバだ」

と別のタッパーを開け、嬉しそうに笑う。


「ねえ、叶一さん」

「なに?」


「――犯人は誰?」


「……またストレートだねえ。

 でもなんで僕に訊くのさ」


「貴方なら何かわかってるんじゃないかと思って」


「そりゃまた買い被りだね、嬉しいけど。


 あ、それともあれかな?

 もしかして、僕が犯人だと思って訊いちゃってる?」


 デスクに腰を預け、腕を組んでいた美弥は、そのままの体勢で彼を見上げて言った。


「今の貴方に人を殺す理由があるの?」


「……まだ死んでないよ? 美弥ちゃん」

とさっきは自分が殺しにかかったくせに笑ってそう言う。


「でも、そうだね。

 今は特にはないかな。


 っていうか、いつもないけど。


 僕そんなに他人と関わらないし、殺さなきゃいけないほど思い入れもしないし」


 そうなんでしょうね、と暗い足許を見て呟いた美弥に、


「ああ、君は違うよ」

と、さらっと言った。


「正確に言うと、君と大輔は違う。


 いや……三根さんも、あれ? 莢子さんも、君んちの親も、洋も――」


 自分で指を折りながら、本気で首を捻っている。

 思わず、笑ってしまった。


「いつの間にか貴方にも大事なものがいっぱい出来てたってことでしょ?」


「いやだねえ、どんどん身動きとりづらくなるよ」


 本気で顔をしかめた叶一に、もっと早い位置に倫子の名も入れてやれ、と思いながら、紙袋を手に取った。


「じゃあね。

 明日も遅刻しないように」


「あれ? 帰っちゃうの?」

「帰るに決まってんでしょ」


 そう顔を近づけて睨む。


「送って行こうかー?」


「いい。

 すぐそこだから」

と出て行きかけて、ドアに続く短い階段のところで振り返った。


「ねえ、証拠とか現場の状況とか、そういうことは抜きにしてさ」


「うん?」


「ほんとのところ、叶一さんは誰が刺したと思うの?」


 叶一はサバの味のついた指を舐めながら、

「そうだねえ」


 僕かな? と笑った。




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