2-9 お嬢さま、逃走

 「おい」と話しかけると修道女は「はい?」と返事をして、つやのある長い睫毛まつげをパチパチと動かした。

 綺麗きれいみがき上げた宝石のような瞳で見つめられると、ちょっとした罪悪感ざいあくかんを抱く。

 が、これ以上、この子とお近づきになりたくない。


「ジャンケン、ポイ!」


 アベルがグーを出すと、彼女は咄嗟とっさにチョキを出した。


「あっちむいて、ホイ!」


 修道女が右を向いた瞬間、アベルは左に向かって走り出す。


「あ、待ってください」


 直ぐに修道女が気づいてけだした。

 だが、彼は余裕で引き離す。

 

 このまま逃げ切れるかに思えた――その時、甲高かんだかい女の悲鳴が響き渡った。


 人混みの中から破れたベールをかぶった少女が、風をともなってぶわっと飛び出してくる。


 こちらを見て少女が止まった途端とたん、彼女は七三分けとモヒカンに腕を掴まれる。

 少女は水色のロリータファッションに身を包んだ細い身体をくねらせて、大きく口を開けた。


「いやぁぁぁっ、犯されるーぅ」


 少女が真っ直ぐにアベルを見つめながら超棒読みで叫ぶ。


「助けてぇぇぇ、犯されるーぅ」


 アベルだけを見続けている。

 身体から放たれる冷気で詩人だとバレバレなのだ。


「この人です、この人を助けてください!」


 変人の修道女が、アベルのジャケットを掴んで必死に言ってくる。


「うわぁ、めんどそうだし、心配する意味がなさそうで、ややこしそう」


 アベルは思わず声に出し、きびすかえして無視しようとした。


「待ってください。この人を助けてくださいっ」

「いやぁぁぁ、助けてー、犯されるー」


 おおおおーと少女が遠吠えをした。

 そこには悲壮感ひそうかん切羽せっぱまった感じもない。


 ――めんどくせぇのと、めんどくせぇのがセットになりやがって。


「助けてくれなきゃ、わたし、また胸のボタンを外さなきゃ」

「この人混みでかよ!」


 思わず突っ込むが、このペースにのせられたらいけないと思って……アベルは背を向けようとした。


 すると、

「お嬢さま、ミスターが、どれほど貴女様の安否あんぴを――」

 男の一人が礼儀正しそうな口調で言い始めた。


「ミスターだと?」


 男の言葉に動きを止め、アベルはベールの少女へ目線を降ろす。


「お前、ミスターの知りあいか?」

「……」


 少女はベールしからこちらをにらみ、唇を三日月のようにして薄く微笑んだ。


「そうよ。だったら助けてくれるの? 魔導詩人さん」


 アベルは素早く状況を把握はあくして、右手の指を拳銃の形にした。


開詩かいし戒王かいおう逆動ぎゃくどう


 男達がばっと少女から手を離す。

 そして男達も「開詩かいし」と叫んで、グリモワールの名を呼んだ。

 どうやら魔導詩人まどうしじんの二人連れらしい。


雷砂らいさ装填そうてん、ましに発射、上々に上々に、加速で、割れろ!」


 男達が魔法名を唱える前に、アベルの右手が銃化して魔法をく。

 放たれた魔法の弾丸は二つ。

 それらが男達の太ももを同時に抉った。


「走れ!」


 少女の腕を引っ張ってアベルは走り出す。

 その後ろからあの変態修道女もついてくる。


「お前は来るなっ」

「いやです、いやです。やっと会えたのにっ」


 アベルは修道女を無視し、水色ワンピの少女を抱きかかえて街道を駆け抜けていった。


「このまま真っ直ぐ走って」


 腕の中の細身の少女が生き生きとした口調で告げた。

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