242話 家族
はっと目覚めると、すぐ目の前には古びたノートパソコン。
父さんのお古で、数年ほど前に譲ってもらったものだ。
「…………………う、む」
そのディスプレイには、2Dで表現されたキャラクターが表示されている。
画面下部には、
>> GAME OVER
>> タイトルに もどりますか?
>> ⇒はい いいえ
の文字。
「………うううう」
頭が、重い。どうやら寝落ちしていたらしい。
ずいぶんと長い、夢を見ていた気がする。
――世界を、救わねば。
そんな風に想いながら、頭をふりふり、席を立つ。父さんのお下がりでもらった安物のオフィスチェアが、軋むような音を立てた。この部屋にある多くのものは、父からもらったものである。
――世界を。
……救う?
「何、考えてる。……ゲームのやり過ぎか」
顔をしかめつつ、ベッドに倒れ込む。窓の外を見ると、日が傾きつつあった。部屋にオレンジ色の輝きが差し込んでいる。
しばし、太陽と布団の匂いを楽しんでいると、――
「ごはんよォ」
と、母親の声が聞こえた。
正直、あまりお腹は空いていない。だが、気がつけば身体は動いていた。夕食を食べないという選択肢は、いまの狂太郎にはない。きっと父がまた、うるさいだろうから。
狂太郎は、渋い表情のまま一階へと向かう。途中、階段を踏み外しそうになって、ぎょっとする場面はあったのものの、なんとかリビングに辿り着いた。
どうも、身体の調子がおかしい。自分の身体が、自分の身体ではないような感覚がしていた。
そんな狂太郎を見ていた父親が、
「なんだ。酔っ払ってるのか?」
と、軽くからかう。狂太郎は無言のまま、食卓に付く。
「なんだ、ボーイ。反抗的だな」
「………………」
「なんとか言えよ。お父さんだぞ」
「………………ナントカ」
「はっはっは。おもしろいやつだな」
空虚な笑いだった。
狂太郎が難しい年頃だとわかっている。それ以上の追求はしない。
夕食は、カレイの煮付けとほうれん草のおひたし、そうめん入りの味噌汁に、白米。正直、好きな献立ではなかった。
こんな風に手間をかけるなら、カップ麺が良いのに。
「はあ……」
ため息、一つ。
今日は特に気が乗らなかった。食欲がないのだ。何故か。
――ああ、そうだ。”サイシュウ・チテン”に到着する少し前に、簡単に食事を済ませてきたからか。
などと思って。
いよいよ、おかしい。現実と空想の境界がおかしくなっている。
これが噂の、ゲーム脳というやつだろうか。いずれにせよ、これ以上食事を摂る羽目になるとは思いも寄らなかった。何故だろう? 夕食には、家族で食事を摂るのが当たり前なのに?
「ううむ」
「ん、どうした、ボーイ。食べないのか?」
父が訝しげにこちらの顔を見る。出された食事を残すのはいけない。失礼だ。
狂太郎は目をつぶり、「えいや」という気持ちで夕食を胃の中に流し込む。味付けは、狂太郎の好みより、やや薄い。
だが父は、
「なーんだこれ。母さん。塩辛いぞ!」
狂太郎とは真逆の意見らしい。
「いかんなあ。こんなんじゃ、完璧な母親になれんぞ」
「…………」
母は人形のように、固まっている。
狂太郎は、なんだか暗い気持ちになって、
「ごちそうさまっ」
言って、席を立った。
そんな狂太郎を、
「こら。ちょっと待ちなさい」
と、父親が引き留める。
「……なんですか?」
「ほうれん草を残してるぞ」
「ちょっと、腹が一杯でして」
「食べなさい」
ぴり……と、食卓が凍り付いた。
母はずっと、明後日の方向を見て現実から逃れている。彼女にとってこの家族が愉快なものでないことは明らかだった。
「…………………」
狂太郎はやむなく、ほうれん草を口に突っ込んで、呑み込む。
「それともう一つ、大事な話がある」
「?」
「最近おまえ、パソコンのゲームばかりやってるだろう?」
「……ああ。そっすね」
「それは、いかん。来年には高校受験なんだ。そろそろ、真面目に自分の人生を考えないといかんぞ」
「……うっす。りょうかいっす」
雑に答えて、さっさと自分の巣へ戻ろうとした。この家で唯一安住できる場所。ベッドとパソコンがある、自分の部屋へ。
だが、父親はそれを許さない。彼は立ち上がり、行く手を塞いでまで話を続けた。
「良いから、少し聞きなさい。父さんだって、ゲームについては詳しいんだ」
当然である。彼はゲーム会社で働いているのだ。
「お前の気持ちはよくわかるよ。でも、だからこそわかるんだ。ゲームばっかりしてるとな、人間、ダメになるってな」
「そうなんすか?」
「そうとも。……いいかい。ゲームってのは基本的に、頭の悪い人間でも先に進めるようにできてるんだ。どうしてかわかるか? ゲームってのは、現実世界で上手に生きられなくて、こことは別の世界なら自分は役に立つって、そんな風に信じたい人のために作られたものだからだ。心の弱い人間の逃げ道なんだよ。父さんはこの仕事をしてきて、そういう人間を山ほど見てきた。お前には、そういう人と同じようにはなってほしくないんだよ」
「…………」
お説教を聞きながら、狂太郎はただ、押し黙る。
――素晴らしい。同感だ。ぐうの音も出ないような正論だ。
素直に、そう思った。この年になると、こういう率直な言葉を言ってくれる人は少ない。
だが、と、狂太郎は思う。
――なぜこの人は、ぼくの人生に文句を言うのだろう。
そういう不満である。
というのも狂太郎には、目の前にいる彼が不思議と、年下に見えていたのだ。
見たところ彼は、32、3歳ほどだろう。
確かに彼は、大した人間のように見える。家財も立派だし、稼ぎも良いのだろう。
だが、だからといって、他人の人生に文句を言う筋合いはない。
――ん。 ……?????
そこまで考えて、頭が混乱していることに気づいた。
目の前の人には、自分の人生に介入する十分な理由があるじゃないか。
家族で、父親だから。
だからこの人は、心配してくれているのだ。
仲道狂太郎が、まともな人間に育つよう。
「……まとも、……か」
何かが、おかしい。異常だ。
ずいぶん昔に決着した問題を、もう一度提示されているような気分である。
「おい、ボーイ。どうした? なんとかいいなさい」
「ええと……はい。了解っす。ゲームやるの、控えます」
「いや。口約束じゃダメだ。自室にあるパソコンは明日、破棄しておくこと。いいな」
「えっ。は、破棄? いやちょっと、いくらなんでもそれは……」
「ダメだ。破棄するんだ。スティーブ・ジョブズは、自分の子供にiPadを与えなかったという。うちでも同じことをする。それがうちの方針だ。わかったな」
「マジか。意識高めかよ」
「……いいな? ボーイ。返事は?」
強く言われて、――狂太郎は結局、「はい」という言葉を絞り出す。
だが、直感的にそうしてはいけないことはわかっていた。
自分には、絶対にせねばならないことがあるのだ。時間を稼がねば。
だが、喉の奥から出たのは……、
「そんじゃ……せめて、……今やってるゲームをクリアしたら……」
「ダメだ。そんなこと言ってお前、ずる賢く別のゲームを始めたりするだろ? 明日、学校から帰ったら、すべて片付けておきなさい」
「はあ」
「返事は、はい、だろ」
「はい」
自分の心の中に、強いモヤモヤが生まれている。
なんでそんなことを、一方的に言われなくちゃいけないんだろう。
自分には自分なりのやり方があるというのに。受験のことだって、なにも考えてない訳じゃないのだ。それなのに……。
正直に言って、『屈辱を受けている』という気持ちが強い。
自分の人生が、自分の手の中にないというのは、こんな気持ちだったか。
だから狂太郎は、
「ねえ、きみ」
リビングを去る時、気づけばこのように言っていた。
「ひとつだけ、言いたいことがある。――自分の仕事に誇りを持てないのは、悲しいことだよ」
「…………――何?」
父親は一瞬、飼い犬に手を噛まれたような顔をして、狂太郎を見下ろす。
「だから、辞めておいた方がいい。『心の弱い人間の逃げ道』だなんて、そういう風に、他者を卑下するような真似は」
『心の弱い人間』代表として、はっきりそう言っておく。
だがいつの間にか、道に迷った後輩を励ますような口調になっていたのだろう。見る見る、父の顔色が赤くなって、
「馬鹿者。そんなんでは、父さんみたいに完璧な大人になれんぞ」
そう、頭ごなしに言われてしまった。
仲道狂太郎は今ひとつ現実感の薄いまま、自室への階段に足をかける。
とん、とん、と、今度はゆっくりと階段を昇りながら、
――なんだろう?
疑問に思う。
こんなことをしている場合ではない。
何か自分には、やらなければならないことがあったはずなのだが。
それが、どうしてもわからない。
いくら考えても。
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