210話 黒竜のいる風景
死者が三人。コーラの瓶が一つ。
そして、――隅っこの方で、反吐を吐いている”救世主”が一人。
「うげっ。うげげげー! おええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」
「ここが、地獄か……」
狂太郎はぽつりと一言、漏らす。
沙羅は口元を拭いつつ、ようやくの思いで振り向いた。
「なあ、沙羅。果たしてぼくは、こんな光景を見なきゃならんほど、ひどい選択をしただろうか?」
「し……知らないわよ。話、振らないで」
「うむむ」
狂太郎は、コーラの瓶をポケットに突っ込み、
「とにかくこれで、次には進める。――行こう」
「う、うん」
そして二人、とぼとぼした足取りでダンジョンを後にする。
どういう理屈かわからないが、帰り道に魔物は、いっさい発生しなかった。
▼
そして、いったんチェシャの街に戻って。
その場所で繰り広げられている光景を目の当たりにして――二人は一様に、天を仰ぎ見た。
「……………………………………………………………………………………」
「……………………………………………………………………………………」
二人揃って、しばし無言でいる。
それも、無理はなかった。
全長3メートルほどの、黒い鱗に覆われた一匹の竜。
恐らくは本来、”ブラック・デス・ドラゴン”としてデザインされたその怪物が、街のあちこちで闊歩していたのである。
――公園を散歩しているブラック・デス・ドラゴン。
――買い物かご片手に、市場で買い物をしているブラック・デス・ドラゴン。
――優しそうな白髪頭の男とブラック・デス・ドラゴンのおしどり夫婦。
――隣近所のブラック・デス・ドラゴンと井戸端会議に華を咲かせるブラック・デス・ドラゴン。
――とあるブラック・デス・ドラゴンなんかは、「あら、私お昼ご飯食べたかしら」などと言って首を傾げている。
――準備体操中のブラック・デス・ドラゴンは、町内会で行うゲートボール的遊戯のために毎日忙しいのだそうだ。
何より奇怪なのは、……この状況に、街の住人がみんな、なんら異常性を見いだしていない点であろうか。
「これは……あのダンジョンでの対決がトリガーで起こった”異世界バグ”か」
恐らくは、”老婆”と”ブラック・デス・ドラゴン”のグラフィック設定ミスが、この世界全体に影響を与えているということだろう。
結果として狂太郎たちが見ているのは、”老婆”と”ブラック・デス・ドラゴン”の外見が完全に入れ替わってしまった世界。
――ひょっとしなくてもこの状況……世界全体で起こっているのか?
そう思うだけで、――自分がしでかした行為の重大さに、身が震える思いだった。
その後、無言でいたサラマンダー娘は、ぽつりとこう言う。
「ねえ、狂太郎くん。ひとつカミングアウト、していい?」
「ん?」
「私じつは、百合畑の人なの」
「ユリバタケ?」
「女の子が好きって意味」
「ああ、……そうなんだ」
初耳の振りをしているが、実を言うとこの件、殺音から事前に聞かされている。以前、デートした際にこの話を聞かされていたのだ。
「ってのもさ。
「まあ、わかるよ」
彼女、以前も妙な男に絡まれていたし。
「――だから絶対に、変な風に勘違いしないで欲しいんだけどさ」
「ん?」
「いま、だけでいいの。……しばらくの間、手、握ってもらっててもいい?」
「いいとも」
狂太郎は、喜んでそうした。
彼自身、しっかりと掴んでいられる何かを切望していたのだ。
沙羅の手のひらは、ホッカイロを思わせる温かさであったという。
「ねえ、狂太郎くん。ひとつ、怖い話、していい?」
「なんだい」
「この世界で起こってるようなこと、じつは――私たちの故郷でも起こってる、なんてこと、ないよね?」
「いうな」
素早く答える。
狂太郎はこれまで、”異世界バグ”の存在しない世界を見たことがない。
ということはつまり、――自分たちの世界にも、恐らく似たようなことが……。
と、そこで頭を横に強く振って、
「考えても仕方がないことだ。考えすぎると、たぶん完璧にどうかしてしまうと思う」
「……そだね。わかった」
▼
その後、二人は逃げるように”チェシャの街”を発って、賢者スペードのいる場所に向かう。
彼にコーラを与えたところ、やはり老人は、テレビCMの役者のように気持ちよく喉を鳴らして、それを飲み干した。
「うまい!」
「果物もあるけど」
「いらん!」
「あ、そう……」
そして男は、てきめんに元気を取り戻し、艶のある肌になって立ちあがる。
>>ボーイが コーラをあたえると ろうじんはとつぜん たちあがった!
>>ボーイは こころのどこかで きづいている。
>>このひとはきっと ものすごいひとだと。
「……まあ、相変わらず何も気づいていないんだがな」
どうもこの老人、前回会った時のことは綺麗さっぱり忘れてしまっているらしい。
如何にもステレオタイプのもじゃもじゃ髯を「オッホッホ」と揺らして、
「儂は、大賢者スペードと申す者じゃ」
これで二度目となる台詞を口にする。
「なあ、ボーイよ。おぬし、このコーラを手に入れるのに、ちょっとした試練が待ち受けていただろう。三人の暴漢、黒きドラゴンとの対決、……すべて、ボーイの覚悟を試すために用意したものじゃったのよ」
「うっす。お疲れっす」
「だがおぬしは、試練を乗り越え、無事にコーラを見つけてくれた! それも、見ず知らずの儂のために! 儂はおぬしに、……感謝の言葉を送ると共に、一つの啓示をさずけよう! おっぱいの大きい女に騙されるな、と! ろくなことにならないから!」
なんだその、ゲーム制作者の個人的な偏見みたいな話は。
狂太郎の隣にいる「おっぱいの大きい女」である沙羅は、少し不機嫌そうに鼻を鳴らす。
それに気づいた賢者は、少し気まずそうにして、台詞の続きを言った。
「……それとあと、すばらしい贈り物を送らせてもらおう!」
>>なんと けんじゃ スペードは ドリームキャッチャーを てわたした!
>>ボーイ&ガールは ドリームキャッチャーを てにいれた!
押しつけるように手渡されたのは、ふかふかの鳥の羽がくっついた、蜘蛛の巣型の装飾品である。
「……これは?」
「ドリームキャッチャーという」
「ええと、それはナレーションの人が言ってました」
老人は無視して、
「……ここで! 賢者からそなたへ、次なる試練を言い渡す! このドリームキャッチャーを、遙か北の地で使うことにより、――ドリームウォッチャーと出会うのだ」
「ドリーム、ウォッチャーですか」
「さよう。ドリームキャッチャーを、遙か北の地で使うことにより、――ドリームウォッチャーと出会うのだ」
「はい。その話、一度聞きました」
たしか、本作のタイトルは『ファイナル・ベルトアース ~ドリーム・ウォッチャーのなぞ~』だったはず。
とりあえず、このゲームの根幹となる重要アイテムであることは間違いない。
「その、ドリームウォッチャーというのは何者なんです? 出会うとどういうことが起こるんですか?」
「それは……ふふふふ。この際、秘密とさせてもらおう」
「いやいや。この時点でその情報を聞いておかないと、我々がそれを目指す動機にならないじゃないですか」
老人は再び無視して、
「……ボーイ&ガール! まずは二人とも、北の関門を目指すと良い! そろそろ、落石を取り除く工事が終わっているはず! いまでは自由に通行可能になっているだろう!」
北の落石。
そんなイベントあったんだ。完全にスルーしてた。
「ちなみにその、”北の果て”とやらに行くのに、他に障害になりそうな場所は……」
「――くっくっくっく。その顔、……わかるぞ。冒険が待ち遠しくてしょうがないって顔じゃな!」
「ええと、……話、聞いてます?」
「わかっとる。わーかっとる! その先で待ち受けている試練について、儂からこれ以上、語ることはあるまい! さあ、ボーイ&ガール! きみたちの冒険はいま、はじまったばかり! 向かいなさい、次の冒険へ!」
「あの……、ちょっと」
「ではのー」
そう言って、賢者スペードはあっさりとその場から姿を消失させた。
その場に残された二人の”救世主”は、――しばし顔を見合わせて、嘆息した。
どうやら、自分たちの冒険はいま、「はじまったばかり」らしい。
正直もう、一刻も早く自宅に帰りたいのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます