異郷探訪者

 降り注ぐ強烈な日差しの下、前の線路を歩く少女の後ろ姿さえ陽炎のように揺らめいて見える。はるかな丘の上に建つ白い灯台は、いくら歩いても一向に近づく気配がない。あたり一面に延々続くキャベツ畑の単調な景色も重なり、蜃気楼でも追いかけている気分だ。


「いい天気!やっぱり今日を選んだのが正解だったわ。さすが私、晴れ女」


 暑さをものともせず、宇治上蓮月うじがみ はづきはショートボブの前髪を手で払いながら嬉しそうに言う。細身の長袖シャツにステッチの入った黒スカートといういつもの装いで子供のようにはしゃぐ彼女を見て、こちらまで頬が緩む。


 大学ではあまり目立たず、静かに文庫本を読んでいる姿が標準の蓮月だが、趣味を追求する姿は別人のように活き活きしており、その意外性もポイントが高い。当初は接点のなかった彼女に、こうして趣味の探索で同行することになったのも、そんなギャップを知ったことがきっかけだった。

 

                  ◇

 

 大学構内のカフェでコーヒーを啜っていた彼女は、一見高校生にも見える服装こそ多少変わっていたものの、次の講義まで時間を潰すため隣に座った僕の関心を特段引かなかった。それでも、おもむろに彼女が取り出した本のタイトルには俄然目がいった。


「物理専攻ですか?『重力波と宇宙観測』って、かっこいいですね」


 思わず尋ねると、彼女はワンテンポ遅れて本から顔を上げ、僕を見た。はっとした表情が一瞬浮かんだ気がしたが、すぐに冷静な声で「いえ、専攻は違いますが興味があって。あなたは?」と聞き返した。女子には珍しくネクタイを締めているため事務的な印象だが、独特なファッションはよく見ると怜悧な印象の彼女によく似合う。間もなく、彼女は同じ学部の同級生と判明し話しやすくなった。


「自分も物理専攻じゃないけど、宇宙って考え始めるとキリがなくて面白いよね」


「そう、他にも大統一理論とか、素人なりに齧ってるところ。こないだ読んだの、なんてタイトルだったかな…」


 かばんから取り出したノートをパラパラとめくる姿を見て、いまどき筆まめな人だと思っていると、手を滑らせた拍子にノートが僕の前にぱさりと落ちた。開かれたページには、簡単な旅程がメモされていたが、目を惹いたのは「□□村跡 ○○神社遺構」と書かれた目的地だ。手書きの簡単な地図もあったが、山奥の終点駅からさらに随分歩いた場所のようだった。


「あ、それは趣味で、人がいなくなった遺構を休日に巡ってるの」


 また面白い要素が判明し、彼女がこれまで回った遺構について色々と聞いていると、あっという間に講義の時間が来てしまった。蓮月も語り足りない様子だったので、次の回がすぐに設けられ、そうこうする内に僕は宇治上ワールドにあっという間に取り込まれていた。そして数日前、「今度は少し遠出して海沿いの廃線跡を見に行くんだけど、一緒に来る?」と誘いを受け、今に至る。


                  ◇

 

 草むした線路跡は、まだ枕木やバラストが良い状態で残っているものの、電車が通らなくなって表面の光沢が失われている。数年前までは海沿いの単線を走るのどかな路線だったが、地域の人口減少や自動車輸送への代替によってついに廃線となり、今も設備が撤去されずに残されている。蓮月は線路だけでなく、周囲のさびれた景観にたまらなく興味を惹かれたらしく、行きの電車から遠足のように浮かれていた。そうして、かつて岬まで伸びていたローカル線の始発駅に辿り着いたのち、酷暑の中、僕たちは線路上を歩き始めた。


「この最果て感!キャベツ畑を走り抜ける電車の音が聞こえてくるわ」


 そう言って、彼女は目を閉じて耳を澄ませた。


「廃線跡で聞こえるのはセミの声ぐらいだよ」


「アオイには聞こえないの?私には、当時の様子がありありと浮かんでるのに」


「過去を再構築する程度の能力でも持ってるのか。まぁでも、昔の生活の名残が長いこと残ってるのは、なんだか時間が止まったみたいでいいな」


 彼女はくるりと振り向くと、後ろ向きに歩きながら両手を背中に回し、上目遣いに僕を見た。どこか得意そうな、いたずらっぽい光が目に宿っている。


「時間に止まるも進むもないわ。そもそも時間なんて、熱力学が人間に見せる幻想よ」


「また難しいことを…でも、僕たちは現にこうして日々を送って、少しずつ変化してるじゃないか。それを時間を呼ばないでどう理解するつもり?」


「それが幻想だと言ってるのよ。たしかに人間の主観では、この単線の線路みたいに真っすぐ続いているように思えるけど…本当は過去も現在も、未来だって全部ここにあると、私はそう思うのよ」


 夏の風が、緑の畑を吹き抜けてゆく。


                  ◇

 

 小高い丘に建つ灯台からは、広大な海が一望できる。水平線の両端が少したわみ、地球の丸さが分かるような気がしたが、それは錯覚だとどこかで読んだことを思い出した。線路も道も途切れるこの場所では、他の訪問客も開放的な表情で海を眺めたり、記念撮影したりしている。激しく波が打ちつける岩場の上で旋回するカモメを見ていると、隣でコイン式双眼鏡を除いていた蓮月が声を上げる。


「クジラよ!いまクジラが跳ねた!本物は初めて見たわ」


「たしかに、水族館にはイルカはいてもクジラはいないからね」


「クジラやイルカは、人間の時間なんてお構いなく気楽に暮らしているわ」


「彼らも彼らなりの苦労があると思うけど…」


「夢のないこと言わないの。さぁ、次はご飯を食べて、岬の集落跡に行くわよ」


 ぷいと双眼鏡から目を離すと、僕の腕を引っ張ってずんずん歩いていく。押しの強さに改めて普段とのギャップを感じる。むしろ、こちらが素の彼女なんだろう。


                  ◇

 

 近所の定食屋で海鮮丼を平らげると、また二人で廃線を辿り始めた。今はほとんど人の住まなくなった地域だが、かつては水産加工業で栄えたらしく工場跡が線路脇に点在している。くすんだ壁に窓の割れた倉庫を眺めていた時、一つの疑問が湧いた。


「蓮月が遺構巡りを始めたきっかけって何?あまりポピュラーな趣味ではないと思うけど」

 

 振り向かず、彼女は空を見ながら答える。


「物心ついたころから、さびれた場所や建物が好きだったの。昔の暮らしや有様を想像しているうちに、本当に当時の様子が分かるようになってハマっちゃった」


 また能力設定か。中二病にしては少し遅すぎるが、冗談とも本気ともつかない口ぶりにリアクションを封じられる。


「逆に普段の学校や街が、ときどき廃墟になって見えることもあるのよ」


「なかなか凄い目を持ってるんだな。その力で僕の将来も占ってほしいよ」


「茶化さないで、本当なのよ」


 日も傾く頃、工場跡とキャベツ畑が途切れ、前方に古びた住宅街が現れた。瓦葺きの家屋に生活感はないが、海に向かって落ちていくような坂道の風景は控えめに言って絶景だ。都会の喧騒を離れ、この場所で暮らす自分を一瞬妄想してしまう。


「ここに人がいた頃のことも、見えたりするの?」


 半信半疑で尋ねると、彼女は遠くを見るように目を細めて瓦屋根の群れを見つめ、しばらくして口を開いた。


「子供が路地で追いかけっこしてる。母親らしき人が、二階で洗濯物を干しながら見守っているわ…それに、雑貨屋のおばさんも顔を覗かせてる。子供にやさしい地域なのね、今時珍しい…」


「霊でも見えてるみたいじゃないか。ここら辺は人もいないし、あんまり設定盛りすぎると少し怖いぞ」


 設定にしては真剣すぎる蓮月に怖気づいて口を挟むと、彼女は振り向いて微笑んだ。


「霊なんて科学で説明できない現象は信じないわ。私が見ているのは、かつて実際に起こった出来事が重なり合った映像よ」


 歩き疲れて反論する気力もなく、海の見える階段に腰を掛ける。小高い丘の稜線に沈む夕日に照らされて、海は綺麗なオレンジ色に染まっていた。


「今日はありがとうな。こんな非日常体験、長いことしてなかった」


「アオイが楽しめてよかった。今後また誘うね」


 隣に座った蓮月の横顔も、夕日に照らされて輝いていた。時間は幻想だと彼女は言うが、このかけがえのない時は、僕にとってやはり一期一会だ。いくら普通とは違う世界が見えるとしても、彼女も分かってくれるんじゃないか。そう聞こうとしたら、彼女に先手を取られた。


「ほんとは、私たちはとっくに時空の歪みを飛び越えてて、今から帰っても大学は朽ち果てているわ。もう戻るはやめてここで暮らしましょう」


「それは困ったな。カフェでのんびり旅行計画を練るのも楽しそうだったのに、ここからじゃ電車にも乗れない」


「冗談よ。まだ行きたい遺構はごまんとあるもの」


 そう言うと、彼女はこちらを向いてニッと笑った。


「旅は道連れとは良く言ったものね。遺構探訪のいい助手が見つかって、私は幸せよ」


「いつの間にか助手に就任して、僕は若干複雑な気持ちだよ」


「やっぱり、私の目に狂いはなかったわ。アオイ、あなたで正解だったわ」


 思わず蓮月の顔を凝視する。彼女は燃える夕日を瞳に映したまま続けた。


「初めてあなたが話しかけてきた時、見えたのよ…たとえ学校や街が廃墟になろうと、ずっと私の傍に居続けてくれる大切な相棒が」

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