243話 茶番劇

 夢を、観た。

 夢の中の自分は、世界の救世主となって悪者と戦う立場であった。

 夢の中の自分は、信頼できる友だちに囲まれていて。

 夢の中の自分は、韋駄天の如く走る能力を駆使して、自由に生きていた。


 目が覚めて。

 頬に違和感を感じる。触れると、濡れていた。どうやら泣いていたらしい。


――パソコンを取り上げられることがよっぽどショックだったのかな。メンタル弱いな、ぼく。


 昨日は風呂に入らず、そのまま寝入ってしまっている。


 なんだかしょんぼりしながら、よろよろと狂太郎は風呂に向かった。せめてシャワーだけでも浴びなければ、昼には身体が痒いのを我慢しなくてはならなくなるだろう。


「――……はぁ」


 嘆息しつつ、さっと湯を浴びて、再び自室へ逃げ戻る。

 気づけば早起きの甲斐もなく、そろそろ登校の準備をしなくてはならない時間帯だった。


――やれやれ。


 そう思いつつ、狂太郎の心はどこか、懐かしい感情で満たされている。

 もう二度と戻らないと思っていた何かを、その手で再び掴み取ったような……そんな気持ちだ。

 だから彼は、いつもより早めに制服に袖を通すことにして。


 学生服を着てリビングに顔を出すと、


「あら。もう学校いくの? ちょっと待っててね。ごはんつくるから」


 早起きの母が、さっそく今朝の準備を始めてくれた。

 どうやら、おにぎりを作ってくれるらしい。


――知らないお母さんのおにぎりって、なんか食いたくないよな。


 狂太郎はそう思って、


「いや、大丈夫です。朝飯は抜いて行きますんで」


 と、丁重に断る。

 母親は、いつも通り空虚な顔をして、


「……昨日も思ったけど、なんで敬語なの? なにかの流行?」


 そう指摘されて初めて、狂太郎は首を傾げた。


「――あれ? そういや、……なんでだろ」

「変な子」

「まあ、いいや。いってきます」


 そして足早に、家を出る。

 朝が早いのは、父親と出くわしたくないから。


――父さんには昨日、ひどいことを言ってしまった。


 なんだか、そんな気がしていた。



 学校へ向かう、その途中。

 バス停の前でのことである。


「ねえ、ちょっと」


 ふいに声をかけられて、振り向く。

 そこにいたのは、――、


(サラマンダー娘の、沙羅だ)

――蜥蜴の格好をした奇妙なコスプレ女だ。

(彼女のことはよく知っている)

――よく知らない女だ。

(状況は混沌としている。彼女の助けが必要だ。話しかけなければ)

――よく見ると、かなりリアルなデザインの尻尾までついてる。関わりたくない。


「……ぐ、ぬ……」


 一挙に2種類の感情が頭に流れ込んできて、混乱する。

 狂太郎が、その場で頭をぶんぶんと振っていると、


「探すのにずいぶん手間取っちゃったよ。疲れたぁ」


 目の前の女が、深く安堵した。これで何もかも解決する。そんな感じだ。

 だがこちらは、変な顔をしたまま。


「ここ、やばいよね。まともな人間だったら、一瞬で感化されちゃうでしょ。シルバーちゃんたちを置いてきたのは正解だった」

「……はあ」

「でも、なんなんだろ、この世界。これもあんたが言ってた、”めたふぃくしょん”に関係があるかな」


 そこで狂太郎はようやく、いま起こっている事態を察知する。

 要するに、人違いである。


「あの。すいませんけど、誰かと勘違いされてません?」

「勘違い、――って」


 沙羅は、鼻で笑って、


「んなわけないでしょぉ? しっかりしなさい」


 むしろ、こちら側が変なことを言っているようだ。

 だが、記憶をどうひっくり返しても、こんな知り合いはいない。


「あれ」


 やがて彼女も、狂太郎の様子に気づいたのか、


「ひょっとしてあんた、精神汚染、喰らってる?」


 と、恐る恐る訊ねた。

 狂太郎は首を傾げて、


「正直ぼく、あなたが何を言ってるのか……」

「げ。マジか。……ちょー面倒くさいことになってるじゃん……」


 と、その時であった。ちょうど、学校行きのバスが到着したのは。

 これ以上、関わるべきではない。

 狂太郎はそう思って、


「それじゃ、また……」

「わわわ! ちょっと! 待ちなさい!」


 肩を掴まれる。女性の手は、同じ人間とは思えないほど熱かった。

 狂太郎は、ぎょっとしてその手を振り払い、


「警察呼びますよッ!」


 慌ててバスの中に逃げ込む。沙羅も、それ以上は追いかけるつもりはないらしく、その場で立ち尽くしたまま、怒っているような、哀しんでいるような表情でこちらを眺めているだけだ。


 バスの中は、がらんとしていて。


 狂太郎は、さっと窓越しの席に座って、今起きたことを忘れようと努めた。



 それから、いつものように学校へ行くと、――不思議なことが起こる。

 といっても、大したことではない。

 てっきり自分は、人気のない教室でのんびりできるだろうと思っていたのに……すでにクラスメイトがみんな、揃っていたのだ。


――みんな真面目だな。まだ朝礼まで一時間以上あるのに。


 その光景は、まるで、……、

 みたいですらあった。


――なんてな。そんな訳ないか。


 そう思って、狂太郎は席に着く。

 がやがやと騒がしい生徒たちを、どこか微笑ましく眺めつつ。


――若い頃は、自分もあんな感じだったか。


 一人、彼らの話に耳を傾けてみる。


――誰と誰が付き合ってる、とか。

――最近食べたあのお菓子がうまい、とか。

――新作ゲームの話。

――宿題の話。

――体育の話。


 なんて。

 そういう、とりとめもないお喋りを、飽きもせず。


――楽しそうだな。


 狭い世界の事情とはいえ、彼らは彼らなりに、いまいる居場所で精一杯生きているのだ。

 それがなんだか、愛おしい。


 そう思う一方で、自分がこの中では完全なお一人様であることにも気づいている。

 現実の自分はそこまで孤独であった記憶はないのだが、この世界の”選ばれしボーイ”は、そういう設定なのだろう。


――そうだ。


 だから自分は、ゲームの世界に逃げ込んだんだ。


 父さんの言葉は正しい。

 ゲームは、弱い人間に逃げ場所に過ぎない。

 父さんは、そんな自分を心配して、昨夜のようなことを言ったのだ。


 一人、ぼんやりと窓の外を眺めながら、嘆息する。


――帰ったら、パソコンを片付けよう。


 そして、勉強に集中するのだ。

 良い高校に入って、良い大学に入って。

 素晴らしい交尾の相手を発見する。

 勝ち組サラリーマンにならなければならない。

 それが人生の目的なのだから。


 異世界の救済にかまけている時間など、自分にはない。



 授業が始まって、一限目、数学。

 二限目、国語。三限目、社会ときて、四限目、音楽。

 昼休みを焼きそばパンと牛乳で過ごして、五限目、体育。六限目、理科。

 クラス全員で教室の清掃、そして終業の時刻になる。


 不思議と、退屈な時間ではなかった。

 自分の知らないことを教えてくれる人がいるということ、そのものが愛おしい。

 それとあと、学校の先生がわりと、自分より年下が多かったのも新鮮だった。


――この人ら、教員免許取るの頑張ったんだろうなあ。


 なんて、思ったりして。


 ただ一点。漢字の小テストはさんざんだった。小説とか結構読む方だから自信があったのだが、書く方がダメ。意外なほど、忘れている情報が多い。”命”の部首が”口”の部分だとか、社会に出てなんの役に立つんだ?


 夕方になると、正門の方の掃除に出ていたクラスメイトのうわさ話が聞こえていた。


「おい。――あのコスプレ女、見たかよ。……すげえリアルな尻尾だったな」

「ちょっと近づいたら、火吹き芸を見せられたぜ。芸人さんかな?」


 なんて。

 狂太郎ははっとして、その生徒に話しかける。


「そいつひょっとして、燃えるような赤髪の女かい?」


 今朝、そいつに話しかけられたんだよ。怖かったなあ。

 なんて。

 ちょっとした世間話のつもりだ。

 盛り上がるならここに、一つ二つ、ジョークを交えてみようか。

 そこから話が広がれば、友人に恵まれるかもしれない。

 だが、


「…………………」

「…………………」


 男子生徒たちは二人揃って、狂太郎から顔を背ける。


「ねえ、ちょっと……おい……」


 さらに声をかけると、二人は何か、「じゃ、そろそろ帰るか」などとわざとらしく言って、小走りに去って行ってしまった。


「…………?」


 眉をひそめる。


――まるで、いまの。


 アドリブに困った役者のようで。


「…………へんなの」


 いつの間にか生徒の消えた教室で、狂太郎は一人、呟くのであった。


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