302話 偽物の見抜き方
「いかにして多くの寄付金を得るか」を研究した心理学の実験に、以下のようなものがある。
まずグループAには、「マラウイでは食糧不足によって三〇〇万人以上の子どもが影響を受けています」という情報を与える。
そしてグループBには、「マウライに住む、ロキアという貧しい少女の写真。寄付により彼女の人生はより良くなる」という情報を与える。
さらにグループCには、それら両方の情報を与える。
この際、平均的な寄付額は、グループBのそれがもっとも大きくなったという。
人は、不幸な群衆よりも、個人的な誰かのために感情を左右されるものらしい。
――彼の動機は要するに、そういうことかもしれないな。
加速した世界で一人、そのようなことを考えて。
そこで狂太郎は、次に自分が行うべきアイディアを何一つとして持たないことに気づいて、愕然とする。
彼を説得するに足る言葉が見つからない。
通常、”救世主”として働く上でこのような事態に出くわした場合、彼がとる行動は一つだけだ。
暴力的な手段に訴えること。
言葉が通じない敵は、そのようにして黙らせる他ない。
――だが、そもそもぼくは、兵子と戦うことができるのか?
懐には常に、《天上天下唯我独尊剣》が忍ばせてある。
《すばやさ》を起動して、一閃。それで終いだ。
だが、何故だろう。
自分には、どうしてもそれができそうにない。
「……………………………………………………………………」
その時、狂太郎が抱えていた想いを例えるなら、……そう。
飼い犬に手を噛まれたかの、ような。
叱ったり宥めたりして、正しい方向に導いてやりたいという気持ちはあるが、徹底的にぶちのめしてやりたいというような気持ちには、……どうしてもなれない。
松原兵子という青年は要するに、そういうタイプの男であった。
「ぐぬぬ……」
なんと言えば良いかわからず、ただ、無意味にうなり声を上げる。
反論の言葉は、意外なところから上がった。
『ふっざけないでよね……!』
同時に、《ブック》の中から一人の少女が飛び出す。――ヴィーラだ。
『なんで、なんで、なんで! なんであんたみてーな馬の骨に、あたしたちの命運を託さなきゃいけないのよ! おかしーでしょ、そんなん!』
兵子は一瞬、虫けらでも観るような目つきで少女を睨め付けて、
「もう一度言うぜ。善悪の話はしていない。――誰かが漁をしなければ、魚を食うことはできない。誰かが服を縫わねば、凍えて死んでしまうだろう。必要なことなんだ」
『いや。……いや。いやいやいやいや、いや!』
ヴィーラは空中を忙しく飛び回り、――最終的に、狂太郎の耳元に引っ付いて、ひそひそと囁いた。
『おかしい。ぜったいおかしいよ、こいつ。嘘吐きだ。こんなやつが狂太郎と同じ”救世主”の訳がない』
「え? 何を根拠に……」
『わかんない? こいつはいま、自分がしてきた仕事を”悪”だと言い切ったんだよ! そんなこと普通、できっこないよ! 自分がしてきたこと、自分が信じてきたことってさ。……例え間違ったことだとしてもさ、そんな風に悪く言えるものじゃない! そーでしょ?』
そこで狂太郎、はっと気がつく。
どうしてこう、簡単に”言いくるめ”られていたんだろう。
まず根本的に、――この男を、松原兵子だと確定しなければならなかったのに。
「うん。ありがとう、ヴィーラ」
狂太郎はひとまずそう言って、
「その前に、兵子。一つ良いか」
「はい?」
「《ばけねこのつえ》を解除してくれないか」
「へ?」
すると青年は、少しだけ驚いた表情を見せて、
「ってことは狂太郎さん、俺のこと、偽物かなんかだと?」
「わからん。一応、確認だ」
「はあ。――まあ、構わないっすけど」
すると兵子は、少し考え込んだ後、
「でもぶっちゃけそれ、意味なくないっすか」
「意味がない? なんで?」
「だってほら。元の姿に戻ったところで、何の証明にもならないでしょ。いま、松原兵子の見た目を取り戻したところで、別の術を重ねがけしているだけかもしれないし。そうでしょ?」
「ああ……それはたしかに」
「もし狂太郎さんが、どーしても俺のことを信用できないってんならそれでも構いません。俺としては、”転移者”に見つかるリスクを背負うのは、ちょっと。だってほら。例えばそこの……チーフさんが”転移者”の可能性だって、ゼロじゃないんだから」
「ああ、それなら、――」
問題ない。彼は、この世界の住人であることは確認しているからね。
……と、あわやそこまで言いかけて、ぐっと押し黙る。
「それなら、なんですか?」
不思議そうな表情の兵子。
「あ、いや……」
「何か、――”転移者”を見分ける方法があるとでも?」
「違う。そうではない。……彼は特別親しいからそんなはずはないって。そう言いたかった」
一瞬、隣に座る、太った男に目配せする。
彼も心得た者で、「うん、うん」と頷いてくれた。
「そのとおり。ワタシたち、大親友だからね」
その後、たっぷり五秒ほどの、間。
「なんだ。そーいうことですか」
兵子はやがて、実につまらなそうな顔をして、ぎしりと椅子によりかかる。
「とにかく俺、あんたに付いてきてもらいたい。そしたらきっと、俺の気持ちがわかると思うから」
「……………………」
――行ってはダメだ。行ったらそれきり、家には戻れなくなる。
咄嗟に、そう思う。
仮に自分の手が血にまみれてしまったとしても、あの家に戻ることさえできれば、きっと自分はまともでいられる。
そうでなくなったその時が、仲道狂太郎のバッドエンドだ、と。
「悪いが、それはできない」
喉の奥から、絞り出すように言う。
彼の脳裏に浮かんでいたのは、――かつて筆者や殺音、飢夫などととした雑談の一つ。
『”偽物を見抜く”展開パターン類型』に関してだ。
我々の持つありったけの物語知識を元にした分析によると、そうした展開は以下のようにまとめられる。
(1)カマをかける。
⇒嘘、ハッタリで相手がボロを出すのをカッコ良く指摘するパターン。
(2)事前に合図を決めていたために見破る。
⇒「山」と言ったら「川」と答える、とか。手に描いておいた印がない、とか。
(3)思い出話が食い違う。
⇒微妙に話が合わない。話に実感がこもってない……というパターン。でも記憶違いって結構ある気がするけど。
(4)偽物には、それを見抜く何らかの弱点がある。
⇒『遊星からの物体X』では、血液を高温に晒すことで人間と偽物を見分けられた。
(5)キャラクターの口調や動作、癖などが違う。
⇒元々のキャラではない言い回しをする、とか。
(6)直感。
⇒ヒロインキャラが多用する。特に理由はないが、不思議と見抜ける。「あなた、○○くんじゃない。だれ?」
(7)正体を見抜いたつもりはないが、結果的にうまくいく。
⇒ぶん殴ってみたらたまたま偽物だった。
(8)何かそういう、魔法的な力。
⇒嘘を見抜く能力を持っている。
(9)見抜かない。
⇒怪しいと思った相手を、片っ端からやっつけてしまう。
狂太郎はこういう話をすると、常々、このように発言していた。
――もちろん、理屈に沿った方法が最も理想的だ。だけど、いつもそうなるとは限らない。だから結局のところ、(9)が手っ取り早いよ。
それが最も、長生きする秘訣だ、と。
だが、実際に自ら、そのような状況におかれてみて、どうだろう。
とてもではないが、豪快な手段に出られる気がしない。
というのも、――狂太郎はすでに、松原兵子という青年に、強い好感を抱いてしまっていたためだ。彼の知性、ゲーマーとしての優秀さに、敬意を払っていたためだ。
結局のところ狂太郎も、あの娯楽室のおじさんたちと本質的に同じだ。……彼を、無闇に傷つけたくない。そんな想いが、彼の判断を鈍らせていた。
と、その時である。
《ブック》からもう一匹、モンスターが飛び出した。
『ハロー、
「え?」
もちろん、狂太郎は彼を呼んではいない。
『失礼ながら、お困りのようなので。あなたがやるべきことを、行いましょう』
その、次の瞬間だった。
ワトスンのアイカメラが閃き、――《ビーム》が目の前の男の胸を撃ち抜いたのは。
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