普通の女の子(2)

 学園祭まであと3日、追い込みである。辰巳は少なくとも一週間は帰っておらず、PCデスクの下に寝袋を敷いて万年床を形成している。家で作業するスタイルのさくらでさえ、早朝から深夜まで部室に籠ってペンタブと睨めっこし、アオイはキーボードを叩きすぎて腱鞘炎になりかけていた。


「ほら、ダメ兄貴の洗濯物と、みんなの夜食もってきたよ」


 唯一スケジュールに余裕のあるメイは完全にお母さん役と化し、部員の世話を一手に引き受けている。今日など、授業に出る余裕のない3人分の代返を1人でこなす荒業をやってのけた。


「やはり…君は本物のエンジェルだったのk」


「仕事しろダメ人間」


「イエス、マイシスター!」


 妹の下僕と化した辰巳は、やつれ切った顔をディスプレイに戻すが、目から光が失われている。昨日ようやく完成したベータ版をプレイしたところ大量のバグが見つかり、立ち絵も含めた大幅な修正を余儀なくされてから、部室はちょっとした戦場と化していた。こんなことになるなら夏休みから真面目にやっていればと誰もが密かに思っているが、口にすると何かが崩壊しそうなので黙っている。


「よし…第2章のコードは一通り直したから、木乃花さんグラフィック確認してくれる?」


「分かった…見てみる…」


 疲労困憊のさくらは、アオイから渡されたデータを起動し、ストーリーを回す。ヒロインが主人公をお茶に誘うシーン、画像が飛んだり欠損したりしていた部分が無事修正されており、胸を撫で下ろす。朦朧とした意識で何パターンものシナリオを周回するうち、ふと現実と重ね合わせてしまい、妄想が捗りかけては我に返るサイクルが続く。だめだ…現実逃避しても、何も始まらない…


「守矢君はツナマヨだよね、はい」


「ああ、ありがとうメイ。ほんとに助かる…」


 メイとアオイは自然と息が合い、たまに長年連れ添った夫婦のような雰囲気を醸す。それに比べて私は、願望をゲームに託して妄想するしかないのか…。やるせない思いにさくらが囚われかけたとき、携帯の着信音が響き渡った。


「はい岩永です。はい、はい……えっ!すみません、今すぐ行きます!」


 慌てふためくメイに、全員の視線が注がれる。これ以上の遅延はすべてを破綻させると分かりながらも、怖いもの見たさで次の言葉を待つ。


「実は…うちのサークルの展示スペース、備品は借りたけど場所の申請忘れちゃってて…もう別の美術サークルが予約してるから使えないって…」


「ほかの空きスペースは?」


辰巳が上ずった声で尋ねる。


「直前でみんな埋まっちゃってる…私のせいで…どうしよう、ほんとにごめんなさい…」


 取り乱すメイに、アオイがすっと歩み寄って肩に手をかける。メイは泣きそうな目で、アオイを見た。「どうしよう、アオイ…」


「大丈夫…とりあえず、そのサークルと場所を分け合えるか交渉してみよう。この時間ならまだ活動してるはずだから、僕が行ってくる」


「待って、私も行く」


 転がるように部室から駆け出す二人の背中を、さくらは見つめることしかできなかった。


                  ◇


 学園祭前日の朝。ようやくデバッグに目途がつき、部室のPCはDVDダビングに総動員された。渋る美術サークルをアオイとメイが必死に説得したことで、現視研は猫の額ほどの展示スペースを何とか確保し、ようやくゴールが見えた部員たちは久々の休息を手にした。


「危ないところだったが、みんなの頑張りで何とか間に合いそうだ…修羅場モードお疲れ…」


 自分が一番疲弊している辰巳が、労いの言葉とともに缶コーヒーを配る。


「展示スペースのポップと飾り付け、私が作っておきます」


「おお、木乃花さん。仕事ばっかりですまぬ…ありがとう」


 さくらに謝意を表した辰巳は、そのまま床の寝袋に潜って意識をシャットダウンした。たぶん40時間ぶりぐらいの睡眠だ。ゆっくり寝させてあげよう。


「私、展示スペースの下見してくる。せっかくアオイ君が取り返してくれた場所だから…せめてちゃんと目立つ配置にしないと…」


「あぁ、ありがと…メイ」


 未だに責任を感じているのか伏し目がちに言って部室を後にしたメイを、アオイもぎこちなく見送る。一緒に行ってメイを励ますようアオイに声をかけようとして、さくらは寸前で言葉を飲み込む。こうして、自分の思いを押し殺していても、何も解決しない。


「ねぇ、アオイ。ずっと気になってたんだけど…」


 二人きりの部室で、思い切って口火を切る。もう、後戻りはできない。


「木乃花さん、どしたの?」


 疲れた顔で、アオイがこちらを向く。その目を正面から見据え、単刀直入に斬り込んだ。


「アオイって…メイのこと、好きなの?」


 5秒ほど間があって、アオイの目がゆっくり見開かれる。


「そうか、気付いてなかったんだな」


 ゆっくり言葉を吐き出すと、アオイは覚悟を決めた様子で続けた。


「実は…僕たちしばらく付き合ってたんだ」


「!?」


 さくらは開いた口が塞がらない。


「でも別れた。ちょうど2日前、二人で美術サークルに謝りに行った後、メイに振られたんだ」


「なんで…」


 率直な疑問が口をつく。二人の関係に気付かないまでも、お似合いだと思っていたのに。


「僕が無理してたのを、メイに見破られたんだ。ほんとはメイが好きというより、彼女に似合う男になりたくて変な背伸びしちゃってた。コンタクトにしてみたり…でもやっぱり、僕はどこまでいっても僕でしかない…」


「でも、私はそんなアオイが好き!」


 自分で発した言葉を聞き、さくらは一気に赤くなって俯いた。順序いくつ飛ばしたのよ、私…


 そろりと顔を上げると、そこには意外にも優しい笑顔があった。


「そう言ってくれて嬉しいよ。今はメイとの件で気持ちの整理ができないけど、これからはもっと素直になるように努力する。それにしても、現視研のさくら姫に気に入ってもらえたなんて、光栄だなー」


「姫って言うなぁ!」


 NGワードに思わず過剰反応したとき、アオイの背後に黒い影がのそりと立ち上がるのが見えた。


「あ、アオイ…!」


「アーオーイーくぅーん…??」


 ぎょっとしてアオイが振り向いた先には、顔面を歪め、仁王立ちする辰巳の姿があった。そのまま羽交い締めにされ、声にならない呻きが漏れる。


「イワナガセンパイ…ヤメ、テ…」


「この俺にだまってマイエンジェルと仲良し…あまつさえ他の女に浮気とは、どういう了見だYo…」


 直後、下見から帰ってきたメイが光の速さで辰巳のみぞおちに拳を沈め、辰巳を深い眠りに誘わなければ、アオイは本当に意識が飛ぶところであった。


                  ◇


 以上が、学園祭前の現視研で起こった小事件の顛末だ。秘密がさくらと辰巳に共有されたことで、アオイとメイの間に残っていた気まずさは急速に解け、学園祭は無事成功に終わった。冬コミに向け、引き続きハイペースで作業が進む中、さくらは少しずつアオイとの距離を縮めているようだ。ハッピーエンドが予感されたところで、一旦話を締めくくることにしたい。

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