299話 見えざるもの
「そうか。――異界を目指す者……」
呟きつつ、狂太郎は即座に《無》を発動させた。
さすがにもう、出し惜しみはしていられない。リスクを恐れて、騙し討ちを受けるわけにはいかなかった。
――さて。鬼が出るか、蛇が出るか。
感覚的に、《無》の影響が試合場いっぱいに広がっていくのがわかる。今度の場合は、景色そのものへの影響はない。少しほっとする。
ここから先に起こる出来事は、――異世界人にしか認識することができない。
そして、その異常事態を認識できているかどうかで、”転移者”かどうかを判別することができるのだ。
「………………」
狂太郎は、渋い表情で待ち受ける。
その後、突如として目の前に現れたのは、一匹の、ユニコーンと思しきモンスターだ。大きい。その体高はおおよそ、五、六メートルほどだろうか。それに比べれば、すぐそばにあるゴーレムの死骸が見劣りするほどだった。
薄桃色の身体を持つそれはいま、太った中年男性のような格好であぐらをかきながら、何やらゴソゴソしている。
よし子同様、この生き物もやはり、この世界の住人ではない、――そう思った。キャラクターデザインが違う。硬派系SF漫画に突如として現れた、不条理系ギャグ漫画のキャラクター。そういう印象だ。
ユニコーンは、まず第一声、このようなセリフを吐く。
『神は死んだ』
と。
何か、壮大な物語の伏線を思わせる、意味深なセリフだ。実際狂太郎も、一瞬だけそう思った。だが――ユニコーンの手元にあるものに気づいて、少し落胆する。
というのもいまのセリフ、スマホ用の保護シートをしくじったが故の文句だとわかったためである。
『……くそっ。くそっ。ちくしょう』
彼とも、彼女とも付かぬその動物は、よせば良いのにスマホに貼り付けた保護シートを何度も擦って、事態をさらに悪化させていく。蹄でシートを擦るたび、保護シート内で膨らんだ気泡があらぬ方向へと動いて、さらにスマホの見栄えを悪くしてしまうのだ。
ユニコーンはなんだか、哀しげにいななきながら、『やっぱプロの人に貼ってもらえば良かったじゃん。あとでヨドバシ行こっかな』と独り言ち――一瞬、こちらを見下ろす。
『ところであんた、こういうの、得意そう?』
「え」
話しかけられるとは思わなくて、狂太郎はちょっと驚く。
「……いや。得意ではない」
『あっそ。――厭だねえ。新しい小道具に慣れる時って、いつもこういうことが起こる。機械を作るとこも、保護シートを貼り付けた状態で売ってくれればいいのにさ。そう思わない?』
「まあ……そっすね」
『あんた、奥さんいる? 恋人は?』
「どちらもいません」
『じゃ、家族と同居してる?』
「してませんが、――それに近い人と暮らしてます」
『なら、運が良いわね。こういうの得意な人、きっと一人くらいはいるものね』
「はあ」
『結局、人間が群れるのって、自分一人でなんでもできる訳じゃないから、なんでしょうね』
「ええと……つまりあなた、何が言いたいんですか?」
『私も恋、したいなぁ、ってはなし』
言うだけ言って、見えざるピンクのユニコーンは、すっと消えた。
――良かった。いなくなってくれたか。
内心、ほっと胸をなで下ろす。もしいつまでも居残るようなら、いまの奴まで面倒を見なければならないかもしれなかった。
今起こったようなことは、《無》を起動すると、しょっちゅう起こる。
病気の時に見る夢みたいなもので、大した意味はないのだろう。たぶん。
「………………………」
ちなみに、――狂太郎はすでに、周囲の人々の態度を確認していた。
誰一人として、いまの現象に気づいたものはいない。
人間には”微表情”というものがある。25分の1秒という、ほんのわずかな時間だけ発露する、その人の”本心”を現す顔面の運動だ。
通常、”微表情”を観察するには、十分な経験とトレーニング、そして運が必要だが、400倍にまで加速することができる狂太郎には、それをじっくり観察することができる。
――誰も、いまのユニコーンに気づいた様子はないな。
気づかないふりではない。少なくとも狂太郎にはそう見えた。
おそらく皆、この世界の住人に違いあるまい。
そう判断して、狂太郎は《ブック》を開く。
そして、ヴィーラ、ワトスン、よし子をその場に呼び出した。
『はいはい。ちんこちんこ(要件は?)』
『ハロー、
『ゴヨウデスカ?(^^)/』
「すまんがみんな、聞いていた通りだ。調査を手伝ってくれ。うまく情報が得られたら、晩飯は豪勢にするぞ」
すると仲間たちはそれぞれ、はりきって四方へと散る。
狂太郎もそれに続いて、さっとその辺りを歩いた。
まず、目に付いたのはもちろん、目の前にあるゴーレムの死骸だ。
死骸、というよりもある種のモニュメントに見えるそれの周りをぐるりと回っていると、先にそれを調査していたよし子が、こう言った。
『《目星》セイコウ! イエーイ(^_^)/』
「? ――何か見つけたのか?」
『ハイ。……ヤクニタツカハ、ワカリマセンガ』
そう言って彼女は、少し声色を変えて、
『”そこにあったのは、一匹のモンスター、その死骸であった。《風系魔法》によって冷酷に切り刻まれたそのモンスターは、もはや見る影もない。死体は砂のお城のように成形されていて、中世、恐らくはニッポンの城を模した形だとわかった”』
「日本の城……なるほど。たしかにな」
『ココデサラニ、アイデアロール。(コロコロ、とダイスが転がる音)――セイコウ!(^_^)/』
「え? あ、うん」
『”さらによし子は、城の形状が、この『ソウル・サモナーズ』を模して作られた世界の歴史には存在しないものだとわかるだろう”』
「………………」
『サラニ、《考古学》ロールシマス。……ア、シッパイシチャッタ(><)』
「失敗すると、どうなるんだ?」
『ザンネン! ジョウホウガ、エラレマセン(><)』
「もう一度試せば?」
『ニドメノ、チャンスハ、ナイノデス( ノД`)』
「そうか……」
しかし、思ったより多くの情報が得られた。
下手人は、異世界の知識を持つ者。
しかも奴は、《風系魔法》の使い手らしい。
――《風系魔法》の使い手に関しては、シィ・シティのサモナーにも目撃情報がある。
恐らく、あの”悪魔島”にも、いたのだろう。
今回の殺しの犯人が。
一拍遅れて、ヴィーラが戻ってきた。
「どうした?」
『高いところからみたら、こんなん見つけた』
「こんなん?」
狂太郎がそれを受け取ったそれは、――黒い粉の詰まった袋だ。
「なんだこれ? 土かなんかか?」
そこで、ワトスンも戻ってきて、
『私、これに見覚えがあります。”チュウチュウネズミ”という名のドラッグですね。それ』
「ドラッグ……」
その言葉を聞いて、ギョッとする。正直、狂太郎のような人間にとってそれは、異世界よりももっと縁遠いものだ。
「どうしてそんなものが」
『さーあ? ……でもこの”チュウチュウネズミ”、人間にしか効果ないって聞いたよ。――もしこれを必要とするやつがいるなら、……たぶん、人間でしょーね』
ヴィーラは肩をすくめて、手にしたそれを弄ぶ。
『それと、
「ほう?」
『例の、――ネットのSNSで情報を集める件に、進展がありました』
「ランチャー団の男が言ってた、『この門をくぐるもの、一切の望みを棄てよ』の件かい?」
『いいえ。そっちはまだ確認中で……。その前に掲載しておいた、「以前遊んだ少年、ボドゲの再戦求む」の件です』
「ああ」
そういえば、そんな指示を出していたな。
『これによると、マツバラ・ヒョウゴはいま、我々がいるイー・シティの無料宿泊施設にいるようです。「しばらくは滞在予定なので、もしお立ち寄りの際は遊びましょう」、と』
「ほう。ずいぶん都合が良いな」
『はい。……私、想像力を巡らせましたところ、――こちら、何らかの罠、ではないかと』
確かに。もっともだ。
異世界人らしき痕跡に、人間を害するドラッグ。
そして、圧倒的な魔法の力による、モンスター殺し。
以上の情報を単純に組み合わせると、こうなる。
――この街のどこかに、”異世界転移者”が待ち伏せている。
そうとしか思えない。
「…………………………」
だが、なんだろう。
どことなくこの展開、――恣意的な感じがするのは。
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