亜麻音

玄関で立ち尽くした。


「その傷、大丈夫か?」


「大丈夫です。血も止まってます」


彼女は俯いて、俺の左手の裾を握った。


「わ、私今日お母さんに会ってきて」


「……なんで?」


顔が上がって、潤んだブルーの瞳が見えた。


「私、ここに居たかったんです。あなたがダメって言うまで、ここに。だから、お願いしてきました」


膜を張った瞳から落ちてきそうだった。


「母親に?それでこんな傷を?」


「……えへへ」


それは、肯定と同じだった。作り笑いのような下手な照れ笑いだった。泣きそうな顔で笑うな。

心の中に影が差す。怒りか、それとも、


「なあ、お前なんて名前だ?」


亜麻音あまねです。亜麻色の亜麻に音色の音です」


心の靄は広がって、俺の中に一つの考えが浮かぶ。

俺は少し身を屈めて、亜麻音に目線を合わせる。


「亜麻音、今日からここがお前の家だ。ここに帰ってこい」


この子を、亜麻音を外に出したらいけない。俺の側で守らないと。


「……ありがとうございます」


そう言った亜麻音の瞳から涙が流れた。俺はそれを優しく拭った。


「今日はもう寝るか」


亜麻音はコクリと頷いて、靴を脱いだ。

そのまま寝室へ連れて行く。亜麻音に寝間着を渡して、俺はリビングに向かおうと寝室のドアを開けた。


「あのっ」


呼び止められた。


「なんだ?」


「あなたのお名前、教えてください」


直次なおつぐ、素直の直に次で直次だ」


「直次さん」


そうか、呼んでくれるのか。

名前を呼ばれただけで嬉しくなるなんて、単純だと思いながら、これからの日々が楽しみになった。

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甘くて甘くて少し苦い。 大西 詩乃 @Onishi709

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