魔女っ子
冬の朝日を浴びる喧噪の中央駅前広場。雪が積もる中を人々が白い息を吐きながら行き交う中、彼女は一人だけ別世界にいるような様子で両手を広げてくるくると回っていた。修道女を思わせる、丈の長い黒の毛皮コートの裾がふわりと膨らみ、彼女の回転に合わせてひらひら揺れる。目を凝らすと、白く華奢な指先からは妖精のような白い閃光がキラキラと放たれていた。背筋に冷たいものが走る。
寒い朝にさんざん歩いて体が凍えそうだったこともあり、僕は懇願するような視線で必死に彼女を手招きしたが、彼女は僕に目配せするだけで、楽しそうに創作バレエを続けていた。通行人から向けられる奇異の目も意に介さずと言わんばかりの彼女の手を引き、なんとか近くに停車中のトラムに乗せる。車内は窓一面が結露するほど暖房が効いており、僕はようやく一息ついた。
「やっと見つけた…どうしてこんな目立つ場所で…先生も心配してたし、早く学校に行かないと」
「そんなこと言っても、叔父様も私が学校なんか行ったって仕方ないことは分かってるでしょう。今朝はあんまり天気が良かったから、お気に入りの場所で過ごしたかったの。中央駅の建物、お城みたいで大好きなのよ」
姉の子、つまり僕の姪にあたるグレースは魔女だ。成人時に行う魔女登録を受けていないため正確にはまだ魔力発現者だが、世間一般の人々と彼女の間には、目に見えない壁が既に歴然と存在する。
「無邪気なことばっかり言ってるといい大人になれないぞ。ちゃんと学校行ったら、週末劇場に連れてってあげるから」
ゴトゴト走るトラムの中で、いつものように彼女をいなす。劇場と聞いて「ほんと!?アオイ叔父様大好き!」と目を輝かせる彼女を見て、僕は安堵と同時にやるせなさを感じた。
◇
白いテーブルクロスにはパンと簡単な魚料理、それにグレースが好きな玉ねぎスープが並んでいる。彼女は笑顔できちんと手を合わせると、くすんだ銀のスプーンでスープを一口啜った。
「叔父様、まだ腕を上げたのね。今日のスープは一段と美味しい」
素直に褒められると満更でもなく、僕は芝居がかった会釈を返す。両親が長期出張に発ったため、彼女を僕の家に預かるようになってから早二ヶ月が経つ。
「今日は学校どうだった?」
「いつも通りよ。セシルとアリサが私のぶんも宿題やってくれるから、先生に見つからないようにお絵描きしてた。私、けっこう絵の才能あるかもしれない」
悪びれるふうもなく、けろりと言い放つ彼女を見て思わず笑ってしまう。勉強熱心とは言えない彼女は、同じ魔力発現者である友達に会うために学校に行っている。先日の保護者面談では、「魔術の能力は高いのですが、基礎修養を怠ると将来魔女としてのキャリアに響きますよ」と困り顔の担任にこぼされてしまった。彼女の天真爛漫ぶりには僕も手を焼いていたので、二人して苦笑したものだ。
「いまどき、魔女の画家なんて聞いたことないぞ。セシルはたしか軍の魔導士志望だったね。少しは彼女を見習って真面目にやってみれば?」
そう発破をかけると、グレースは分かりやすくふくれた。バレリーナに憧れる彼女に、現実論など迷惑以外の何物でもない。
「叔父様に魔女の何が分かるっていうのよ。魔女だって絵を描いたり踊ったりしたいんだから。はい、ご馳走様」
銀食器をチリンと皿に置くと、彼女はそそくさと自室に引き揚げてしまった。自室といっても、普段使っていない居間を間借りしただけで、彼女はソファーで寝ている。
魔女のことなど分からないと言われてしまったが、魔力を持つ姉の傍で育った僕は世間的には理解のある方だと思う。ただ、優等生タイプだった姉は小さいころから周囲の期待によく応え、現在は同じ魔術師の夫と鉱山会社に勤めている。遠く北の山脈に眠る稀少な鉱石を魔力で探索する仕事は、今回のように数ヶ月に及ぶ出張もざらにあり、その度に僕がグレースの親代わりとなってきた。ようやく世間の風当たりが和らいできたとはいえ、魔女の就く仕事は未だに過酷なものが大半を占める。
◇
奇抜で色鮮やかな衣装をまとった踊り手たちが、音楽に合わせて弾むように舞台を駆ける。隣の席で食い入る様に眼前のスペクタクルを見つめるグレースに、僕は改めて彼女の本気を実感する。魔術師によって命を吹き込まれた操り人形と美しいバレリーナ人形の悲恋を描いた最近話題の一作。演じるのは飛ぶ鳥を落とす勢いの新興バレエ団で、次々に繰り出される演目のあまりの華々しさに、主宰者は本物の魔術師との噂もまことしやかに流れている。
中盤、主人公の操り人形は美人のバレリーナ人形に愛を告白するが拒絶されてしまう。最後は恋のライバルとなった人形にも打ち負かされ、失意のうちに命を散らすが、死してなお怨霊となり操り主の魔術師を恐れさせる。救いのない物語とは対照的に、異国情緒あふれる演技や音楽はあくまで明るく軽やかだ。
終演後に劇場から一斉に吐き出された人々に交じって寒い夜道を帰路につく中、グレースがぼそりと「来年、オーディション受けてみようかな」と呟いた。
「まぁ、学校と両立できるなら試してみても良いんじゃないか」
とっさのことで、返答に窮しながら心にもないことを言う。彼女はもう14歳で、実際に魔女がバレリーナになることの困難は十分理解しているはずだ。さりとて冷たい現実論であしらうこともできず、苦々しい思いだけが胸にわだかまる。
「叔父様は、私が本当にバレリーナになれると思うの?」
見透かされるような質問をされ、狼狽えてしまう。可愛い姪相手に偽善者を気取っても仕方がない。僕は観念して本音をぶつけた。
「本当は、可能性はゼロじゃないって程度だと思う。ただでさえバレリーナは人気が高いし、たくさんのライバルたちと競わなくちゃいけないからね。それに、今は魔女狩りの頃と違うとは言っても…」
そう言って、思わずグレースの顔色を確認する。しかし、魔女狩りという言葉も聞き慣れた彼女は、ただ少し悲しそうな表情を浮かべただけだった。まだ幼い印象の彼女が、こんな大人びた一面を見せたことへの動揺を隠しつつ、言葉を続ける。
「試しに、セシルとアリサを誘ってクラスでバレエを上演してみたら?好評なら外でも人気が出るかもしれない」
なんとかフォローしたつもりが、返ってきたのは「そうね」という弱々しい笑みだけだった。それから家に帰るまで、彼女は無言で街灯に仄白く照らされる雪道を踏みしめていた。
◇
数日後、朝刊の紙面に踊る扇情的な見出しに僕は目が釘付けになった。「大人気バレエ団主宰者 魔術師と発覚」。元恋人からのリークをきっかけに本人が長年隠してきた素性が暴露され、魔術師として登録を受けずに大勢の観客相手に商売を行っていたと記者は糾弾していた。魔法の無断使用という信じがたい詐欺的行為により、近年回復しつつあった魔術師・魔女に対する社会の信用がまた失われた…という論調が続く記事に目を走らせながら、目の前でハムエッグを頬張るグレースの様子を窺う。彼女にどう伝えるべきか…。
その時、僕の逡巡を断ち切るように壁の電話ベルが鳴り響いた。慌てて立ち上がり、受話器を耳に押し当てる。聞き慣れたグレースの担任の声がいつもより上ずって聞こえる。
「急な連絡ですみません…今朝の記事を受けて学校に抗議の電話が殺到していて、外には魔術学級に反対する人々まで詰めかけている状況で…申し訳ないのですが、当分お嬢さんのクラスはお休みさせて頂きます…」
突然の事態をうまく飲み込めず、「はぁ…」と気の抜けた返事をしていると先生は「申し訳ありません…」と聞こえないほどの声で告げて電話を切った。
「グレース、実は…」
しかし、受話器越しに会話を聞いていた姪は早くもテーブルの新聞を拾い上げ、例の記事を読み始めていた。
「みんな、やっぱり私たちが嫌いなの…」
悲痛な声で小さく呟くと、グレースは朝食もそのままに外に飛び出した。痩せた後ろ姿を追い、僕も晴れた冬空の下を駆けだした。
◇
冬の硬質な日差しを受けてキラキラと輝く白亜の中央駅舎。宮殿を思わせるその建物を背景として、奇妙な即興の舞台が上演されていた。グレースの一本後のトラムを飛び降り、広大な駅前広場に降り立った僕は、その光景に思わず息を飲む。
一心不乱に踊る彼女の周りを、異様な熱気に包まれた聴衆が取り囲んでいた。聴衆といっても、人々の顔は怒りや軽蔑に醜く歪み、口からは野次や罵倒が霰のようにグレースに降り注いでいる。彼女が、大好きな舞台を手本に密かに練習していた幻燈魔法で、周囲にバレリーナや様々な人形を象った光を投影していることが、人々の怒りの主な原因だった。
「誰の許可を得て公共の場で魔法を披露している!」「ここは魔女がいていい場所じゃない、早く家に帰れ!」「その程度のまやかしに騙されると思ったら大間違いだ、世間を舐めるな!」「また魔女狩りにでも遭いたいのか!」……
踊り続ける姪の目から光の粒が散っているのを見て、僕はたまらず群集をかき分けてグレースのもとに駆け寄る。目の前で幻燈魔法がパチパチと弾けるのも構わず、彼女を抱きかかえるようにしてその場を離れようとした。
「もういいの、アオイ叔父様。私に構うと叔父様まで危険な目にあうよ…」
か細い声で留まろうとする彼女をトラム停車場まで引っ張っていく、わずか数十メートルの道のりが、ここまで長く感じられたことはない。周囲から浴びせられる罵詈雑言に加え、投げつけられる空き瓶や石が僕たちの行方を阻んだ。もう、お願いだから勝手にさせてくれ…。そう念じながら一歩ずつ進んでいくと、押し寄せる人々の先に滑り込んでくるトラムが見えた。華奢な彼女を全身で庇うようにして、車内に駆け込む。直後に鐘が鳴り、木製の車体は軋みながら徐々に加速を始めた。
周囲の景色が後方に流れ始めると、隣に座ったグレースはぐったりと僕の肩にもたれかかった。閉じられた両目からは、まだ涙の筋が頬を伝っていた。
「大丈夫、僕だけはグレースの味方だから。僕だけは、そばにいるから…」
氷のように冷たい彼女の髪を梳きながら、僕は呪文のように繰り返した。
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