200話 狂気の世界
結局狂太郎たちは、けんもほろろに城を追い出されて。
「……ここは狂気の世界だ。みなおかしいんだ」
120ゴールド×四人分の480ゴールド。
ちゃらちゃらと音を立てて、純金製に見えるそれを弄ぶ。
480枚から成る、金の山を。
「それにしてもこれ、めちゃくちゃかさばるな」
持ち込んだエコ・バッグが、金の重みで破れてしまいそうだ。
「――もしなんならこれ、みんなにあげようか?」
「不要です」「不要」「いらない」「私はそれを必要としていない」
「……あ、そう」
洪水のように浴びせられる「いらない」に、思わず苦笑する。
「その……うまく言えないが……みんな、元気を出してくれ」
「安っぽいお言葉」「不要」「俗世は地獄」「現実だけを見て生きていく」
彼女たちの表情はみな、墨を落としたように暗い。
無理もない。実の父親だと思っていた男に、
だがそれでも、人前で泣いたり取り乱したりしないのは、王族の誇り故、だろうか。
「しかし、困ったことになったな。きみら、これからどうするつもりだ」
言うと、彼女たちは揃って物憂げな顔になり、
「どうもこうも。――もはや私個人の力では、どうにもなりませぬ」
「子供の頃より、蝶よ花よと育てられて、いまここにいます故」
「俗世はままならぬ。我が手には余ります」
「願わくば、今宵だけでもご厄介になりたい。私、なんでもいたします」
そして、
「「「「よろしくお願いします」」」」
と、揃って頭を下げる”姫君”たち。
さっと、狂太郎の顔色が蒼くなる。
――参ったな。こうなっては無碍に断れない。
実を言うと、この時である。
「ひょっとすると今度の仕事、長引くかも知れない」と気づいたのは。
▼
五人、ぞろぞろと街を歩きながら。
すでに狂太郎は、道行く人の視線の意味に気づいている。
「あいつが……」
「最近あんまりみないと思ってたのに……」
「恥知らずな……」
「外道……」
「哀しい命を、これ以上増やすんじゃないよ、まったく……」
という口さがない声が、あちこちから聞こえて来るようだ。
――増殖した彼女たちを城に連れ込む行為は、……この辺の人間にとって、ろくでなしのすることだったんだな。
知らなかったこととはいえ、気が重い。
これは、《無》の取得と並行して、彼女たちの職探しも手伝わなければ。
「やれやれ……」
心底面倒くさげにしている狂太郎に、姫君たちは顔を見合わせて、
「そこまで悩まれる、ようならば」
「ここより北……といってもジャバウォック王国ほど北ではないちょっとだけ北に行ったところに、」
「”チェシャ”という栄えた街が存在しています」
「せめてそこまでご案内していただければ、あとは自分たちでなんとかできるかもしれない」
狂太郎は頭を振って、
「……とりあえず、チェシャへ向かうところまでは採用。――だが、そこで見捨てたりはしない。引き受けたからには、ちゃんと後のことまで面倒を見るつもりだ」
ここにきて、彼の生真面目さが出ている。
いつものように終末がすぐそこまで迫っている世界であれば、彼女たちを置き去りにしていたかもしれないが、――今回のケースは、半分は私用でこの場所にいる。救える命を救わない理由にはならない。
――それにしても、……仕事探し、か。
しかも、あらゆるお仕事未経験+足腰も貧弱なお姫さま×4人分。
彼女たちをできれば、安定した職に就かせる、と。
――これひょっとして、”終末因子”の撃退よりも厄介かもしれんな。
狂太郎にとっての異世界は、駆け抜けていくべきもの。
どっしり腰を落ち着けて生活するための空間ではない。
「あ、ところで、ボーイ」
手を挙げたのは、たぶん”おわらめ”。
「ん?」
「さきほど、城の者から情報を仕入れておいた。――そこで、貴様の話していた異世界人の情報を仕入れておいたのですが」
「ほう」
王様があれほど取り乱しているとは思わず、その件について聞くのを忘れていた。
「その異世界人、――都合の良いことに、チェシャの方面に進んでいったという。だから我々の目的地は、図らずも同じ、ということです」
「そうか」
まあ、この世界の形状を考えれば、来た道を引き返すか北に向かっていくかの二択なのだが。
「なんにせよこの、邪魔な480ゴールドを片付けてしまいたいな」
「たしかに」「わかる」「それはそう」「旅の邪魔になるだけ」
えっちらおっちら金貨を運び、城下街の建物のうちの一つ、――雑貨店を目指す。
ラビット城付近にぽつんと建てられたその店は、物置小屋を思わせる、実に埃っぽい商店だったが、――一応、古着の取り扱いは、あるらしい。
長袖の下着に、腰周りを紐で縛るタイプのチュニック。それに、布製の靴。
お世辞にも綺麗なおべべと呼べる代物ではないが、今着ているドレスよりはよっぽど旅に適している。
「これ、おいくら?」
訊ねるが、その返答は素っ気のないもので、
「お代を金貨で支払おうって言うなら、うちではいっさい取引をしないよ」
というものだ。
聞き覚えのあるその声に顔を上げると、――雑用品にまみれた店のカウンター奥でふんぞり返っているのは、”とんがり帽子”である。
――この世界にもいたか。世界をまたぐ、そっくりさん。
狂太郎は、深く嘆息して、
「……ここに、480ゴールドあるが。それでも、何も買えない?」
「ああ。物々交換以外は、一切受け付けない」
「そうかね」
不便な世界だ。恐らく、世界を構成するルールそのものが不安定すぎて、貨幣経済が破綻してしまっているのだろう。
「じゃ、悪いけどこれ、そっちで処分して貰ってもいいかい」
「悪いが、お断りだな。処分するにも手間と人手が要る」
「あ。そっかあ」
なんかこの”とんがり帽子”、ちょっと冷たい。
狂太郎は哀しくなって、――一秒でもはやく、この街から出ることを願った。
「ちなみに、世間知らずのあんたに忠告させてもらうが……そこの四人も、金貨と同じく役立たずだぜ。もっと北方の恵まれない大地じゃ、こいつらの身ぐるみ剥いで、肉は喰らい、皮は服に加工するのが当たり前だって話だ」
「……マジかよ」
これより下はない、と思った次の瞬間にはもっとひどい話を聞かされる。
――酒がいるな。この世界での冒険は。
そう思いつつ、狂太郎はせめて、四人分の旅装を整えなければならぬと思い、リュックから十枚ほど、板チョコレートを取り出した。
一説によると、砂糖には麻薬以上の依存性があるという。
文明レベルの低い世界の住人には、この手の甘味が役に立つ。
だから最近ではいつも、チョコを持ち歩くことにしていた。
「……それは?」
「ぼくの故郷の名物で、板チョコと呼ばれるものだ」
言って、それを一枚、パキッと噛み砕いてみせる。
「うまい。なお、血圧を下げ、精神的・肉体的にも活動的になる薬効もある。一説によると、ライトノベル作家はこれとコーヒーを深夜にばくばく食うので、彼らの平均体重は常人より十数キロほど重いとされているほどだ(※3)」
「……………ふむ」
「これと、――後ろにいる姫様たちの服を、もう少し旅に適した格好に替えられないものだろうか」
「あんた、……その女どもを、助けるつもりかい」
「通りがかった船だ。ぼくもまさか、理不尽に増殖するお姫さまが存在しているなど、思いも寄らなかった」
「そうかい。……あんた、悪い人じゃなさそうだな」
すると”とんがり帽子”は、どの世界の彼にも共通してある善性を発揮して、
「それなら、まあ。いいだろう。古着と靴でよけりゃ、店の奥からもってきな」
と、言ってくれる。
狂太郎は、ほっと安堵して、”あいうぇふぁ”と”おわらめ”、”ぱあうあ”、”けむんちゅ”に振り返り、
「よし。四人とも、冒険の準備だ」
「ええ」「うん」「はい」「よし」
そういうことに、なったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※3)
これは、私が以前、酔ったときに語った内容であるが、事実ではない。
少なくとも私自身は太っていないし、私の知り合いの誰も太っていない。
ライトノベル作家は誰も太っていない。
そういうことにしていただきたい。
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