220話 ジャブジャブ温泉の試練

>>さいきょうドラゴンが あらわれた!


『GIOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHH』


 大地を揺らす咆哮に、びり、びりと、全身が痺れたようになる。

 無敵のパンツがなければ、それだけで気を失っていたかもしれない。

 顔を上げ、――その姿を、見据える。


 まん丸いぎょろ目に、立派な口髭。二本の角。きらきらと太陽光を反射する蒼鱗。

 ドラゴン、……というかそれは、東洋の伝説上の神獣、”青龍”のイメージだ。

 狂太郎はその、丸太のような身体がにょろにょろと温泉の中を這い回っているところを見て、すっかり渋い顔になっている。


――おうちにかえりたいな。


 映画みて。その感想をネットに書き込んだりして。

 みんなとゲームして遊んだりして。

 ときどきお昼までたっぷり寝て。

 人生、他に必要なことがあるだろうか。


 こんな訳の分からない世界で、ドラゴンと戦う理由がどこにある?


「――ちょっとちょっとちょっと狂太郎さんッ!? 現実逃避してないかっ!?」

「してる」

「冷静さを取り戻して!」


 狂太郎は、手持ちのショートソードをチラリと見る。

 これが《天上天下唯我独尊剣》であれば話は違っただろうが、あの剣はいま、悪党に奪われてしまった。


――長い戦いになりそうだ。


「とりあえず、きみだけでも離れておいてくれ」

「それが、……そういうわけにもいかない」

「なぜ?」

「なぜってそりゃあ……ボスモンスターからは、逃げることができないからな」

「そうかね」


 狂太郎はため息を吐いて、


――沙羅、ぜんぶ台無しになったら、すまん。


 と、心の中で謝る。

 いったん彼女を安全地帯にまで移動させようと考えたのだ。

 当然、”崩壊病”が発症するリスクがあるが、死ぬよりはマシだろう。


 まず狂太郎は、《すばやさⅥ》を起動。通常の十倍の速度で、シルバーラットの身体を引っつかんだ。


「くそ、……それにしてもこの鎧、重いなあ! 無駄に!」


 少女は一瞬、びくんと身体を揺らした気がするが、すぐに抵抗を止める。こちらに身を任せるということだろう。狂太郎はその後、えっちらおっちらと水の抵抗を感じつつ、温泉の外を目指した。

 しかし、――すぐにその足が止まる。

 二人が、ジャブジャブ温泉を出ようとした辺りで、


>>このたたかいからは にげられない!


 という無情なアナウンスが、辺りに響き渡ったのだ。

 するとどうだろう。


 どんっ、

 

 と、狂太郎の鼻に、見えない壁が当たって、


「な、なんだこれ!?」


 驚いて、目の前のそれに触れたり、叩いたりしてみるが、明らかにそこに物理的な障壁が存在している。極限まで透明化したガラスの壁、とでもいうべきだろうか。殴っても蹴ってもびくともしないのだ。


『GI、O、O、O、O、O、O、O、O、O、H、H、H、H、H……!』


 しかも、逃げようとする狂太郎の姿を見て、”さいきょうドラゴン”とやらはますます憎悪を滾らせ、こちらに蛇行してくる。


――こいつ、空飛んだりはしないのか。


 どっちかというともうこれ、ただの蛇では。

 ただ、こちらの方がむしろ、厄介だと言えた。ただでさえこの状態、――足元が水に囚われて動きづらい。

 その上に、”さいきょうドラゴン”が蹴立てる波が、狂太郎の身体を大きく揺らすからたまらない。もともと体幹の弱いこの男は、たちまち水流に足腰を囚われて身動きが取れなくなってしまった。


「わ、わ、わ! マジかっ!」


 そこでいったん、《すばやさ》の段階を落とす。このままのスピードで無理に動くと、膝を痛める可能性があったためだ。


「ぼくが盾になる! いったん離れてろ!」


 そう叫び、狂太郎は”さいきょうドラゴン”の攻撃を真っ向から受け止めた。


 その後に起こった出来事は、あとあと思い返しても、不思議と現実感がない。

 まるで……ゲームの中の映像のようで。


 実際、狂太郎が経験したそれは、大迫力の体験型アトラクションのようだった。龍の尻尾が叩き付けられて、――空中を数十メートルほど吹き飛んで。

 通常であれば即死間違いなしの衝撃を受けてなお、狂太郎の身体は、これっぽっちも痛みを感じていなかったのである。


 大空を舞いながら、彼はこのように叫んだ。


「きょうパンツ履いてきて良かった――――――――――――――――――――――――!」


 と。

 別に、普段パンツを履いていないわけではないくせに、気づけばそう絶叫していた。たぶん混乱していたのだろう。


 なお、狂太郎の受難はそれだけでは終わらない。追撃の手を緩めない”さいきょうドラゴン”がすぐそばににじり寄り、狂太郎の身体に牙を突き立てたのである。

 狂太郎はその瞬間、それから数ヶ月ほどトラウマに残ることになる絵面を目の当たりにする。


 捕食者に、生きたまま食われる。

 それは恐らく、動物が心に思う、最悪の光景の一つに違いない。


 その時、狂太郎は、子供の頃の記憶を鮮明に思い出していた。野良犬に、ホットドッグをまるごとくれてやった想い出だ。犬は自分の口に余るそれを、がつがつと噛みついた後、最終的には天を仰ぐような仕草でそれを丸呑みにした。


――あの時のホットドッグに、ぼくはいま、強く感情移入しています。


 ドラゴンに咥えられ、ぶんぶんと乱暴に振り回されながら狂太郎は、そのように思っている。

 そして、かつての記憶そのままに、……彼は、ドラゴンの口の中へ、ずるりと呑み込まれてしまったのだ。


「う、う、う、うわ――――――――――――――――――――――――――――ッ!」


 その時ばかりはさすがの狂太郎も、絶叫した。筆者がのちに、言葉巧みに白状させたところ、ちょっぴりおしっこも漏らしていたらしい。

 実際その体験は、――心の病気になってもおかしくないほどの恐怖であった。

 彼自身、「あの恐怖に耐えられる者は誰もいない」と、後に断言するほどの。


 ごっくん。


 狂太郎は、自身の身体が、ぬめぬめした竜の食道を通っていることを自覚した。

 それでも不思議なのは、あくまで肉体の物理的ダメージは一切ない、ということ。

 狂太郎の頭に浮かんだのは、このままドラゴンの腹の中を一巡して、尻の穴から排泄される自分の姿であった。


「…………! たすっ。たすけっ……たすけてくれー!」


 もはや彼にできるのは、ドラゴンの細長い胃の中でじたばたともがくことだけ。


「おいっ! 狂太郎さんっ」


 腹の皮ごしに、シルバーラットが叫んでいる。

 狂太郎は必死に、こう叫んだ。


「――いのちだいじに!」


 もはやこうなってしまっては、彼女の無事を祈るしかない。


「わ、わかった! がんばる!」


 威勢の良い声の後、


「あんたはそのまま、叫び続けてくれ! なんでもいいから、声を出し続けて!」

「わ、わかった! たのむ」


 胃の中に閉じ込められていた狂太郎にはその後、シルバーラットと”さいきょうドラゴン”が、どのような戦いを繰り広げたかは、知らない。

 ただ彼が知っているのは、ぐにゃんぐにゃんと身体が振動する中、まず『機動戦士ガンダム』のオープニングテーマを歌ったこと。

 その後、『機動戦士Zガンダム』、『機動戦士ガンダムZZ』の順番に熱唱し、「さて、次は何を歌おうかしら」と思案したこと。

 これはもちろん、完全な現実逃避であった。たぶん自分は、このまま古いアニメの歌を歌いながら、真綿で首を絞めるように死んでいくのだろうという確信があったのだ。


 だが結局、恐怖の終焉は、意外な形で訪れる。


>>ボーイは さいきょうドラゴンを たおした!


>>ボーイの けんスキルに けいけんちが 983212345631抵シ撰シ抵シ難シ呻シ難シ假シ難シ暦シ費シ呻シポイントはいる!

>>シルバーラットの けんスキルに けいけんちが 983212345631抵シ撰シ抵シ難シ呻シ難シ假シ難シ暦シ費シ呻シポイントはいる!


>>ボーイの けんスキルの レベルが 6010139876にあがった!

>>ボーイの せいしつが へんかする!

>>ボーイは ”ふつうのけんし”から ”なかなかのけんし”に なった!


 なんか、普通に勝ったらしい。


 やがて狂太郎が倒れている辺りに小刀の切れ込みが入って、暗闇の中に、陽の光が差し込んだ。

 そして、


「狂太郎さんッ、だいじょーぶか!?」


 シルバーラットのバケツ兜が、ひょっこりこちらを覗き込む。


「あ……ああ………」


 精神的なショックからまだ立ち直れていない狂太郎は、泣きそうな表情でドラゴンの胃の中から這いだして、


「きみ、けっこう強かったんだな」


 と、彼女を褒めた。


「ああ。選ばれしボーイが現れる日に備えて、ばっちりレベル上げしたからな」

「そうか……ちなみに、レベルいくつ?」

「この前チェックした時点で、――138939393939393929、だったかな?」

「じゅうさんけい」


 兆を超えて、京か。

 もう、日常的に使う桁数ではなくなっている気がする。


――本当に……なんなんだ、この世界。


 全身を覆うねばねばした胃液を振り払いながら、狂太郎は呆れて、そう思うのだった。

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