218話 無敵のパンツ

 次の日。

 夜明けとともに目覚めた狂太郎は、なんだか普通に温泉旅行に来ているような気分で、ぶらりと湯煙が舞う街を歩く。


「へー。綺麗なとこだな」


 どうやら、ダンジョン入り口付近を中心に在るらしいその街は、”自由人”の手によって完全に観光地化されているようだ。

 道中、早くも仕事を始めていた屋台で鳥の串焼きとビールを買い、それをちびちび摘まみつつ、街の様子を見て回る。

 普段の仕事ではこういうところをのんびり散策することもないため、狂太郎はかなり新鮮な気持ちでその辺りを歩くことができた。


――しかしここ、老若男女問わず、パンツ一丁の街だなぁ。


 右を見ても半裸。左見ても半裸。

 もちろんその辺を歩いているお婆さんも半裸だし、いい年をした男も平然とパンツ一丁で歩いている。ちゃんと服を着ている狂太郎の方が目立っているような有り様だ。


 ダンジョンの出入り口付近をぶらぶらしていると、70歳くらいのおじいさんが全身、スライムにまとわりつかれながら平然と歩いているところに出くわしたりして、そのシュールな絵面に目を丸くする。


「……ちょっと、そこ行くお爺さん。大丈夫なんですか?」

「ああ、――あんた旅人さんかい」

「は、はい」

「心配いらんよ。このパンツがあるからな。むしろこいつら、身体の汚いところを喰らってくれるから、清潔なんよ」


 とのことで。


「ほほお。なるほどなあ」


 少し、……酔っていたのかもしれない。気が大きくなっていたのかもしれない。

 その十数分後には、狂太郎も同じことを試していた。

 パンツ一丁になって、ダンジョンに挑戦してみたのである。


――すごい。身体全体が、見えないゴムで覆われてるみたいな感じだ。


 『アイテム番号:255』と書かれたそれには、明らかにこの世界の道理に反する不思議な力が宿っているようだ。

 試しに自分の肌を叩いたりつねったりしたが、痛みはない。ありとあらゆるダメージに耐性が生じているらしい。

 便利なのは、裸足になっても、足の裏に全く痛みが発生していないところ。そのくせ体毛の一部は保護されないらしく、引っ張ったりできるのが興味深い。


――なるほど。こりゃ楽だ。みんなこの格好でいる訳だな。


 この世界の住人なりに、非合理な物理法則に順応して暮らしている、ということだろう。


「よし。朝風呂としゃれこむか」


 と、気軽に言いながらも、その手には安物のショート・ソードが握られている。もしダンジョン探索がうまくいくようなら、一人でここの攻略を進めてしまうつもりだった。


 狂太郎がダンジョンに足を踏み入れるとさっそく、


>>きょうあくなスライムが あらわれた!


 と、紫色のぶよぶよした魔物が、行く手を塞ぐ。

 その周囲には、数人の老人たちが、複数のスライムたちにまとわりつかれていた。

 狂太郎は、あえてスライムに手を出さないようにしつつ、その攻撃を甘んじて受ける。

 スライムはまず、もの凄い勢いで狂太郎の左肩あたりにぶつかってきた。


>>きょうあくなスライムの こうげき!


>>ミス! ダメージを あたえられない!


「ほほう……」


 ナレーションの言うとおり、痛くも痒くもない。

 さらにスライムは、怒り狂ったように狂太郎の腹の辺りへ、強酸性の体液を吐き出した。


「わっ、汚い!」


 と、思ったのもつかの間である。


>>ミス! ダメージを あたえられない!


 スライムの体液は一瞬で蒸発する仕組みらしく、狂太郎の身体の表面を撫でただけで、一瞬にして跡形もなくなった。


「へ、へえ……」


>>きょうあくなスライムの こうげき!


>>ミス! ダメージを あたえられない!


>>きょうあくなスライムの こうげき!


>>ミス! ダメージを あたえられない!


 そのまま、スライムの攻撃を受け続けること、五分ほど。

 どうやら一切のダメージを受けないことを検証し終わった頃には、髪の毛をのぞく狂太郎の体毛はほぼ脱毛され、つるつるの卵肌になっていた。


――なんだか、飢夫にでもなった気分だ。


 毛の生えていない、自分の腕をまじまじと眺める。

 とはいえ、意外と悪い気はしない。子供に戻ったようだ。


 そして狂太郎は、スライムにまとわりつかれたままの格好でダンジョンの探索を進める。一応、このダンジョン全体が温泉地帯らしいが、真の目的地である”ジャブジャブ温泉”と道中の温泉は全くの別物らしい。

 宿で売っていた地図によると、温泉には選ばれしボーイのみ作動する特別な仕掛けがある、とのことだが……。


「パワーアップの効能、か。……正直、このパンツがあれば何にも要らない気がするがな」


 と、独り言ちると、


「それだと、”崩壊病”を誘発する可能性があるぜ。――”救世主メシア”さま?」


 聞き覚えのある声に、ハッとする。

 振り向くとそこには、守護騎士・シルバーラットが立っていた。


「うお! びっくりした! いつから着いてきたんだ」

「さっき、あなたがパンツ一丁になったあたりから」

「いつもの、ローリング回避でがっしゃん! はどうした」

隠匿ステルスしていた。こう見えて俺、元々はすばしっこさがウリだったんでね」

「ふーん」


 内心、「困ったことになったな」と思っている。狂太郎の場合、一人で進んだ方が、恐らく安全だからだ。


「言っておきくが俺、死んでも着いていくぞ」

「そこまでする必要、ある?」

「選ばれしボーイの守護が、俺の使命なんだ」


 そこまで言うなら何か、この娘の存在が必要不可欠なイベントが発生するかも知れない。


「といっても……」


>>きょうあくなスライムの こうげき!


>>ミス! ダメージを あたえられない!


「きみに守護してもらう必要は、なさそうだがね」

「……まあ、確かに」



 結局、パワーアップの効能があるという温泉までの道程は、二人旅となった。

 道そのものは単純で、ずっと足湯に浸かっていることも含めて、なんだか桃源郷を散歩するような雰囲気だったらしい。


 ただ、全身をがちがちの鎧で固めたシルバーラットが、


「……ひい……ひい……ふう……わ……悪い……! ちょっと休憩をば!」


 定期的に腰を下ろすのには困ったが。


「きみも、パンツに着替えたらどうだ?」

「い、厭だっ! パンツ一丁は厭だ!」


 この世界の住人、羞恥心とか、あったんだ。


「ラビット城の衛兵も裸だったし、みんなそういう感情が欠如してるんだと思ってた」

「それだったらみんな、裸になってるだろ。ああいう人たちは、特別な訓練を受けてるから平気なだけだ」


 どんな訓練だ、それ。

 狂太郎は、彼女の隣に腰を下ろす。このダンジョンは基本的に足元がお湯で満たされているため、休憩そのものは好都合だ。気持ちが良い。

 湯を、肩の辺りにぱしゃぱしゃとかけつつ、


「なあ、シルバーラット。――一ついいかい」

「なんでもどうぞ」

「念のため、今のうちはっきりさせておきたいんだが……きみは”社会人”なのか? それとも”自由人”なのか?」

「……どうして、そんなことを?」

「どうも、これまでの会話から察するにきみ、”社会人”っぽくない気がしてね」


 そのくせ、与えられた役目はしっかりと”社会人”だ。

 それが少し不思議に思えていた。


「ああ、そのことか……」


 シルバーラットは、仮面で隠れた顔を、少し上げて、


「俺、基本的には”自由人”なんだよ。親は両方ともそうだし。世話になっている家の人に頼まれて、”社会人”の役目を手伝ってるんだ」

「へえ」


 そういうパターンもあるのか。

 彼女が増殖しなかった理由も、案外その辺が原因かも知れない。


「先祖代々続いてる”社会人”の家柄では……『本当はやりたくないんだけど、義務的に役目を果たさなくちゃいけない』ってケースも、よくある。そういう場合は、金のない”自由人”を雇って仕事を肩代わりしてもらうんだ」

「へー」


 妙な世界には、妙な世界なりのルールが生まれるものだ。


「顔を……見せないのも、その、仕事の契約のうちなのかい?」

「いや。それは単純に、恥ずかしがりなだけだけども」

「あっ、そう……」


 と、その辺りでシルバーラットは、水を蹴立てながら立ち上がり、


「そろそろ、移動しよっか」


 言いながら、鉄靴に入った湯をひっくり返す。

 そういう仕草すら、狂太郎から少し隠れて行う徹底ぶりだ。


「この辺、素足の方が楽なのに」


 訊ねるが、すがすがしいまでの無視。

 どうやら彼女の恥ずかしがり屋は、根っからのものらしい。


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