第7話
エリアとフィールドの境界線は、体感ではっきりと分かるものではない。
マップの位置情報によって切り替わったことを自覚できるのだが、荒鷲の丘はそうではないようだ。
丘が見え始めてから少し歩くと、突如としてそよ風から一転、頂上から平地に向かって荒々しい強風が吹きつけるようになった。
視界の端に見えるミニマップに視線を移すと、現在位置は荒鷲の丘と表示されていた。
「ようやく、ここまで辿り着いた。でも……これからが本番だよね。気を引き締めないと」
頂上を見上げてみると、上空には猛禽類を彷彿とさせるエネミーがちらほらと確認できる。
もしかしたら荒鷲の丘という名称は、このエネミーがいることが由来なのかもしれない。
「あのエネミーにはあんまり見つかりたくはないけど……難しそうだよなあ」
エリア内には遮蔽物となる木々が殆ど生えていないので、上空のエネミーに見つからないようにするのは無理がありそうだ。
そうなると、用意しておいた煙玉の出番となるわけだが、強風が吹き荒れるこの状況で煙玉がちゃんと機能するかどうか怪しいところではあった。
とはいえ、ソウジンのAGIでは逃げ切ることはまず不可能なので、結局これに頼るしかないのが実情である。
「最悪、ちょっとでも時間稼ぎができれば上出来かな」
薫風の街に着いた時から抱えている不安は未だに拭えていないが、制限時間まではもう一時間を切ろうとしており、いつまでもここで足踏みしていられない。
早速、頂上を目指して向かい風に抗いながら奥へと進むことにした。
荒鷲の丘は一面が草原で囲まれており、エリア内に出現しているエネミーを1体1体よく見渡すことができる。
視界が悪くなるところがあるとすれば、所々にある小さな雑木林くらいなものか。
近くを通りさえしなければ急に飛び出したエネミーに襲われるなんて事態にはならないだろう。
しかし、これだけ見晴らしが良いと、逆にエネミーからもソウジンのことが丸見えなわけで、発見されないようにボスのいるフロアまで辿り着くのは、まず不可能に近い。
やはり何回か戦闘になることを避けれそうにはないようだ。
ソウジン以外でエリア内にいる貧相な装備をしたプレイヤーは2、3人ほど。
その中には、先ほど薫風の街で見かけた短剣使いが草原を突っ切ろうとしていた。
最初は何十人ものプレイヤーが一斉に始まりの街を飛び出したはずなのに、途中でここまで辿り着くのを諦めたのか、知らない間に倒されてしまったのかは分からないが、まだこの入団テストに挑戦している人間はもう多くはなさそうだった。
「……ああ、そっか。わざわざ道じゃないところも進めたりするんだ」
特に何も考えもせず道なりに沿って進もうとしていたソウジンだったが、短剣使いの移動経路を見てふとそう気づく。
何も律儀に道順に従って進む必要なんてどこにもなく、移動時間短縮という面で見れば最短距離で進むのは常套手段だ。
「でも……なんかそっちの方が敵が多いような……?」
なんとなくではあるが、道の近くで徘徊しているエネミーよりも草原の中にいるエネミーの方が数が多いような気がする。
それに短剣使いに優先して狙いをつけているようにも感じていると、ソウジンの嫌な予感はすぐに的中することになる。
刃物のような鋭い爪と、羊のような角が生えた獣型のエネミー――トウテツの1匹が短剣使いに襲いかかると、タイミングを合わせるかのように他のトウテツ達も一斉にその後に続いたのだ。
更に空からは、先ほどから上空を飛び回っていた鷲のようなエネミーであるランホークが追い討ちをかけるかのように地上へと急降下を始めた。
こうもエネミーからリンチされるかのように囲まれてしまえば、入団テストに挑戦しているプレイヤーだけではなく、攻略推奨レベルに達しているプレイヤーでも逃れる術はないだろう。
案の定、自身より格上のエネミー達に襲われた短剣使いは、なす術もなくあっという間に青白い光の粒子となってその姿を散らすのだった。
ちなみにこの光の粒子は、HPが0になることで発生する所謂死亡エフェクトにあたり、倒されたプレイヤーは近くの拠点へと強制送還されることから、死亡することをプレイヤー間では”拠点送り”と呼ばれていたりする。
「うわあ……やっぱり道に沿って進もう。ああなっちゃったら、今の俺だと逃げられそうにないし」
今の光景を見せつけられてしまったら、もう草原を突っ切る気力は湧いてこない。
まあでも、元より道なりに進むつもりであったので、計画が大きく狂ったわけではなかった。
急がば回れ、という言葉はこのような状況の為にあるのだと、そんなことを考えながら頂上を目指す。
それから駆け足で進んでいくソウジンだったが、ついにエネミーの魔の手が忍び寄る。
ソウジンを視界に捉えた1匹のトウテツが、ソウジンの喉元を狙って飛びかかってきたのだ。
「うわっ!?」
咄嗟に横に転がることでトウテツの攻撃を回避したソウジンではあったが、予想以上の動きの速さに手裏剣を取り出すことができなかった。
それでも、どうにか腰に下げた手裏剣を取り出し、すぐさまトウテツに投げつける。
が、手裏剣で与えたダメージ量は大したことはなく、HPゲージの一割を減らせているのかどうかも怪しいくらいだった。
単発の威力が高い投擲ですらこの程度の威力なのだから、斬撃による攻撃だったらもっと悲惨な結果になっていたことだろう。
「予想はしてたけど、やっぱり倒すのは無理かあ……」
このまま戦闘を続ければ、敗北するのはこっちの方だ。
一撃耐えられるかどうかも分からない上に、短剣使いみたく増援がやってきてしまったら、それこそ万事休すだ。
もしかしたらポーションを惜しむことなく使えば1、2匹は倒せるかもしれないが、ボスを倒すことはまず諦めなければならない。
それでは結局、拠点送りにされることを先送りにしているだけに過ぎない。
なのでここは黙って逃げるしかないのだが、トウテツの足ではそれを許してくれそうにはない。
倒せはしないし、逃走も叶わない。
まさに手詰まりの状況と言っていいだろう。
しかしながら、こうなることは想定済みだ。
始めから分かっていたのだ。
だからこそアイテムに頼る道を選んだのだ。
ソウジンは左手の人差し指と中指だけを立て、体の外側に向けてフリックするような動作をとる。
すると、動きに反応して12個のアイコンが円形に配置された手のひら大の画面が出現した。
これはショートカット――あらかじめセットしておいたアイテムをメニュー画面を介さずに直接取り出せるものだ。
煙玉を使って戦闘を回避するプランを立てた時に、イチロウが役立つだろうと呼び出し方を教えてくれていた。
ソウジンはショートカットの12個のアイコンのうち、12時の位置にセットされているボールのようなアイコンをタップすると、左の掌の上にソフトボール程度の大きさをした球体が現れる。
これこそが、この瞬間のために用意しておいたアイテム煙玉だった。
煙玉を握った左手を振りかぶり、じりじりと後退りながらトウテツから距離を取る。
逃げるためというよりは、落ち着いて煙玉をぶつける余裕を持たせるためだ。
そして、トウテツが再度飛びかかろうとしたタイミングに合わせて煙玉を放り投げる。
トウテツの脚が地面から離れるより先に投じた煙玉が命中すると、たちまち視界を覆い尽くすほどの大量の白煙が一面に立ち込めた。
「よし! 決まった……って、え?」
喜んだのもの束の間、荒鷲の丘に吹き続ける強風が撒いた煙を飛ばしてしまった。
「もしかして、駄目だったりしちゃう……?」
折角、成功したと思ったのに、とがっくりと肩を落とすソウジンだったが、ふとある違和感に気づく。
「……ん、あれ? 襲ってこない?」
煙が完全になくなったのにも関わらず、トウテツが動き出す気配がないのだ。
周囲をきょろきょろと見渡し、何かに警戒しているように唸り声を上げている。
目の前にいるソウジンにまるで気がついていないようだった。
「えっと、どうしたらいいんだろう。んー……よし、今のうちに逃げよう、と」
理由はどうであれ、安全に逃げられるまたとないチャンスだ。
念の為、右手の手裏剣は手にしたまま、もう1つ煙玉をショートカットから取り出し、トウテツが動かないことを確認すると、全速力で頂上へと駆け出すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます