210話 黒竜のいる風景

 死者が三人。コーラの瓶が一つ。


 そして、――隅っこの方で、反吐を吐いている”救世主”が一人。


「うげっ。うげげげー! おええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」

「ここが、地獄か……」


 狂太郎はぽつりと一言、漏らす。

 沙羅は口元を拭いつつ、ようやくの思いで振り向いた。


「なあ、沙羅。果たしてぼくは、こんな光景を見なきゃならんほど、ひどい選択をしただろうか?」

「し……知らないわよ。話、振らないで」

「うむむ」


 狂太郎は、コーラの瓶をポケットに突っ込み、


「とにかくこれで、次には進める。――行こう」

「う、うん」


 そして二人、とぼとぼした足取りでダンジョンを後にする。


 どういう理屈かわからないが、帰り道に魔物は、いっさい発生しなかった。



 そして、いったんチェシャの街に戻って。

 その場所で繰り広げられている光景を目の当たりにして――二人は一様に、天を仰ぎ見た。


「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」


 二人揃って、しばし無言でいる。

 それも、無理はなかった。

 全長3メートルほどの、黒い鱗に覆われた一匹の竜。

 恐らくは本来、”ブラック・デス・ドラゴン”としてデザインされたその怪物が、街のあちこちで闊歩していたのである。


――公園を散歩しているブラック・デス・ドラゴン。

――買い物かご片手に、市場で買い物をしているブラック・デス・ドラゴン。

――優しそうな白髪頭の男とブラック・デス・ドラゴンのおしどり夫婦。

――隣近所のブラック・デス・ドラゴンと井戸端会議に華を咲かせるブラック・デス・ドラゴン。

――とあるブラック・デス・ドラゴンなんかは、「あら、私お昼ご飯食べたかしら」などと言って首を傾げている。

――準備体操中のブラック・デス・ドラゴンは、町内会で行うゲートボール的遊戯のために毎日忙しいのだそうだ。


 何より奇怪なのは、……この状況に、街の住人がみんな、なんら異常性を見いだしていない点であろうか。


「これは……あのダンジョンでの対決がトリガーで起こった”異世界バグ”か」


 恐らくは、”老婆”と”ブラック・デス・ドラゴン”のグラフィック設定ミスが、この世界全体に影響を与えているということだろう。

 結果として狂太郎たちが見ているのは、”老婆”と”ブラック・デス・ドラゴン”の外見が完全に入れ替わってしまった世界。


――ひょっとしなくてもこの状況……世界全体で起こっているのか?


 そう思うだけで、――自分がしでかした行為の重大さに、身が震える思いだった。


 その後、無言でいたサラマンダー娘は、ぽつりとこう言う。


「ねえ、狂太郎くん。ひとつカミングアウト、していい?」

「ん?」

「私じつは、百合畑の人なの」

「ユリバタケ?」

「女の子が好きって意味」

「ああ、……そうなんだ」


 初耳の振りをしているが、実を言うとこの件、殺音から事前に聞かされている。以前、デートした際にこの話を聞かされていたのだ。


「ってのもさ。あの街ヨシワラで暮らしていくうちに、――男の人のこと、すっかり嫌いになっちゃって……」

「まあ、わかるよ」


 彼女、以前も妙な男に絡まれていたし。


「――だから絶対に、変な風に勘違いしないで欲しいんだけどさ」

「ん?」

「いま、だけでいいの。……しばらくの間、手、握ってもらっててもいい?」

「いいとも」


 狂太郎は、喜んでそうした。

 彼自身、しっかりと掴んでいられる何かを切望していたのだ。


 沙羅の手のひらは、ホッカイロを思わせる温かさであったという。


「ねえ、狂太郎くん。ひとつ、怖い話、していい?」

「なんだい」

「この世界で起こってるようなこと、じつは――、なんてこと、ないよね?」

「いうな」


 素早く答える。

 狂太郎はこれまで、”異世界バグ”の存在しない世界を見たことがない。

 ということはつまり、――自分たちの世界にも、恐らく似たようなことが……。


 と、そこで頭を横に強く振って、


「考えても仕方がないことだ。考えすぎると、たぶん完璧にどうかしてしまうと思う」

「……そだね。わかった」



 その後、二人は逃げるように”チェシャの街”を発って、賢者スペードのいる場所に向かう。

 彼にコーラを与えたところ、やはり老人は、テレビCMの役者のように気持ちよく喉を鳴らして、それを飲み干した。


「うまい!」

「果物もあるけど」

「いらん!」

「あ、そう……」


 そして男は、てきめんに元気を取り戻し、艶のある肌になって立ちあがる。


>>ボーイが コーラをあたえると ろうじんはとつぜん たちあがった!

>>ボーイは こころのどこかで きづいている。

>>このひとはきっと ものすごいひとだと。


「……まあ、相変わらず何も気づいていないんだがな」


 どうもこの老人、前回会った時のことは綺麗さっぱり忘れてしまっているらしい。

 如何にもステレオタイプのもじゃもじゃ髯を「オッホッホ」と揺らして、


「儂は、大賢者スペードと申す者じゃ」


 これで二度目となる台詞を口にする。


「なあ、ボーイよ。おぬし、このコーラを手に入れるのに、ちょっとした試練が待ち受けていただろう。三人の暴漢、黒きドラゴンとの対決、……すべて、ボーイの覚悟を試すために用意したものじゃったのよ」

「うっす。お疲れっす」

「だがおぬしは、試練を乗り越え、無事にコーラを見つけてくれた! それも、見ず知らずの儂のために! 儂はおぬしに、……感謝の言葉を送ると共に、一つの啓示をさずけよう! おっぱいの大きい女に騙されるな、と! ろくなことにならないから!」


 なんだその、ゲーム制作者の個人的な偏見みたいな話は。

 狂太郎の隣にいる「おっぱいの大きい女」である沙羅は、少し不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 それに気づいた賢者は、少し気まずそうにして、台詞の続きを言った。


「……それとあと、すばらしい贈り物を送らせてもらおう!」


>>なんと けんじゃ スペードは ドリームキャッチャーを てわたした!

>>ボーイ&ガールは ドリームキャッチャーを てにいれた!


 押しつけるように手渡されたのは、ふかふかの鳥の羽がくっついた、蜘蛛の巣型の装飾品である。


「……これは?」

「ドリームキャッチャーという」

「ええと、それはナレーションの人が言ってました」


 老人は無視して、


「……ここで! 賢者からそなたへ、次なる試練を言い渡す! このドリームキャッチャーを、遙か北の地で使うことにより、――ドリームウォッチャーと出会うのだ」

「ドリーム、ウォッチャーですか」

「さよう。ドリームキャッチャーを、遙か北の地で使うことにより、――ドリームウォッチャーと出会うのだ」

「はい。その話、一度聞きました」


 たしか、本作のタイトルは『ファイナル・ベルトアース ~ドリーム・ウォッチャーのなぞ~』だったはず。

 とりあえず、このゲームの根幹となる重要アイテムであることは間違いない。


「その、ドリームウォッチャーというのは何者なんです? 出会うとどういうことが起こるんですか?」

「それは……ふふふふ。この際、秘密とさせてもらおう」

「いやいや。この時点でその情報を聞いておかないと、我々がそれを目指す動機にならないじゃないですか」


 老人は再び無視して、


「……ボーイ&ガール! まずは二人とも、北の関門を目指すと良い! そろそろ、落石を取り除く工事が終わっているはず! いまでは自由に通行可能になっているだろう!」


 北の落石。

 そんなイベントあったんだ。完全にスルーしてた。


「ちなみにその、”北の果て”とやらに行くのに、他に障害になりそうな場所は……」

「――くっくっくっく。その顔、……わかるぞ。冒険が待ち遠しくてしょうがないって顔じゃな!」

「ええと、……話、聞いてます?」

「わかっとる。わーかっとる! その先で待ち受けている試練について、儂からこれ以上、語ることはあるまい! さあ、ボーイ&ガール! きみたちの冒険はいま、はじまったばかり! 向かいなさい、次の冒険へ!」

「あの……、ちょっと」

「ではのー」


 そう言って、賢者スペードはあっさりとその場から姿を消失させた。


 その場に残された二人の”救世主”は、――しばし顔を見合わせて、嘆息した。


 どうやら、自分たちの冒険はいま、「はじまったばかり」らしい。


 正直もう、一刻も早く自宅に帰りたいのだが。

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