217話 ジャブジャブ温泉
次の目的地、――湯治場に辿り着いたのは、その日の夕方のこと。
「ついたついた。ここだ」
シルバーラットの先導で着地した狂太郎は、椅子を専用の厩舎に繋いでおく。なんだかバカみたいだが、こうでもしないとケツエネルギーの残滓で勝手に飛んで行くことがあるらしい。
――いつもより倍、疲れたが。こういう旅も、たまには悪くないかな。
そんな風に思いながら、ジャブジャブ温泉を眺める。
それは、――絹を思わせる一面の石灰棚に、さっと水彩絵の具の蒼を塗ったような、実に見事な風景であった。
その全貌は湯煙に阻まれ、ここからでは把握することができない。だが、数匹のスライムが湯に浸かっているところがちらりと見えた。
「っていうか、……あれ?」
シルバーラットが少し不思議そうに、手持ちの古文書をチラ見する。
なんでもその古文書、「由緒ある”社会人”の家に代々受け継がれているもの」らしく、選ばれしボーイ&ガールが現れた時、次に起こすべき行動がなんとなく記されているらしい。
「おかしいなあ。この辺りは確か、ダンジョンになってるはずだが」
「とても、そうは見えないがな」
というのもその辺り、――明らかに”自由人”たちの住処になっているのだ。
天高く、もうもうと蒸気が立ちこめる山間の温泉に、数千人規模の集落が広がっている。ご丁寧にも『おいでませ ジャブジャブ温泉』という
「その資料には、どう書かれているんだ」
「選ばれしボーイはなんか、ジャブジャブ温泉でなんかの試練を受けて……いずれにせよ、なんかのスーパーパワーを得られる、と」
「ふーん……」
一応、こっそりその内容をチェックしてみたところ、
『
『夕餉は
『まず、ジャブジャブ湯に浸かるべし。
『 我が
などなど、ナンセンス詩の形を取っているせいか、日本語に直しても少々理解が及びづらい。
この内容が、どういう事実を指しているかはともかくとして、
――要するに、この古文書に記されている内容の通りに進めば、”崩壊病”を起こさずに済むわけだ。
どれほどバグの多いゲームであっても、エンディングにたどり着けないことはあるまい。
すでに三人の周りには、来訪に気づいた”自由人”が数人、営業スマイルを浮かべて歩み寄ってきている。
彼女たちはやはり、城の衛兵たちと同じく、奇妙な格好をしていた。一糸まとわぬ上裸に、『アイテム番号:255』と大きく印刷されたパンツを一枚、履いているだけなのだ。
「うふふふッ。みんな、良い乳してるなぁ!」
鼻の下を伸ばしている沙羅をよそに、狂太郎はこめかみに手を当てる。
狂太郎とて人の子だ。女体に興味がないわけではないが、――こうも恥じらいのない姿を見せられても困る、という気持ちが強い。
突如として裸族の村に迷い込んでも、困惑する気持ちが大きかろう。彼がその時に抱いていた感情は、それに近かった。
――それにしても、『アイテム番号:255』か。
255と言えば、RPGなどで良く使われる、値の最大数である。
2進数で表現するなら、”11111111”。
16進数で表現するなら、”
ゲームで表現できるデータ量に限りがあり、1バイトでも容量を削減するための努力を求められる時代があった(※12)。255という数字は確か、ファミコン世代のゲームにおける”最後の数字”なのだ。
「ようこそ! 旅の人! ここはジャブジャブ温泉のある湯治場だよ!」
「……はい、どうも」
「今夜の宿は決まってる? 食事のアテはある? もし温泉に浸かりたいなら、うちで売ってる地図がおすすめだよ!」
その言葉を皮切りに、別の『アイテム番号:255』を着た娘が、「いや、それならうちが」「いやうちが」と、客引き合戦を開始する。
狂太郎たちが目を見合わせていると、――シルバーラットが訊ねた。
「ちょっと待ってくれ。この辺で商売する許可は得ているのかい」
「あら。そちら本国の方?」
「ああ。守護騎士、シルバーラットと言う。祖国の命により、選ばれしボーイ&ガールを護衛している」
「ふーん。それにしてはあなた、ずいぶんなもの知らずなのね」
「む。騎士に対して、失礼な……!」
女性は気にせず、不敵に笑う。
「この辺の商売は、もう何十年も前から認められてるんだよ」
「えーっ。まじー? そんなこと、どこにも書いてないけどなぁ」
シルバーラットが、古文書をぺらぺらと捲る。
どうやらこの資料、”自由人”の動きに関してはノータッチらしい。
「しかし、ダンジョン周辺はモンスターが無限湧きするはず。危険じゃないのか?」
「そこで、このパンツさ。――最近の研究で、これの獲得方法がわかってね。これさえあれば、温泉のモンスターの攻撃は痛くも痒くもない。あんたたちも早く買った方が良いよ」
「はあ……」
それで狂太郎は、『アイテム番号:255』の正体を、何となく察する。
恐らくこれ、バグで取りだしたアイテムか何かだろう。
ゲーム制作者は時に、ゲーム中に登場しないアイテムのデータを、戯れに入力することがある。これもその一つということだ。
「でもこれ、一回脱いだら効果がなくなるからね。一生履いてる必要がある」
なんと不便な。
「それより、宿の話に戻るけどさ。誰の宿に泊まるつもりだい。一応、料理の準備があるから、決めるなら早めがいいんだけど」
狂太郎は、相棒に視線を送る。
すると沙羅は、蜥蜴の尻尾をくねらせて、――三人の町娘を品定めしたあと、
「そんじゃ、いちばんおっぱいの大きい娘のとこで」
と、言った。
▼
夕食は、ボロゴーヴと呼ばれる鳥肉のステーキに、じゃがいものポタージュスープと、パン。
「この世界、食べ物だけはそこそこちゃんとしてるのには助かるな」
「言えてるー。……ま、私が働いてる店の肉よりは良くないけど?」
「そうだな。――あそこ、美味かったな」
「火が違うのよ。火が」
「……ふーん」
などと、雑談を交えつつ。
なんとなく同室を許してくれているところを見るに、沙羅ともだんだん打ち解けてきているらしい。
食後、多少使い込まれているが、よく洗濯されたベッドの上で大の字になって。
「結局、今日もこの世界で泊まりになったか」
外は、すでに暗くなっていた。
こんな状況でダンジョン探索を進めるわけにはいかない。
「いつもよりペースは遅いの?」
「うん。最近の仕事は、数時間かかることの方が稀だったからね」
「数時間? ……へえ。すごいじゃん。ホントにあなた、優秀な”救世主”なのね?」
「大したことじゃない。”エッヂ&マジック”の依頼が、簡単なものばかりなだけだ」
「謙遜して。私だってまだ、二つしか世界を救ってないのに」
などと、”救世主”トークで盛り上がっていると、――
「ねえ、選ばれしボーイ。ずっと気になってた疑問があるんだけど……聞いて良いかい?」
シルバーラットが口を挟んだ。
「選ばれしものが”異世界人”であることは、古文書に書かれていたから知っている。けど……あんたら、”救世主”なのかい」
「ん。そうだよ。いろんな世界を渡り歩いてる」
「で、その”いろんな世界”を、救って回ってるってこと?」
「まあね」
「へえー。すごいなー!」
全身鎧の少女が、身を乗り出す。
鉄の兜ごしに、キラキラと輝く眼が見えているかのようだ。
「鎧を着たまま近づかないでくれ。暑苦しい」
「それじゃ、もっとこう、……別の世界の話とか、聞かせてくれよ!」
「えーっ。ぶっちゃけぼく、もう眠いんだけど」
「そこをなんとか!」
「やれやれ……」
異世界の夜は、長い。日が落ちて以降は、ほとんどやるべきこともない。
少女の好奇心に付き合う時間は、ないこともなかった。
「じゃ、ちょっとだけだぞ。眠くなるまでだ」
「やったー!」
それにしても、この娘。
ベッドの上にいるときも、鎧を脱がないんだな。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※12)
本編においては老害みたいなことばかり言う狂太郎だが、一応彼、最初にゲームに触れたのはスーパーファミコン以降の世代である。
よってこの知識は、”救世主”となった後に勉強して覚えたものらしい。
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