人の選択すべき時に立ち会い、しかし何もできないという状況は往々にしてあるものですね。
何もできないからこそ、人は祈るのでしょう。
ちなみに、教会を敢えて協会と書いているのでしょうか…。
それとも、協会というものが祈る場としてあるのでしょうか。
ごめんなさい、自分の知識が足りないのかと、気になってしまって。汗
作者からの返信
林奈 さま
ひーっ、単なる間違いですっっ!
ご指摘ありがとうございますm(__)m
なにか違和感が・・・・とは思いつつ、変換で出て来た漢字をそのまま使い続けるなんて(>_<)
コメントありがとうございました。
そうですね、自分の力ではどうにもならない時に、人は祈ってしまうのではないかと思います・・・・
編集済
家臣が宗教に奔ることを戦国武将が懼れたのは、仕える藩主は現世だけの契りだが、キリストや高僧とは永久の契りであることを承知していたからとか。
『どうかお見届けください』:奥深い祈りの言葉が印象に残る佳品でした。👏
作者からの返信
上月くるを さん
コメントもお星さまも、ありがとうございます!
なるほど…深いですね。
戦国武将は、もしかして生まれ変わりを信じていたのでしょうか?
永久の契り。
宗教とは、それほどに魂と深く結び付くものなのですね。
彼女は許しを乞うことはせず、代わりに見届けて欲しいと祈りました。
強さと弱さが同居している。
そんな、ごく普通の人。
もしかしたら、誰もが彼女に成り得るのかもしれないです、今の危うい世の中では(>_<)