1-8 快楽王がおさめていた街

 とりあえず、変態修道女から逃れるべく走っていたら、ものすごく酒臭いところに来てしまった。

 アベルが、顔をしかめて周りを見渡すと朝から勧誘かんゆうが飛び交っている。


「兄さん、兄さん、寄っていって見ていって、女の生足だよ!」

「こっちの店においでよ、乳触りほうだい!」


 しかし、呼び込み達は、アベルの冷気を感じて声を止めるとギロリと睨み付けてきた。


「なに、あの、冷凍れいとう貧乏神びんぼうがみ

「寒さで冗談じょうだんみたいに客が遠ざかっていくな……。快楽王かいらくおうがいなくなってから、ここら辺に住み着いたんじゃないか」

「前は快楽王のお陰で、繁盛はんじょうしていたのになぁ」


 邪魔してすまぬとアベルは猫背を更に丸めて、建物の隙間に入っていった。

 その隙間に寝ころんでいた酔っぱらいがギョッと目を剥いた。

 アベルが見やると、酔っぱらいは赤かった顔を青ざめさせて逃げ出してしまう。

 自分の冷気は酒気までさまさせるようだ。


「……早く、ミスター・グレーバーを探さないと」

 

 ミスター・グレーバーは、グリモワールを消す事ができるといわれている。

 

 通常、魔法が入った魔石ませき《グリモワール》は存在を消されそうになると爆発を起こす。

 だが、ミスター・グレイバーは、その爆発を起こさせない術を知っているのだ。

 

 アベルの冷気は、身に宿したグリモワールから放たれてしまう気だった。

 

 グリモワールは、書かれた魔法の詩の力が強ければ強いだけ《魔法力》を帯び、独特な気を放つ。

 それを長年押さえ続けてきたアベルの身体は、もう限界に近づいていた。


「……――今後、我々には関わらないでいただきたい。では失礼」


 言葉のわりにはやたらとソフトな響きがして顔を上げると、隙間通りのいかがわしい店から紳士みたいな人が出てきた。

 紳士であると結論できないのは、ホワイトレースで覆われたスーツを着用していて、レースの下はチューリップ柄だからだ。


 変な服さえ着なければ、ほとんどの女性が恋に落ちるのが必然と思える美しい顔立ちをしている。

 そんな真面目まじめさと華やかさをミックスさせた華奢きゃしゃな美青年だった。


 彼は、ふっとアベルの方を見てから「嫌なものがいる」という風に背を向けた。


 スーツの背には、綿が入った可愛い翼がある。

 リュックのような紐を付けて翼を付けているのだ。

 ぱたぱたと白い翼を動かしながら、青年は重力を無視した軽すぎる足取りで人混みの中へと消えていく。

 

 この動きは普通の人間ではない――普通でなければ、大抵の場合は詩人だ。

 

 詩人は、グリモワールの詩によって魔法をあやつるが、それには大きく二系統あった。

 

 一つは聖なる、または正なる詩によって生死の魔法を彷徨い使う修道詩人しゅうどうしじん

 一つは激なる、または逆なる詩によって人の生死を冒涜ぼうとくする魔導詩人まどうしじん

 

 魔導の、生命に関する研究は人々の日常に広く浸透していたが、修道詩会によって魔導は邪道じゃどうとして扱われ、批難の対象となっている。


 アベルは魔導詩人であり、さきほど戦った修道士は修道詩人だ。


 この両者は敵同士で、見分けるのは簡単だ。

 修道詩人は、修道詩会の黒い制服を着ている。魔導詩人は好き勝手な服を着ている。


 青年はスーツだ……。

 だから魔導詩人か、または流派に囚われない第三の派――吟遊詩人に違いない。


「おい、ちょっと」


 アベルは青年に声をかけた。

 魔法の情報が集まる詩人ギルドの場所を彼なら知っているかもしれない。

 ギルドの場所がわかれば西の賢人ミスター・グレーバーの情報を得られるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る