1-12 その天才の名は……

 リリアンがおそおそるもう一度老人を見ると、彼はマントの中から弦が一本だけの小さな竪琴たてごとを取り出し、細い指でげんを弾いた。

 めた音が、ピーンと空中で跳ねる。


吟遊詩人ぎんゆうしじん!)


 竪琴たてごとの音が彼女の耳を強く叩き、四肢ししの動きを封じてくる。

 吟遊の魔法は、音をともなう。

 古代の魔術で、人は祈りを効率こうりつよく届けるために曲を使用し、呪文を《歌った》という。

 それを再現するために編み出されたのが吟遊の魔法だった。


 吟遊詩人は、グリモワールも魔法の名も声で呼ばない。

 声の代わりに音色を使う。

 音色によって、グリモワールの詩を引き出す。


 修道詩人しゅうどうしじん魔導詩人まどうしじんの流派を混ぜて、そこから独自の道を作り出し、天才『名運なうん』が完成させたのが、この吟遊の魔法だった。


 この流派は、グリモワールを付けた楽器を使用して魔法を奏でる。

 その為、彼らは吟遊詩人ぎんゆうしじんと呼ばれた。

 吟遊詩人の多くは、吟遊の楽器を作って売る商売をしている。

 

 修道詩会しゅうどうしかい系も魔導系も、魔法を使うことで体力が奪われる。

 だが、吟遊の魔法は、魔法を使うことで体力を消耗させない。


 身体の代わりに楽器が魔法の犠牲ぎせいになる。

 使えば使うほど楽器が傷つき、最後は粉末状になって消えていく。


 しかも、あとに残ったグリモワールをまた楽器に込めることで再生することができる。

 この仕組みのため、体力が無くても簡単に魔法を使えるのだった。


「盗み聞きするなら、もっと狡猾にやらないとね。修道女ちゃん」


 彼女が強ばった顔を老人の方へ向けると、既にその姿はなかった。


 いや、老人はいた。

 黒い機械きかい馬車の中からこちらに手を振っていた。


 その口が、楽しげに動く。「さ・よ・う・な・ら」と――。


 すると老人の魔法が、彼女の身体から抜け去っていった。


 馬車はグリモワールと機械化きかいかのテクノロジーによってロボとなった馬に引っ張られ、怒濤どとうの勢いで走り去っていく。


(……怖かったです)


 リリアンは膝をがくがくさせて、その場にペタンと座り込んだ。

 

 老人がもっていた竪琴たてごとは強烈な力を放っていた。

 あれはかなりのグリモワールがついている楽器だ。

 威力的いりょくてきに、名運の系統の者が関わっている恐れがある。


「こんにちは、赤ちゃん♪」


 リリアンの目の前を、ぽっこりお腹の妊婦にんぷが陽気に歌いながら歩いていく。

 「あっ」と声を上げてから、リリアンは己のスマートなお腹に手を当てた。

 目の前で起きたことによって、とても大切なことを忘れてしまっていた。


「い、いけません、子供の父親を捜さなくては!」

 

 リリアンは立ち上がり、子供を守る母親の威厳いげんを持って通りをにらみ付ける。

 どうしても、あの少年を捕まえて認知させなくてはならない。

 そのためなら、山の一つや二つや三つも四つも超えてみせる。

 なぜなら、生まれてくる赤ん坊には親が必要だからだ……。


****第二章に続く****

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