236話 幕間、自宅にて
ところ変わって、――私たちの住む世界。
シェアハウスの食堂にて。
湯気が立っている紅茶を取り囲みながら、殺音、私、飢夫の三人は、狂太郎の話を聞き入っている。
誰一人、御茶請けに並べたチョコチップ・クッキーに手を付ける者はいなかった。
いつもとは違う狂太郎の語り口に、すっかり気圧されていたのである。
「それで? その後は、どうなった」
私が訊ねると、狂太郎はいつもより低いトーンで、
「しばらくは……ドジソンの予言した通りになったよ」
なんだか、心病んだ人のカウンセリングをしているような気分だ。
「だが、やつにとっても誤算だったことがあった。――北の果てへ繋がる関所までの、閉鎖期間だ」
「期間は、――たしか、一週間の予定だったな?」
「ああ」
だが、違ったらしい。
帰還まで無駄に時間が掛かったのは、そのせいか。
「一週間経って、二週間経って。それでも、関所の番兵の台詞は、変わらなかった。『やあ、選ばれしボーイ。もうしばらく待ちなさい。人生の貴重な時間を浪費しながら(笑)』ってね」
狂太郎が、ずずずっと紅茶を啜ると、
「その間、ずっと待ってたん? ……らしくないな。狂太郎はん」
「そうだな。――そうかもしれない」
狂太郎は、ぼそぼそと続ける。
「実際、一度だけ、夜陰に乗じて関所の突破を試みたことがあった。だが結局、見えない壁に阻まれて、進めないだけだったよ」
「それでもやっぱり、――らしくない。いつもならこう、ウチらには思いもよらん方法で、うまいこと解決策を見つけ出しそうなもんやのに」
すると、狂太郎は深くため息を吐いて、頭を抱えた。
「そうかもな。……たぶんあの時期、心ここにあらずだったんだと思う。軽度のうつ病を発症していたかもしれない。――考えてもみてくれ。ぼくはあの、タムタムの街を歩いたんだ。……あの場所では……口に出すのもはばかれるような、忌むべきことが山ほど起こっていたんだよ」
自分はそれ以来、しばらくおかしくなっていた。
そういいたいらしい。
「もちろん、全てを知ってしまった以上、ここでのことを全部を忘れて、こっち側の世界に戻ってくることもできなかった。……あの時のぼくたちは、戻ることも、進むこともできなかったんだよ」
そこで、私と殺音は、目と目でコンタクトを取る。
この件に関しては、あまり触れない方が良さそうだ。
「それで、――想定より、長く足止めを喰らった理由はなんだ? やはり、ドジソンとかいう男にはめられたのか?」
「いや。さっき言った通り、この件に関してはドジソンも誤算だったようだ。シルバーラットに探ってもらったところ、――どうやら、ぼくたちのこれまでの素行が、ジャバウォック王国の”社会人”の間で問題になっていたらしい」
「素行?」
「ほら。あちこちで”崩壊病”を引き起こしたり、……王国の関所じゃ、衛兵をやっつけたり……」
いつもの狂太郎なら、そうした細々とした問題が足止めの理由になることはない。異世界での冒険は常に、駆け抜けていくばかりだからだ。
「それに、砦の追放騎士たちの苦情も相次いでいた。なんでも、『心ない言葉の洪水を、ワッといっきにあびせかけられた』だとか、『未だに夜、あの時に言われた悪口を夢に見る』だとか」
「……あっそう……」
レベル100京の悪口は、オーバーキルだったかもしれない。
「もちろん、それだけが原因というわけじゃないが、……――いずれにせよ、ドジソンもすっかり恐縮してしまってね。待っている間は、いろいろと手を尽くしてくれた」
「ちなみに、待っている間は、どう過ごしてたんだ」
「数日は、関所近くの”自由人”の宿に厄介になっていたんだが、どうせやることもないので、ジャブジャブ温泉で、ビールと温泉三昧だよ」
なんだそれ。羨ましい。
――その辺りはおっぱい見放題だったというし、下心もあったんじゃないか?
と言いかけて、口をつぐむ。さすがにいまの狂太郎に、それを聞くことははばかれる。
だが、
「なんだそれ。ちょー羨ましいじゃん。その辺り、おっぱい見放題だったんだろ?」
我慢できなかった男がいた。同じく話を聞いていた、飢夫である。
狂太郎は苦く笑って、
「……ビールも、温泉も、女の裸も……三日で飽きるよ」
でも、三日間はたっぷり楽しめたんでしょ?
……というツッコミは、さすがの飢夫も自粛したらしい。
「それに、あそこに逗留する案は、沙羅の意向に沿った形だ。あそこらへんなら”自由人”の縄張りだから、変に異世界バグに干渉する畏れもなかったし、――四人の姫君とも、時々会うことが出来た」
「――ちなみにその、四人の姫君は……」
「時々現れては、習ったばかりの三味線を聴かせてくれたり、双六とかで遊んだり。彼女たちがいなかったら、ぼくは退屈で死んでしまっていたところだったよ」
「ふーん」
なんかそれ、結構楽しそうだな。
「他に、その二週間に起こったことは?」
「特にない」
つまり、それって……、
――ずっと女子に囲まれて暮らしていたということか。
なーんか、怪しくないかしら?
「ちょっと待って? それってつまり、女の子に囲まれて暮らしてたってこと? 同じ部屋で? ぜったいエッチしてるじゃん」
我慢の出来ない飢夫が、早口で言う。
すると狂太郎は、これまで以上に暗い顔になって、
「……何の根拠で”絶対”とか言ってるのかしらんが……誰もがみんな、きみみたいに性欲爆発してると思ったら大間違いだ」
「えー。でも結構、話聞いてるといい感じな気がするけど」
「おい。勘弁してくれ」
そこで、少しだけいつもの調子を取り戻してきたらしく、狂太郎の声のトーンが少し、上がる。
これを見越してわざと挑発したのなら、飢夫も大したやつである。
「だいたい、あの二人の場合は、きみであってもなかったと思うぞ。沙羅にとってぼくは恋愛対象ではないし、シルバーラットなんてそもそも、顔を晒す行為をひどく嫌っていたから」
「百合畑の人だって言っても、人間の感情を1と0で割り切るのは難しいぜ。押して押して押しまくれば……」
「話を変えよう」
狂太郎は、ごほんごほんとわざとらしく咳払いして、
「正直、待ち時間の多くはドジソンと過ごしてることが多かった。やつは……なんというかな。同じ属性の感じがする、というか。とにかく接していて、安心する奴だったんだ」
「ふむ」
私はそこで、彼の話をメモするためのペンを置いて、
「ちなみに、――今のうちに聞いておきたいんだが、そのドジソンとかいう男は最終的に、
と、訊ねておく。
のちのち彼による裏切り展開が待っている場合、あらかじめそういう伏線を張って置いた方が読者に伝わりやすいな、と、そう思ったためだ。
「あー……それな」
「?」
しかし彼は、妙な口調で言葉を濁した。
実際、彼にこのような質問をするのは、珍しいことではない。狂太郎も、私の立場には理解があるため、それを厭がるようなことはこれまでなかったのだが……。
「実際のところ、ぼくにもよくわからないんだ。あいつが善人なのか、悪人なのか」
「どういうことだ」
「あいつと過ごした二週間は、――悪くなかった。ドジソンは結構、想像力に富んだ男でね。ユーモアのあるやつで、以前、通りがかった”救世主”が、彼を気に入ったのも納得だった」
「ふむ」
「だが結局、……突然、お別れになってしまうんだよ。彼とはね。未だに奴が何をしているかは、よくわからない」
「そういうことか」
そこで狂太郎はようやく、目の前のチョコチップ・クッキーに手を伸ばす。
そしてそれを、口いっぱいに頬張って、紅茶で流し込んで。
「なんにせよ、我々が”北の果て”へ向かう冒険を再開したのは、待ち時間が続いたある日のこと。王国の”社会人”たちも、『ここに留めておくわけにもいかないから、仕方なく』という感じだったよ」
物語の続きを、語り始める。
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