第3話 重み

たぶん1週間ぐらい経過した。

私は、いつものように笑って人生を謳歌している、はずだ。

「まや?」

「うん?」

「大丈夫? 何か、落ち込んでる感じだけど?」

「えっ? あー、ちょっと風邪引いちゃったかも。あははー」

「まやか。本当に元気なさそう」

樋口直子が特に抑揚を付けることなく言う。

「ほれ、なおが言ってるんだ。保健室でも行ったら?」

山下しのんも続けて言う。

本気で心配してるんだ。

「大丈夫大丈夫っ。ほら、バカは風邪引かないって言うしさ? あ、次移動教室だよ。早く行こうっ」

2人の前を先導して、なるべく元気に振る舞ってみせる。

(大丈夫だ、大丈夫っ。私は朝宮まやか何だから、もっと楽しく、そして笑え笑え)

眠気を飛ばす要領で、ほっぺを軽く叩いた。

その瞬間は目を閉じていて、開けた時には角から飛び出してくる人影とぶつかった。

そして持っていた教科書と筆箱を落としてしまって、相手はほんのちょっと焦った様子ですぐに拾ってくれた。

「ごめ、ん」

「私もごめ———」

その後が消えちゃったのは、

私の幼なじみ。

もう170あるのかな? まつ毛が長いのは少し羨ましい。目つきは悪いけど、シュッとした輪郭と相まってやっぱりちょっとカッコいい。

親譲りの茶色の髪は今もサラサラしていて、きっと本人は気づいてないけど、子どもの頃からする柔軟剤の香りが微かにして、結構いい匂い。

暁優正は目を大きく開けて、私と目が合うと自然と逸らした。

「あ、ぁ、優正かぁ〜。びっくりしたー」

そんな風に露骨にされると、私も視線を逸らしてしまう。

「…………忘れ物っていうか。そんな感じ」

と優正は落とし物を私に渡す。

「そっか。遅れないようにね」

受け取った後、変な間があったのは、お互いに動かなかったのは、何だったんだろう。

小さく咳払いして、私は気を取り直す。そして階段を登る。

後ろで優正の声が聞こえた気がしたが、それも空気のように振り切って、駆け上がる。

(こんなはずじゃ、ないのにな)


「まやかっ」

と咄嗟に出たが、どうやら聞こえてなかったらしい。直ぐにいなくなっていた。

「あ、暁くん」

呼ばれて見ると、朝宮まやかの友達、山下しのんと樋口直子だったか。

「まやかと、何かあった?」

山下が申し訳ないように訊いてくる。

僕は首を振って、「いいや」と返す。

「早く行ったほうがいいよ暁君。授業、遅れる」

樋口がそう言ってくれたことに、僕は少し安堵した。詮索をされないのは分かっているからなのか、今のも気遣いなのか?

いずれにしろ、有難い。

「じゃあお先ー」

「がんばー」

と手を振ってくるので、振り返して、僕は他の生徒たちがバタバタとしている廊下を走る。

教室に着いて、はぁ〜と息を大きく吐いた。

「なんとかしなきゃな」

なんとか、その部分はイマイチ分かってない。

まやかが何に対して怒ったのか。

思えば、まやかと喧嘩したことは有っただろうか?

…………ダメだ。全然思い出せない。

有ったとしても、きっと大きな事ではなかったか。

いや、一個だけ、覚えていることがある。

あれは確か…………

そこで初めて、僕は授業遅刻の確定を知らされることになった。


帰り際。僕の机の前に両手を合わせて懇願する男、前山翔也まえやま しょうやにとにかく謝られていた。

「ホントにごめんっ。悪気はなかったんだ」

「いや、何の話?」

「そりゃあ、朝宮さんのことだよ……」

「…………?」

「おれのせいだろ? 最近、朝宮と親しくないじゃんか。おれが大げさに言ったのが、たぶん原因だし…………ホントごめんっ」

「何誤ってんだ? 前山」

他から見ればそれなりに異様な光景で、村上が訝しむように来る。

「何つうかさ? 暁結構カッケェしさ? お似合いだと思ってんだよ? だから後押しのつもりで言ったわけでさー」

「…………ホントにコイツはどうしたんだ?」

「知らん。どうにかしてくれ…………」

僕は鞄を持ち、立ち上がる。

「ああそうだ。暁、ちょっと待ってくれ」

「待つ?」

「せっかくだしさー」

と屈託のない笑みを見せる。


そして、連れられたのがファミレス店。店内には僕らのような学生服を纏った者たちで溢れていて、最近建てられたのだろうと推測を立てて見る。用は1人遊びだ。

今いるのは、暁優正こと僕。

それから今日は部活が休みで暇らしい村上宏大、因みにサッカー部だ。

さらに、左右の髪が癖っ毛でカーブしている前山翔也。印象としては結構うるさい感じだ。正直これしか彼のことは分からない。

そしてもう1人。横谷俊よこたに しゅん。村上が廊下で拉致してきた人。黒髪丸メガネと、勉学に励みそうな容姿。しかし、何故かソワソワしており、僕と視線が合うと火に油を注いだ状態だ。

そこまでビビらなくても良くないか?

「なぁ。横谷ーっ。初めましてだな?」

「あ、あぁ。うん、そうだね…………」

「え、面識ないのか村上?」

「ないぜ」

「…………何で連れて来ちゃったの?」

「おっすおっす。おれ前山っ。仲良くしようぜっ、横浜君っ」

「あ、うん。横谷です……」

隣にいる前山が肩を組んで色々と独り言を話している。

「まぁ、人数多い方が楽しいだろ?」

「村上。お前といると、生きてる世界が違うんだって本気で思うよ」

それから各自適当に注文し、意味のない雑談に花が咲く。

僕はといえば、先に届いたオレンジジュースでも啜っている最中だ。

「なっ、暁もそう思うだろ?」

村上が急に話題を振ってくる。

「何の話?」

「聞いてないのかよー暁ー。樋口いるだろ? 樋口直子。結構可愛くないかって話」

樋口直子。あの赤毛の子か。

「何好きなの?」

「俺じゃなくて、前山がな? 俺は俺で問題になっちまうだろ」

「失敬」

僕はまたジュースを吸う。

僕らの会話を聴いてた前山が僕の方を凝視して来た。

「暁君はさー。朝宮さんのこと好きなんでしょ?」

「えっ? そうだったんだ」

横谷も反応する。

「別に。てか、何でそう思う?」

「えー? 何となくかなー。いつも一緒に帰ってるし、学校でもよく話してるじゃん?」

「話しかけられたから、話す。それだけだ。話さなかったら、ただのコミュニケーションエラーだ」

ようやく店員が、チョコレートパフェを運んで来てくれた。うれしい。

「ふーん。つうか、暁君結構喋るんだね? 意外だよー」

一緒に運ばれて来たポテトを食いながら言う。

「そうだよな。暁かなり喋るんだよ」

「なんだ村上。黙ってたと思ったら」

「いやさ? 入学したての頃とか覚えてるか? 暁ずっと喋んなかったろ? ある意味それでキャラが定着したって言うかさー。つまりはもっと喋れってことだ」

「それなー。話したら結構面白い人、多いよなー。横浜君とかさー、もっと自信持て持てー」

「えっと……横谷です……」

「とりあえず2人とも喋ればいいんだよ。そうしたら、隅でウジウジする必要もないだろ?」

「村上。いいか? 僕らは決して不本意でウジウジしてるんじゃない」

「ほう? 好きでそうしてると?」

「もちろんだ。大体、会話ってのはとにかく疲れるんだよ。今こうしてる間も、大量のエネルギーが放出されてる。僕らはそれを防ぐために、日々努力を重ねてるんだ」

「なるほどな。んで、横谷君はどうだ?」

「えっと、ぼくは、話したいかなーって……」

「あーそっち側ね。把握」

「暁こえー」

1時間は経過しただろうか。

まだこの談合は続き、今は恋愛話となっている。

「宏大って、今誰と付き合ってんの?」

前山が残り少ないポテトを口に運びながら訊く。

「山下しのん。今度合わせてやるよー。マジ可愛くてさー」

「あーもういいよそのノロケ話」

前山がひどく棒読みになったことに、少し笑いそうになる。

「んでさー」と前山が僕の方に乗り出す。

「暁君、結構モテるでしょ?」

「急に来たな……」

「どうなんだ? モテてんのか?」

スマホを触りながら、鬱陶しく訊く。

「お前も前山に乗るんじゃない」

僕は横谷俊の方にSOSを送るが、またソワソワしながら、「……暁、くん。モテそうだよねー……」

…………違うそうじゃない。

これじゃあ、僕がモテることに賛同して欲しいから、威圧したみたいな展開になってる。完全にモテない不良のやることになってる。

「あーおれとしてはさー。暁君と朝宮さんのコンビが見たいんだけどなー」

テーブルに溶けたアイスのように顔を着ける前山が変なことを口走る。

…………またその話題か。

「横谷君は? どう思う?」

「ぼくは、えっと、いいと思う……」

「横谷も賛成派かっ」

横谷の答えに、村上が嬉しそうに言う。

「いや何? 賛成派って。生徒会に立候補でもすんの? 推薦されちゃったの? 今からでも取り消し効くの?」

僕は頬杖を立てて、たぶんダルそうに訊いている。

「でもさーでもさー」と前山が村上との仲介に入る。

「ホントに良くない? 美男美女カップルっ。最高過ぎでしょ?」

「何その思考? ひょっとしてオタクですか?」

「案ずるな。前山はこう見えて、アイドルオタクだ」

「あー本当? デタラメに言った推測も意外と当たるんだ。勉強になったよ」

ん? とコップを掴んだまま、僕はあることに引っかかっていた。

「どした? 暁」

スマホを弄ってた村上が気になったか、訊いてくる。

「いや、美男美女っていうが、そこは僕に当てはまるのか?」

何というか、朝宮まやかが美女はわかる。事実可愛い。それも女優デビューも夢じゃないくらいには。

しかし、僕がそれに並ぶとは到底思えない。

「いやいや。暁君カッケェじゃん?」

「暁、かなりイケメンだと思うけどな」

「えっと……僕も、そう思います……」

「………………」

「暁、ひょっとして照れたか?」

「照れてない」

「照れたなっ?」

「…………照れてない」

「いいやっ、照れてるねこれは。間違いないっ。前山、写真撮れ、こいつぁ売れるぞっ」

「おーけー宏大。任せなーっ」

「やめ、やめろお前らっ。 横谷っ。何とかしてくれっ」

「えっと……ぼくも、手伝いましょうか? 写真撮り?」

「はははっ。いいね横谷君っ。最高だーっ」

「……くそっ。お前らには人の心が無いのかっ?」

「それ暁が言う?」

何故か全員の冷ややかな視線を浴びた。


「まやか。元気ない」

「えっ? そんなことないって。ほらこのとおーりっ」

「やっぱり元気ない」

樋口が二度刺してくる。

実際、元気がないのはそうだ。

そして原因も分かってる。

ただ、これは相談でき———

「暁優正くんのことでしょ?」

「なっ、ち、違う。違いますっ」

(あーもう凄い動揺しちゃったー)

私の友達、樋口直子は普段は無表情で、何を考えてるか全然分かんないけど、時よりかなり確信に迫ったことを言ってくる。

「まやか。暁と、何かあった?」

「あー、えっと〜。いや〜、ホントに何でもなくて〜」

何とか誤魔化そうとするも、直子の目つきが鋭くなっていて、たぶんバレてる…………

私は、落ち着くために体の中にある空気全部を吐き出す。

そうして、気持ちを整えている時も、直子は黙っていてくれる。それが、有り難かった。

「……うん。ケンカした」

嘘は付かずに、正直に話す。

「でも、悪いのは私で、勝手に逃げてるのも私。優正は悪くないんだ」

そうだ。優正は悪くない。

でも、あの時、優正が言った言葉が、少し胸に突き刺さった。

「優正は……私とは釣り合わないって思ってる。暗い自分は、まやかにとっては損だって言って」

優正とは、幼い時からずっと一緒だった。だったのに、小学校、中学校って学年とか上がる度に、優正は私から距離を取ろうとしてるのを感じる。

それは、私が嫌いって理由じゃないのは知ってる。

昔、優正に訊いた。

そしたら、『まやかの迷惑になるから』て訳わかんないこと言って、その時初めてケンカしたかな…………

「なお。私さ…………」

「うん……何? まやか」

「たぶん、私

誰よりも真っ直ぐで、自分の芯は一切変えない捻くれ者。全然笑わないけど、偶に気を遣ってぎこちなく笑うところとか全部好き。

ハッとして、私はとんでもないことを言っていた。

「好きってのは、その、友達として、ねっ?」

直子は冷めた目つきで私を見る。

「まやか。嘘ついてる…………」

「とにかくっ」

私は話を続ける。

「私は、

自分勝手だ。きっと。だって、当の本人は、全く思ってないだろうし。そもそも正しさって何なのって感じだしっ。

ワガママだ。

でも…………

直子は聴き終えると、近づいて私の手を握ってくれる。

「応援、する」

直子は無表情のまま、抑揚もないまま。

でも手は暖かくて、気持ちが伝わってくる気がする。

「うん。ありがと」

決心は着いた。


17時。

まだそんなに暗くはない。

他の学生はまだまだ遊ぶ気だろうが、僕は家の方向に向かう気だ。

家の方向、と言うのだから、目的地は自分の家じゃない。

ファミレス店を出た後は、人通りが多い道のコンビニ前で前山と横谷と別れる。

僕も用があるので、とっとと向かおうとするが、村上が手をこまねいて呼んでいる。

「なんだ?」

「あー、なんて言うかさ」

村上は視線をいろんな所に移しながら、言葉選びに困っている様子だ。

やけに村上にしては珍妙な出来事だ。

「こう、前山辺りに何回も聞かれてるし、俺が追い打ちするのもなんだけど。朝宮とは?」

すぐに否定しようとしたが、いい加減、

「あった。だから最近はあまり喋ってない」

…………別にどうという事はないんだ。僕は1人に慣れている。

だけど…………

「このまま。ずっと、そうする気か?」

村上は、その時はいつもの調子とは何処か違って、それはたぶん僕らのことを思ってのことなのだろう。

「…………ぶっちゃけ、どう繕えば良いか。全然まとまってないんだ。何が原因なのかも全く……」

言って、笑えたくなる情けなさだ。

しかし、これ以上考えたところでどうせ変わらない。ならば…………

と意気込んだ瞬間、背後から見知った声が聞こえた。

山下しのん。たしか村上と付き合っていたが、こんなに都合よく現れるものか?

店内で、村上が必要に携帯を気にしていたのを思い出す。

…………そういうことか。

山下の後ろ。空のように青く揺れる髪。小学校の頃は長かったが、今ではショートに抑えている。子どもっぽい顔つきだったり、仕草だったりで、高校の制服を着ているのにも関わらず、本当に幼く見える。

潤い透き通った瞳で僕と目が合うとそのまま数秒間見つめ合った。

逸らしたら、また、

当然のように村上と山下は僕たちを置いていなくなる。

「樋口は一緒じゃないのか?」

学校帰りそのまま遊び倒したのは服装を見ても分かっていて、よく一緒にいる樋口も何処かにいるのかと思ったが、そうではないようだ。

「え、ああ。途中で帰っちゃったー」

「そっか」

「うん……そう」

…………気まずい。

こういう時、いつも何を話していただろうか? 

いつも一緒にいた。

でも、それだけだ。

理解してると思ってたし、理解されてるとも思ってて、これは

本当は何も分かってない。

分からないんだ

「「あのさっ」」

お互いに言うタイミングを被って、余計に気まずくなる。

たかだか1週間程度なのに。

「えっと、なに?」

今までとは違って、やけに無口なまやかが訊いてくる。

「いや、まやかの方も——」

「いいから……」

小さく、自分が先に言うことを避けるのは、本当に対照的だった。

僕は、下手な譲り合いはせずに続けることにした。

「ごめん」

頭を下げて言う。

これが、僕は朝宮まやかに言いたいことだった。

「…………何が?」

少し怒ったように、表情はきちんと見れてないが、そんな気がした。

頭を元の位置に戻して、僕は言うべきことを言う。

「よく、分かってないんだ」

やっぱり考えてもダメだった。

「もっと時間を掛ければいいとか思うけど、これ以上期限を延ばすのは違うというか……」

僕が言い淀んでいると、まやかが近づいて、

「歩きながら、話そ?」

穏やかな笑みを残してそう言った。


少し寄り道して、綺麗で広々とした公園を私たちはゆっくり歩く。

ちょっと横を見たら男女の組が数人いて、ほんのちょっとだけ恥ずかしい。

視線を戻してからチラッと横を見ると、優正はいつも何も考えてないような、自信満々なポーカーフェイスを崩して、僅かに顔をしかめている。

私は、こういう時の優正をよく知っている。

視線に気づいて、優正が向くと「ん?」と可愛らしい語源で訊いてくる。

「背、高くなったねって」

「ああ。まぁ、それなりに……」

「優正」

「どした?」

「私もごめん」

互いに歩く速度は変えない。

周囲にそこまで人もいないので、私は気にせず話すことができる。

「私が、あんなことを言ったのはね。ただの自分勝手なんだよ」

「自分勝手?」

「優正はさ。自分のことを『損だ』って言ったでしょ?」

優正は無言で頷く。

「私、思ってないから」

「…………?」

「だから、思ってないから。優正と一緒に居るのがマイナスだなんて思ったこと、一度もないから」

「…………でも————」

「あーもういい聞かなーい無線バリアー」

「は? いや、てか、なんだその防御力皆無なバリアは……」

「優正の声が一切聞こえなくなる特殊なバリア」

「あー僕専用なんだ」

「優正がまたを言いそうになったら、口聞かなくなるから」

「そりゃ随分と恐ろしい抑止力で」

「でしょでしょ。だからさ———」

オレンジ色の空の下で、私たちは向かい合う。可愛い花々が爽やかな風に揺られて、それはとっても幻想的だ。

優正は指で耳辺りの髪を適当に弄る。因みにこれは照れている時の仕草だ。

そして優正は言う。

「よろしく。まやか」

甘酸っぱい青春とは、きっとこう言うものであろう。

胸の鼓動は中々鳴り止まなかった。

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世界は案外美しいのかもしれない ジャンルは縛らず、私が書きたいように @tohatowa

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