女軍人

 焦らなくていい。よく考えて、自分にとって得だと思う方を選ぶんだ。

 

 守矢アオイ伍長…知っての通り、君がここにいるのは我が軍の情報を密かに敵に流していた嫌疑がかけられているからだが…なんだ?タレコミの情報源は明かせないぞ。軍紀に関わるからな。


 数ヶ月停滞していたこの戦線で、数日前に敵が突如攻勢をかけ、防衛網が一部突破された。幸い、司令官の要請で別方面に投入予定だった機甲師団が急遽駆けつけたおかげで最悪の事態は免れたが…急所を的確に突いた攻撃で、多くの血を流して獲得した領域を放棄する寸前まで追い詰められた。これが味方の裏切りのせいだなんて、ひどい話だと思わないか?


 あぁ、自己紹介が遅れたな。先月首都から着任した政治委員のエリカ・フラデツ=クラーロヴェーだ。もとは党の事務周りもやっていたが、戦争が始まってからは部隊付きの任務ばかりだよ…なに、私の顔がそんなに珍しいか?たしかに、女性では最年少の政治委員だからな。小器用だったお陰で大学を2年ほど飛び級で卒業したんだ。まぁ、こうして戦地で働かされる結果をみれば、まだ学生をやっていた方がよほど楽だったがな。君も、うら若き女性に一対一で尋問される幸運に喜ぶといい、ふふ…


 とにかく、優秀な下士官として上官の評判も芳しかった君が、あろうことか敵に機密を横流ししていたなど、私は信じたくはないんだが…状況証拠も揃っているし、上は完全に君の仕業だと信じ切っている。仮に黙秘した場合は、君だけでなく家族も安泰ではいられないだろうね…聞いたよ、親御さん、君の妹を学校に行かせるために危険な鉱山労働に自ら志願しているそうじゃないか。親孝行したいと思うなら、早めに認めてしまうのが近道じゃないか。


 それにしても、さっきから君は誰かに似ていると思ったら、可愛い弟の面影があるんだな。大学に行くために故郷を離れて以来、もう何年も顔を合わせていない。開戦後に徴兵されたと聞いたが、元気にしているだろうか…


 まあ急いで口を割る必要はない。今日の尋問はこれで切り上げるとしよう。また明日、ゆっくり話そうじゃないか。

 

                   ◇


 やぁ、元気かい?今日は君の内通行為についての調書を持ってきたよ。急かさないから、気が変わったときにサインすればいい。


 待っている間に、君に似ていると言った弟の話でもしようか。私に似ず繊細な性格で、小さい頃から私がいじめっ子たちから守ってやっていたよ。芯の強い子だから、殴られても相手をキッと見つめ返していたがね。そう、目元のあたりなんか今の君にそっくりだ。別に私は君をいじめている訳じゃないんだけどね、ふふ。


 妹がいるということは、年下の扱いは得意かい。恋人はいるのかい?やっぱり年下なんだろうね。それぐらいの事は、秘密警察に少し仕事をしてもらえばすぐ分かるが、あいにく戦時中は政治委員といえども勝手は通りにくいからね。


 何を隠そう、私は君より4歳年上なのさ。君のその頑なさが、年上女性に接し慣れていないせいなら心配無用だ。弟のように可愛がってやるから、すべて私に委ねるといい…


 そういえば、私が司令官に進言したこともあって、3日後から敵陣地への大規模攻勢が行われることが決定した。内通者が疑われる状況で、これ以上敵に有利な工作をされては堪らないからね。先手必勝ってやつだ。まだ将校クラスしか知らない情報だが、君には特別に教えてあげるよ。どうせ拘束されている状態では誰にも漏らせないだろう。


 さて、ここからが問題だが、3日後の攻勢を控えて上も余裕がなくなっていてね。このまま情報漏洩の犯人が見つからないまま反攻に転じるのは、中央への見栄えが悪いと気に病んでいるのさ。そこで、3日以外に君が自白しない場合、上は君を強制的に犯人に仕立て上げる。これは、政治委員として私も一枚噛んだ決定なんだが、まあ恨まないでくれよ。これも仕事なんでね。


 そういう訳で時間はあまり残されていない。もし自白するなら、私が君を悪いようにはしない。ちゃんと後々までお姉さんが面倒を見てあげるよ、ふふ…

 

                   ◇


 すまない、今日はちょっと真面目に尋問するにはなれない…まさか、本当に…


 あぁ、この際だから打ち明けるが、南部戦線で弟が戦死したという連絡が、さっき届いてな…せめて、成長した姿を一度でも見たかったんだが、もうそれも叶わない…


 明日はいよいよ反攻作戦か。黙秘を続ける君は、このままでは最悪銃殺刑だろうな。弟に生き写しの君まで失うことになるとは、私もつくづく運に見放された女だ…。別に、今更自白しろと強要したりはしない。ここまで頑なに拒否するからには、何か事情があるか、本当に無実なのか…


 死んだ弟への弔いではないが、弟似の君に、私から最後の提案がある。明日の攻勢は、もとが上の辻褄合わせで立案された欠陥だらけの作戦ということもあって、成功は絶望的だ。特に、先陣を切らされる部隊の連中は士気が地に落ちているとの噂だ。無理もない。督戦隊だって、あまり役には立たないだろう。


 そこで、もし君に意志があれば、最前線の突撃部隊に志願してみないか?もちろん命の補償はないが、このまま銃殺刑になるよりは確率が低いはずだ。上には、政治委員の私が口を利いて君の処分を代わりに取り消させる。大丈夫、こう見えて私は党に顔が効くんだ。大体の将校は私のお願いを二つ返事で聞いてくれるよ。


 どちらにせよ、命の危険が伴う選択だ。よく考えて、明朝、作戦が始まる前に君の意思を伝えてくれ。私は、本当に君に死んでほしくないと思っているよ…

 

                   ◇


 しっ、静かに!今は物音を立てちゃいけない、敵がすぐ近くに潜んでいるかもしれないからね。前の建物が確保されたら、一気に進むぞ。


 それにしても、君が前線配備を希望してくれて、私は素直に嬉しいよ。こうして子守り役を買って出るほどには、君にお熱だったんでね、ふふ。え?政治委員はふつう最前線では戦わない?いいじゃないか、自分の権限で好きなように動くのは。


 …よし、クリアだ。私の合図であの建物まで一気に走ろう。ほんの数十メートル、なんのことはない。いくぞ、三、二、一…いまだ!


 よし、あともう少し。君は華奢な見た目でも随分足が速いんだな…私も運動神経には自信が…いや待て、この風切り音は?……榴弾だ!伏せろ!

 

                   ◇


 私としたことが…迂闊だった…君にもすまないことを…したな…これでは援護もしてやれない。


 傷の手当はもういい…自分で分かるんだ、私はもう助からない。そんな顔をするな…また弟を思い出すだろう…


 最後に、君に謝っておかないとな…実は、君を売ったのは私なんだ…敵に情報を流したのも、ぜんぶ自分のためにやったことさ…


 うんざりしてたんだよ。この国の腐った統治、硬直した党組織…窒息するほど息苦しかった。だから、西側に情報を売る約束で、亡命の援助を内密に取りつけていたんだ…君は、体よくスケープゴートになって、亡命までの時間稼ぎに役立ってもらうつもりだった…


 もう時間がない。ここに、西側のスパイとの合流ポイントと、彼らに売る機密情報が入ったファイルがある。これを渡せば、亡命するのが君でも先方は受け入れるだろう…大丈夫、この絶望的な作戦だ。MIAは戦死と判断されて、君の家族にも多額の補償が渡るはずだ。生きてさえいれば、いつか会える日も来るかもしれない…


 だから…私のことはいいから、自分にとって最善な選択をするんだ…ただでさえ、私は君にひどいことをした。見捨てられて当然なんだ…ほら、早く行ってくれ!敵の足音が近づいてきた…私は、もうここから動けない…

 

                   ◇


 コスモスが咲き乱れる公園に変わったかつての戦場で、私は大きく深呼吸をした。中央に建つ慰霊碑の他に、きれいに整地されたこの場所で激戦の記憶を呼び覚ますものは多くない。


 名残惜しそうに幾度も振り返りながら走り去った守矢伍長を見送り、いよいよ敵の鉛玉を食らう覚悟を固めた時、意外にも私はふわりと持ち上げられ、担架に乗せられて野戦病院に運ばれた。西側の軍隊はプロバガンダで塗り固められた悪評とは裏腹に捕虜を丁重に扱い、お陰で私は左足を義足にしたものの一命を取り留めることができた。


 思わぬ形で祖国を脱出することに成功した私だったが、その祖国自体、激化する東西陣営の戦いに自国民の統制すらままならなくなり、それから数年後にあっさりと体制が崩壊した。こうして再び祖国を訪れることができるのも、国境が開放されて往来が自由になったからだ。


 数年後の未来が読めていれば、守矢伍長を売るなんて非情な真似をしなくても私の望みは叶った。その自責の念で、戦後も胸中が晴れることはなく、かつての戦友たちに後ろ指をさされることを承知で思い出も場所に戻ってきたのだ。


 日は中天に高く、足元に濃い影を落としている。色とりどりのコスモスの中を慰霊碑に向けて歩いていたとき、碑の下に見知った面影を見た気がした。無意識に足取りを速め、吸い寄せられるように近づく。もしかして…あれは、やっぱり…


 死んだ弟の忘れ形見のような顔が、こちらを向くと優しく微笑んだ。

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