ロマンチスト

 鏡の前で、寝ぐせのついた髪をポニーテールに結びながら自然と笑みがこぼれる。今日も、先輩に会える。灰色だった私の人生に突然差し込んだ光。やはり神様は見てくれていたのだ。早朝から上機嫌な私をいぶかしむ母の視線をものともせず、支度を整えた私は玄関をスキップで飛び出した。今日は部活の朝練でしたよね、守矢先輩♪


 うきうきと校門をくぐると、早速後輩に激を飛ばす先輩の声が聞こえてきた。様々な運動部が走り回るグラウンドには多くの声が飛び交っているが、彼の声はすぐに聴き分けられる。守矢先輩の声を聞いて、ボールを追う爽やかな姿を観察して初めて、私のモーニングルーチンは完成する。寝不足を吹き飛ばすぐらい心に養分を補給しながら王子様を眺めていると、目が合った気がした。いや、たしかに彼は私の方を見て、軽く笑顔まで浮かべたのだ。負けじと満面の笑みを返し、軽やかな足取りで教室を目指す。さぁ、仕事の時間だ。

 

                  ◇


 4限の体育は、週一回だけ訪れるチャンスだ。先輩の2年3組と私の1年1組が、グラウンドを分割して授業を行うからである。部活の上級生から得た情報で、今日2年は先輩が得意なサッカーをするのは知っているが、朝のように見とれている場合ではない。


 二人一組で行うバレーボールのレシーブ練習で、私は先輩のポジションにほど近い地点を確保した。相方が打ったサーブを返そうとした私は、勢い余って足をひねり地面に倒れ込む。


「いたっ、いたぁ~い!!」


 グラウンドを転がりながら盛大に痛がっていると、フォワードに指示を出していた先輩が振り向いてこちらに視線を向けたのを感じる。私はさらに声を張り上げて苦悶の表情を浮かべる。心配そうに駆け寄ってきた相方など全く視界に入らない。


「君、だいじょうぶ?保健室いった方がよくない?」


 ついに先輩の優しい声が頭上で響き、私は内心歓喜で震えながらも一旦断る素振りを見せる。


「いいんです…ほんとに、大したこと無いんで…いたっ!」


「無理しないで、ほら、肩貸すから…」


 先輩の大きな手が私の背中を支え、ゆっくり立ち上がらせる。私はぐったりと腕を先輩の肩にかけると、足を引きずりながら彼に連れられていく。2年と1年の両方から少なからぬ視線を感じるが、達成感で一杯な私はまるで気にならない。身長差をカバーするために背をかがめて歩いてくれる先輩の肩に、自然な仕草でもたれかかる。第三者が見たら、完全にお似合いだろう。笑みをかみ殺すのが大変だ。


 守矢先輩は私を保健室まで運んだあと、4限が終わった時も心配そうに顔を見せてくれた。さすが先輩、細やかな気遣いもできる本物の王子様だ。私は表面上は気丈に振る舞いながら、先輩が帰ろうとすると袖を引っ張って無言の抗議を示した。やれやれという顔をしつつ、なんだかんだ昼休みも傍にいてくれた彼から、私はできる限り多くの情報を収集する。授業や部活の悩み、家族構成、自宅のエリア、学校外の人間関係…。次から次へと先輩のことを聞いていると、正式に付き合っているかのような錯覚に陥る。しっかりしろ、私。本当の戦いはここからだ。


                  ◇


 先輩に悪い虫がついた。保健室で聞き出した情報を活用し、彼の行動を徹底してマークするようになって、その不都合な事実はすぐに発覚した。先輩が週2日通っている隣町の塾で出会った、他校の女子。私とは対照的に背が高く、可愛いというよりは美人タイプのその娘は、あろうことか自分から先輩にアプローチしており、塾が終わってから二人で駅まで歩いている姿をもう何度も目撃している。肝心の守矢先輩はというと、彼女のあからさまな好意をいなすようで、内心満更でもなさそうな笑みを…いや、彼はあんな軽い女に引っかかる人じゃない。きっと好きでもない女子からしつこく迫られて困っている、あれは苦笑いなんだ。


 ともかく、先輩をあいつに…女にとられる事態だけは何としても阻止しなくては…先輩は、守矢アオイは私の王子様なのだから、その振る舞いも王子様に相応しいものでなくては。今日も塾帰りの二人をこっそり尾行しながら、私は頭を忙しく働かせる。


                  ◇


「あ、あれっ。桃ちゃんもここ通ってたんだ。うちの生徒少ないから驚いたよ」


 意外な場所に現れた私を見て、先輩は少なからず動揺したようだ。


 翌週、先輩と泥棒猫が通う塾に転入した私は、休み時間に先輩がお気に入りのコーヒーを買う自販機前で待機し、存在を早速アピールした。

 

「そうなんですよ~、偶然だけど先輩と同じ塾に通えて私嬉しいです!あ、こないだ体育で助けてくれて、本当にありがとうございます。先輩、顔だけじゃなくて性格もイケメンですね、あはは!」


 極力明るく、自然に振る舞う私に、先輩はややガードをさげたように微笑む。よし、いける。一瞬の隙も見逃さない覚悟で、ずばりと本題を切り出す。


「そういえば先輩、同じクラスの○○さんと仲良さそうですよね~。○○さん、すっごい美人で女の私も惚れちゃいそうです!……でも、ここだけの話、女子のネットワークで広まっている噂、先輩知ってます…?」


 眉をひそめた彼に、畳み掛けるように続ける。


「実は彼女、秘密で付き合ってる彼氏が学校にいるらしいんですよぉ。相手が交際をオープンにしたくない派らしくて、こっそり付き合ってるんですけど、○○さんの方はそれを良いことに他の男に色目使いまくってるらしいんです…!ほんと、信じられないですよね~」


 ポニーテールを揺らしながら熱く語り終えると、先輩の目に隠し切れない嫌悪感が煌めいたのを見て、内心ガッツポーズを決める。さすが私、名演技だ。


 それから一、二週間のうちに、先輩と泥棒猫の関係は自然消滅し、代わりに私が彼女のポジションに収まった。塾帰りの道で先輩に密着し、私はさらに彼に関する情報を仕入れまくる。初めての出会いから時間が経ったこともあり、彼は自分の内面をだいぶ晒してくれるようになった。好きなタイプ、彼女ができたらデートに行きたい場所、果ては受けか攻めかまで…。


 そしてさらに数週間後、ついに先輩は私を放課後に誰もいない屋上に呼び出した。「桃ちゃん、伝えたいことがある」と、真剣な目で言われたときの私の胸中たるや、狭い檻で暴れる猛獣のようだったがギリギリで感情の爆発を抑え、照れたように頷く。何事も、仕上げが肝心なのだ。


                  ◇


「俺と…付き合ってくれ」


 何度も脳内でシミュレーションした言葉を実際に耳にして、私は慎重に、用意した台詞を読み上げるように返事をする。


「嬉しい…私、ずっと守矢先輩のこと見てたから。先輩は私の、理想の男性なんです」


 さぁ、ここからだ。告白を承諾され、先輩が喜びに顔を赤らめた瞬間。この隙を突く。


「でも、私の「好き」は、普通のそれとは少し違って…異性として好きというより、モデルとして理想的だと思ってます」


「???」


 先輩の顔に浮かぶ疑問符をかわすように、一気に続ける。


「もちろん、守矢先輩のことは好ましいと思ってますし、お付き合いする上でのことは一通りしてもいいと思います。ただ、一つ条件を飲んでほしいというか…」


「条件って、なに?」


 唾を飲む先輩が、いつになく愛おしくて思わず微笑みが零れる。もう、コマ割りの中に収まったみたいに見える。


「先輩の…裸を描かせてほしいんです」


「………」


 10秒ほどフリーズしたのち、先輩はぎょっとした表情を浮かべて数歩後ずさった。大切な獲物を逃さないよう、反対に距離を詰める。怖がる先輩も良い表情しますね、ほんと。


「知ってますよね、男の人同士であんなことやこんなことをするジャンル。私、それで漫画描くのが趣味というかライフワークで。でも、主人公の男の子をカップリングさせる相手が、どうしても思い浮かばなかったんですよぉ。だから、学校で守矢先輩を見つけた時は本当に嬉しくて…やっと私の、理想の王子様に出会えたって」


 さらに後退し、屋上のフェンス際まで追い詰められた先輩に、ぐいっと迫る。ネクタイを引っ張ると、彼の荒い息が顔にかかるほど接近した。この体勢で、ペンを握ってデッサンを始めてしまいたい。


「まあまあ、そう引かないでくださいよぉ。彼氏なんだから裸の一つや二つ、相手に見せるのは普通です。私、自分で言うのもなんですが結構可愛いですよね~?実は入学してから5回も告白されてるんですよ…いいモデルがいなかったから全部断りましたが。こんな可愛い小動物系女子と付き合えるんだから、秘密の趣味にちょっと付き合うぐらい、お安いご用ですよね?ね、先輩♪」


 まだ何か言いたげな先輩の口を、背伸びして自分の唇で塞ぐ。先輩の身体から力が抜けていくのが分かる。長い狩りは、成功した。

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