普通の女の子(1)

 木乃花このはなさくら、20歳。いたって平凡な女子学生である。趣味は自宅で漫画ゲームアニメ、自分で絵も描く。外出は嫌いではないが、秋葉原や池袋など興味がそそられる場所以外は積極的に行こうとは思わない。


 さくらは大学で「現代視覚文化研究会」通称現視研いわゆるオタサーに所属している。色白で猫目、流れるような黒髪ロングで、とどめとばかりに胸が大きく、それでいてサブカル全般に造詣の深い彼女は、サークルの男子たちから熱い目線を注がれている。ただ、本人は「オタサーの姫」という言葉が大嫌いなので、そのようなポジションに居心地の悪さを感じており、一人で行動することが多い。


 現視研には、さくらの他にも女子が何人か所属しているが、とりわけ仲が良いのが岩永メイだ。一浪しているため歳はさくらの一つ上、学年は同じ2年である。さくらがおっとり系お姉さんなら、メイは元気いっぱいの美少女で、生まれつき色素の薄い癖毛がカールしたショートボブが丸顔によく似合う。年齢と属性が逆転している気もするが、細かいことを気にしていると話が進まないので一旦置いておく。


 今後は男性陣の登場だ。岩永辰巳いわなが たつみ、メイの兄で大学4年。現視研の部長を務める明朗快活な好男子だ。メイがアニメやゲームに関心を持ったのは、子供時代に兄から影響を受けたことが大きい。ここまで書くと辰巳がただの良い奴に見えるので重要な点を補足しておくと、重度のシスコンである。携帯の待ち受けが妹とのツーショットってマジ?そしてこの属性が、次の登場人物であるアオイを悩ませているのだ。


 守矢アオイ、大学2年。三白眼で色白、細身な体形と見るからに文化系男子だ。その容姿のせいで一部の女性からコアな人気があるが、本人はもっと「王道」なイメージを確立したいと常々願っており、最近メガネからコンタクトに変えるなど地道な努力をしているものの、いまいち自分に自身が持てていない。


 登場人物の紹介が済んだところで、本編開幕だ。

 

                  ◇


「やばいやばいやばい!あと一ヶ月でこの進捗は絶望的すぎるぅ!」


 パソコンの前で辰巳が両手を上げ、万策尽きたとばかりに天を仰ぐ。


「そんなこと言っても、コツコツ進めるしかないですよ。もとはと言えば、岩永先輩のスケジューリングが甘かったことも一因なんですから」


 隣でカタカタとキーボードを叩くアオイが、画面から目を離さずに言い放つ。平静を装うものの、彼もまた内心焦りに苛まれていた。


「ぐぬぬ…冬コミ用の作品も別にあるというのに、このままでは共倒れ…くっ、本当は使いたくなかったが、俺の呪われた左目の能力を解放するしか…ない、か…」


「中二病設定はこないだも使ったでしょ。シナリオだけじゃなく、リアルまで天丼とはお兄ちゃん相当なネタ切れね」


「Oh…マイリトルエンジェル…君だけは俺を見捨てないと思ってたYo…」


 最愛の妹にまで突っ込まれ、辰巳はうなだれて動かなくなる。使い古された狭い部室に、アオイのタイピングと換気ファンの音が響く。


 11月初旬の学園祭まで一ヶ月を切った今でも、辰巳をリーダーに進めていた同人ゲーム制作はテスト版すら完成していなかった。辰巳が企画・シナリオ、作曲の心得があるメイが音楽、さくらがグラフィック、そしてアオイがプログラムを担当し、夏前に企画が始動した。しかし、夏休みを利用して大部分を仕上げる壮大な計画は壮大な計画のまま終わり、秋学期からなし崩し的に進めてきた作業もまったく追いついていない。


「やはり、ぬるい恋愛モノなどではなく、兄妹のピュアなラブを赤裸々に描くべきだった…諸君、遅すぎるのを承知でリーダーとして詫びさせてもr…」


 辰巳が最後まで言い切らない内に、メイが丸めた台本で爽快な一撃を決め、お兄ちゃんは再び撃沈した。やっと画面から顔を上げたアオイと目が合い、メイは苦笑いする。


「ごめんね~うちの兄、底なしのバカなのよ。就職も危ういってのにゲーム制作にのめり込んで、それでもこのザマなんて、ほんと残念兄貴…」


「たしかに岩永先輩は少々だらしないけど、先輩のお陰で良い台本ができそうなのも確かだよ。乗り掛かった舟、作業ペース倍にして突っ走るしかない」


「それは…そうだけど…」


「あと、メイの作ったBGMもすごく綺麗で…僕は嫌いじゃない。それを人前に出さないなんて、勿体ないと思うな」


「守矢君…あ、ありがとっ」


 急に褒められたメイは、動揺を隠すようにいそいそと作曲ソフト連動のキーボードに戻ると、ヘッドフォンを付けて作業を再開する。その様子をしばらく見ていたアオイも、我に返ったようにパソコンに向き直った。と、その刹那、背後からただならぬ殺気を感じ、びくりと振り返る。


「アオイくぅん…メイを照れさせていいのは、この世界で俺だけだYo…」


 辰巳に耳元で囁かれ、アオイの背筋に冷たいものが走った。

 

                  ◇


 部室に着いたさくらは、状況が飲み込めずに固まってしまった。アオイに後ろから覆い被さるように迫る辰巳、その後頭部に手刀で鋭い一撃を入れているメイ。脳の処理が追い付かず、アオイの肩に手をかけたままズルズルと床に崩れ落ちる辰巳がスローモーションで見えた。


「あ、アオイ!これ、どういう状況?まさかアオイ、辰巳先輩とそういう関係…?」


「あぁ、木乃花さん。いつものやつでメイが怒っちゃって…ほんと、そういうんじゃないんで…」


「あ、そうなの…勘違いしてごめん…」


 さくらはライトな腐女子である。だが、現視研での清楚美女キャラを壊さないため公けにはしていない。密かに妄想しているカップリングが突如顕現したことで速まった鼓動を、目を閉じて鎮める。落ち着くのよ、さくら…


「そ、そうそう。溜めちゃってた分の立ち絵、一通り書けたからチェックお願いしようと思って」


「お、さすが画伯!仕事が早い。ほら、岩永先輩も復活してください。木乃花さんがイラスト描いてきてくれましたよ」


「おお!ありがとう、助かった!よし、俺もふんどし締めなおしてシナリオシナリオ…」


 再びテキストエディタに向かう辰巳に画像データの入ったUSBを渡し、さくらはPCデスクと壁の間の狭いスペースに置かれたパイプ椅子に腰掛ける。改めて思うが、この部室は容量オーバーだ。壁一面に並ぶ本棚には漫画やゲームパッケージがぎっしり詰め込まれ、溢れた分は床に積み上げられている。中央の机は開発用のPCが占領しているせいで、足を伸ばして座れるスペースはほとんどない。


「いいねいいね~、このダブルヒロイン!姉系と妹系の需要を一気に満たせる特盛セット!ん、よく見ると妹系はメイに似てるよな…」


「余計なこと考えんな!手を動かせ!」


「イエス、マイシスター!」


「僕も、このキャラデザインはイメージにぴったりだと思う。木乃花さん、ほんと才能あるよね」


 アオイに褒められ、さくらは嬉しそうに目をしばしばさせる。


「わ、私は、これぐらいしか皆の役に立てないから…」


「ねぇ守矢君、ここのBGMの尺なんだけど…」


 メイが声をかけると、アオイは椅子を回転させてキーボードの前に滑っていく。肩を寄せ合うように話す二人を見やりながら、さくらの胸中は穏やかなではないのだった。

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